定時で帰りたい最強運び屋 〜スキルを駆使してたら、侯爵令嬢に終身雇用(婚約)された件〜

月影 朔

第一部:発端 ~最悪の出会いと最初の神業~

第一章:最底辺職の業務効率化

第1話:過労死エンドロール

ザァァァァ…………。


意識が、雨音に溶けていく。

トラックのワイパーが、錆びついた機械のように鈍い音を立ててフロントガラスの水を掻き分けている。


(……ああ、まただ。また、意識が飛んでた)


ガクン、とハンドルを握る手が滑り、俺は慌てて体勢を立て直す。 心臓が嫌な音を立てて跳ねた。


(ヤバい……マジで眠い……)


高速道路のオレンジ色の街灯が、雨粒に乱反射して目に突き刺さる。

もう何時間、この景色を見ているだろうか。 いや、もう何日、まともに寝ていないんだっけか。


俺の名前は佐藤 健太サトウ ケンタ

三十路手前。ブラック運送会社に勤める、しがない長距離トラックの運転手だ。


……いや、「運転手」兼「荷積み」兼「営業(という名のクレーム処理)」兼「雑用」か。


(……最悪だ)


ピチャン、と天井から雨漏りがして、俺のジーンズに冷たい染みを作った。 このオンボロトラック、いつ整備したんだか。


(あー…今月も残業100時間超えたか…)

いや、正確にはタイムカードを切った後での「サービス残業」が、だ。

手取りの給料は、学生のバイト代かと笑いたくなるような雀のすずめのなみだ


(……疲れた……)


まぶたが鉛のように重い。 カフェイン剤をこれ以上飲んだら、胃が穴が空く。

もう何錠、胃薬と一緒に流し込んだか覚えていない。


(……休みたい……)


ぼやける視界の端で、過去の光景がチカチカと点滅し始めた。


(ああ、走馬灯そうまとうってやつか……)


まだ死ぬには早いだろ、と思ったが、この労働環境ならいつ死んでもおかしくない。 過労死。それが俺の人生の結末らしい。


「佐藤!! てめぇまだ荷積み終わんねえのか! グズグズすんな!」

怒鳴り声が聞こえる。 そうだ、あれは三日前か。センター長だ。


(終わるわけねえだろ……)

俺は心の中で毒づく。


(二人でやるはずだった荷降ろし、新人の田中がバックレたんだぞ。俺一人でこのコンテナ全部捌さばけとか、頭おかしいんじゃねえか?)

だが、口に出せるはずもない。


「……す、すみません! すぐやります!」

「当たり前だ! 今日中にこれ全部、埼玉の倉庫まで持ってけよ! 納期厳守だ!」


(は? 埼玉? 今から? 今、夜の10時だぞ?)


「間に合わなかったらどうなるか、わかってんだろうなァ!?」

「……ッ! はい!」


(わかってるよ。ペナルティで給料から天引きだろ。ただでさえ雀のすずめのなみだなのに)


上司はパワハラ。 それが、このブラック企業の日常だ。

罵詈雑言ばりぞうごんは当たり前。休日出勤の強要。失敗すれば、こめかみにボールペンを突き立てられる。


(あれ、マジで痛えんだよな……)


同僚は……ああ、同僚も最悪だった。


「あ、佐藤さん! お疲れ様です! いやー、流石ですね、もう終わったんですか?」

ニコニコと愛想よく近づいてくる後輩の鈴木。


(お前が押し付けた仕事がな)


「ちょっとお願いがありまして……この伝票処理、お願いできません?」

「……俺、これから埼玉に配達だけど」

「うわー、大変っすね! でも、佐藤さんなら余裕でしょ! 俺、今日ちょっとカノジョと約束が……ね? お願いしますよ、先輩!」


(……チッ)


結局、俺はそれも引き受ける。 俺が断れない人間だと、知っているからだ。 他人のタスクを押し付け合い、誰かがミスすれば一斉にそいつを吊し上げる。 そんな職場だった。


(……なんで、俺ばっかり)


学生時代からそうだ。 面倒な学級委員とか、文化祭の準備とか、そういうのを全部押し付けられてきた。

「佐藤は優しいから」 その言葉が、どれだけ俺を縛り付けてきたか。


(もう……疲れた……)


ザーザーと降りしきる雨が、まるで鎮魂歌レクイエムのように聞こえる。 ワイパーの動きが、だんだん遅く見えてきた。


(ああ、ダメだ。本当に眠い……)


次のパーキングエリアで、少しだけ……10分だけでも仮眠を……。

そう思った、瞬間だった。


(……あれ?)


目の前に、まぶしい光が迫っている。 二つの、強烈な光。


(……対向車……?)


なんでだ。ここは高速道路の、一方通行のはずだ。


(あ……そっか。俺……)


意識が朦朧もうろうとして、センターラインを越えていたのか。 それとも、相手が……?


(……まあ、どっちでもいいか)


キィィィィィィィィ!!!!


けたたましいブレーキ音と、大型トラックのクラクションが鼓膜を突き破る。 ハンドルを握る手に、衝撃。


体が宙に浮く、あの独特の浮遊感。


(これが、俺の人生か)


走馬灯そうまとうが加速する。

両親の顔は、もう思い出せない。 物心ついた時から施設にいた。 勉強も運動も、可もなく不可もなく。 就職氷河期に、やっとの思いで滑り込んだのが、あのブラック運送会社。


そこからは、地獄のような日々。


(……最悪のエンドロールだ)

何も良いことなんてなかった。 ただただ疲弊ひへいし、摩耗まもうし、使い潰されただけ。


(もう……疲れた……) (休みたい……)


もし、もしも……。

(……次に生まれることが、あるんなら……)


(……もっと、のんびり……生きたい)


(……定時で上がって、安い酒場で……)


(……くだらないテレビでも見ながら……)


(……ああ……もう……休みたい……)


ガシャァァァァァン!!!!


凄まじい金属音と衝撃。 俺の意識は、そこで完全に闇に飲まれた。


これが、俺の人生の最期。 佐藤 健太、享年28歳。 死因は、おそらく過労運転による交通事故。


……まったく、最悪の人生だった。 願わくば、こんな人生、二度とごめんだ。


(……暗い……)


(……静かだ……)


(……やっと、休める……)


意識は深い、深い奈落ならくの底へと落ちていった。 もう二度と、浮上することのない、永遠の闇へ。


……そう、思っていた。

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