【第二章 ペンション『スケープゴート』】 2

 談話室はロビーから廊下を挟んだ位置にあった。談話室の一方の壁際には70インチくらいのテレビ、その両側には小説や雑誌、DVD、BDが収まった本棚があり、部屋の中央辺りには、一枚板かと思しき茶色のテーブルと、緑色の革張りの二人掛けソファが三つ設置されている。そのソファに並んで、ぼくの両親より少し年齢が下くらいの女性が二人、談笑していた。

 

「失礼します。牛尼さんというのはどちらですか」

 

 ぼくが話し掛けると、二人の女性は会話を止め、訝しげにぼくを見た。……確かに、見ず知らずの人間がいきなり、それも自分の名前を出しながら話し掛けてきたら警戒するだろう。彼女達の警戒を解くため、ぼくはまず、自分の自己紹介から始める事にした。

 

「ぼくは弓嶋魁と申します。ペンションにチェックインする際、一緒にきた友達の小森真理花が名簿から、知り合いだという牛尼小夜子さんのお名前を見つけまして。友達の知り合いなら、ぼくもちゃんと挨拶をしておきたいと思い、お声を掛けさせて頂きました」

 

 そう言うと、一方の女性が顔をほころばせた。

 

「ああ、あなたがいつか真理花ちゃんが言っていた弓嶋魁くんね。なかなかしっかりしてる子じゃないの」

 

「小夜子、真理花って誰よ」

 

「仕事で私が担当してる女の子。私が牛尼小夜子よ。よろしく」

 

 牛尼先生は白のタートルネックに繊細な編目のクリーム色のカーディガン、黒のフレアパンツに身を包み、豊かな黒髪を後ろで一つにまとめた、細目の美しい女性だった。

 

「それにしても、まさかこんな辺境のペンションに知り合いがいるなんて。こんな偶然があるものなのね」

 

「牛尼先生!」

 

 背後で声がしたので振り返ると、真理花が立っていた。彼女はぼくの脇を抜けて先生の元へ駆け寄る。

 

「名簿を見た時ビックリしました。先生もこちらへいらっしゃっていたんですね」

 

「ええ、休暇を利用して趣味のスキーと……グルメにね。それで、ご両親はどちらにいらっしゃるのかしら」

 

「今年は彼、友達の魁くんと二人だけできたんですよ」

 

「へえ! そうなの。きっと良い思い出になるわね。でも、あまり無茶はしないように」

 

「分かっています。……先生、そちらの方は?」

 

 真理花がソファに座っていたもう一人の女性に眼をやった。牛尼先生が紹介する。

 

「彼女は篠原佳子。私の中高の友達で、今は中学校で教師をしてるの」

 

「……どうも」

 

 篠原先生はぼく達に軽く会釈をした。華やかな牛尼先生とは対象的に、地味でどこか陰気な雰囲気をまとった、ふくよかな女性だ。

 

 ぼく達四人はしばらくの間、談話室でスキーの話をした。……もっとも、喋っていたのは主に真理花と牛尼先生で、ぼくと篠原先生は相槌を打つだけであったが。

 

「今日は気持ち良く滑る事が出来ましたけど、明日はどうなるのでしょうか」

 

「さっきテレビで天気予報を見たけど、今夜から明日にかけて吹雪くそうよ。幸い、明後日の午後には回復するそうだから、長期間閉じ込められる事態にはならなさそうね」

 

 ペンションに入る前の真理花の見立ては正しかったようだ。悪天候の中、原田さんをここまで呼び出すのは可愛そうだ。

 

「それは残念です。ちゃんと天気も考慮して旅行の計画を立てるべきでした」

 

「別にいいじゃない。こうして人とお喋りしながら過ごすのも私、好きだから」

 

「確かにそうですけど……」

 

 最低でも明日の一日、真理花に滑らせてあげられないのは、ぼくとしては残念だった。

 

「まあまあ、そう落ち込まないで。暇を潰すのなら私、トランプとか持ってきたから。ネットほどではないけど、楽しい時間は過ごせるでしょ」

 

 会話の流れでぼくは一つの疑問を口にした。

 

「そういえばこのペンション、タクシーの運転手さんや従業員の卯月さんのお話では、Wi-Fiなどがないそうですが、どうしてなんでしょうか?」

 

「私もネット環境がどうなってるのか気になって尋ねてみたんだけど、オーナー曰く「お客様にはこの山の自然をより満喫して頂きたい」とかで、ネット回線の類は引いていないそうよ。でも、これは一体何なんでしょうかね」

 

 牛尼先生は赤い革の手帳型カバーを付けたスマホを取り出して、画面をぼく達に見せた。画面には一つだけWi-Fiスポットが表示されている。しかし、Wi-Fiのアイコンの右下に小さく南京錠のアイコンも表示されていたため、パスワードを入力しない限り繋ぐ事は出来ない。

 

「まあ追及した所で、近隣の民家のものだとか何とか言って、しらばっくれるだけでしょうけど」

 

 その時、談話室の扉が開いて、当の柳沢オーナーが入ってきた。

 

「お食事の時間が近づいてまいりましたので皆様、食堂の方へお集まり願います」

 

 壁に掛けられた時計を見ると、確かに時刻は夕食開始予定の七時前だった。一体どんな料理が出てくるのだろうと、ぼくは期待に胸を膨らませたが、その思考は一瞬にして吹き飛ばされた。

 

「待ってたわ!」

 

 今までの寡黙さが嘘のように、篠原先生は歓喜の声を上げてソファから跳ねるように立つと、踊るような軽快な足取りで談話室から出て行った。篠原先生の声と行動に、ぼくと真理花が呆気に取られていると、牛尼先生が教えてくれた。

 

「ここの料理は素朴だけど味は絶品だって評判らしいのよ。佳子がこのペンションを選んだんだけど、その最たる理由がそれみたい。あの子、食に対する執着は異常だから」

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