海底に沈むエメラルド
狂う!
第零章:エメラルドの彼女と、錘の俺。
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幼い日の記憶。
まだ背丈も低く、外の世界を知らなかった頃。
「お父様、あれが欲しいの」
彼女はデパートのショーウィンドウを指差した。
そこには、子供用のガラス細工のおもちゃが並んでいた。
陽に透ける緑色のビー玉が特に気に入ったらしく、彼女は目を輝かせていた。
「欲しいのか」
父は静かに問いかけた。
「うん。でも……」
言葉に詰まる。
何かをねだることに、どこか後ろめたさを感じていたのだ。
すると、一人の男の子がショーウィンドウの前に立ち止まり、すぐにビー玉を指差して言った。
「これ、買う!」
母親にねだり、あっという間に男の子は緑色のビー玉を手にし、満足そうに去っていった。
彼女の瞳から、輝きが一瞬にして消えた。
母がしゃがみ込み、彼女の目を覗き込んだ。
「欲しいものは、他人任せにしてはいけないの。
自分の力で、何としても手に入れるのよ」
幼い彼女の問いに、父が答えを継ぐ。
「そうしなければ、欲しいものはいつか消えてしまう。
誰かに奪われたり、忘れられたり、壊されたりする。
だが自分で手に入れたものは、決して消えない」
母は優しく彼女の手を取った。
「覚えておきなさい。欲しいものは、どんな手を使ってでも手に入れる。
そうしなければ、本当に大事なものは守れないのよ」
「どんな、手を使ってでも……」
緑のビー玉が消えたショーウィンドウを見つめる幼い瞳は、強く、深く揺らめいた。
それはまるで──これから彼女を縛り続ける“エメラルド”の始まりのようだった。
「お父様、お母様。わたしは──
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小さな頃、母はよく夕飯の支度をしながら、俺に話しかけてきた。
その日のご飯は、安売りの野菜で作った煮物だった。
ちゃぶ台に並んだ皿は質素だったけれど、湯気の向こうで母は穏やかに笑っていた。
俺は海辺で拾った緑色のビー玉を、ちゃぶ台の上でくるくる回しながら、夕飯の時間を待っていた。
ある日、俺がテレビで流れていたおもちゃを見て「これ欲しい!」とぼやいた時のことだった。
「ねぇ、覚えておきなさい」
「人は、欲しいものを全部手に入れられるわけじゃないんだよ」
俺は子供心に不満そうに口を尖らせた。
「でも、欲しいのに……」
母は箸を止めて俺の頭を撫でた。
「欲しいものが手に入らなくてもね、人は生きていける。
大事なのは“手にしたものをどう守るか”、それだけなの」
「ふーん」
「欲しいものを奪い合っても、結局はなくなってしまうこともある。
でもね、分け合った思い出や、一緒に笑った時間は消えないんだよ。
それは誰にも奪えないから」
母の言葉は、子供の俺には難しかった。
けれど、茶碗を両手で持つ母の姿と、その温かい声は、今でもはっきり覚えている。
「だから──欲しいものより、大切にできるものを見なさい」
「はーい……」
当時のひねくれた俺は、きっとお金を使いたくない言い訳なんでしょ。と思いつつも、頷くしかなかった。
けれど、その教えは胸の奥にずっと残っていた。
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『私は、欲しいものは、何としても手に入れる』
『俺は、大切なものを守り続けたい』
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