第44章 焦げたコード《瀬川 ヒカル》
スタジオの中は、
まださっきの余韻が残っていた。
いつきが帰った後、
その場にいる全員がしばらく口を開かなかった。
スピーカーの前には古びたマイクスタンド。
床には、いつきが落として行ったピック。
それが、先程の“沈黙のステージ”の名残だった。
「…今日はもうやめよう」
俺がようやく口を開くと、
ケンがスティックを無造作にスネアに投げた。
「ダメだな、今のは音楽ですらない」
唯は腕を組んで、重い息を吐いた。
「いっちゃんだけやない。
全員が完全に自分を見失ってる。
バンドの体を成してないわ…」
吹雪は、壁際に立ったまま。
アツシが残したサンダーバードを見つめて
まるで“罪”そのものを背負っているようだった。
「ねえ、ヒカルくん」
小さな声で、吹雪が俺に言った。
「いっちゃんの家、知ってるよね」
唯がはっと顔を上げた。
ケンも手を止めた。
俺は一瞬だけ、答えを飲み込んだ。
(知ってる。一度譜面を届けに行ったな…)
しかし答えるのが憚られた。
理由はわからねえけど言ったらきっと
状況はもっと悪くなると直感で思った。
「なんであいつの家、知りたいんだ?」
「あたし…行く」
即答する吹雪の声には、迷いがなかった。
「さっきのいっちゃん、見たでしょ?
もうあんなに壊れてる。壊したのはあたし。
だから責任取らなきゃ」
唯が険しい顔で言った。
「吹雪、それは優しさちゃうで。罪悪感や。
そんな気持ちでその場の傷を穴埋めしても
根本から解決はせんよ」
「わかってる。でもあたし…それでも行く」
吹雪の目の奥に強い決意が見える。
でもその決意の方向は正しいとは思えなかった。
俺はしばらく黙っていた。
(行かせるべきじゃねえ…
けど止めたら…吹雪も壊れちまう気がする)
俺は躊躇した。
今まで生きて来て躊躇なんかした事なかった。
そんな俺が今、躊躇した。しかし…
「…わかったよ…教えりゃいいんだろ?」
俺はスマホを開いて、メモを見せた。
“渋谷区代々木3丁目”――いつきの住所。
吹雪は無言でそれを見て、
ゆっくりと頷いた。
「ありがとうね、ヒカルくん」
何がありがとうなのか俺には分からなかった。
まるで死刑台に立つ友達を見てる気分だった。
スタジオを出る直前、
吹雪は一度だけ振り返った。
「ねえ、ヒカルくん。
あたしのベース聴いてどう思った?」
「…わりい…わからねぇ…」
吹雪は微かに笑って、
「じゃあ、いってくる」と言い残した。
ドアが閉まり静寂が戻った。
ケンがぽつりと呟く。
「あれ行かせてよかったのか?ダメなやつだろ」
「ああ…ダメだな」
俺は答えた。嘘じゃない、
絶対に吹雪を行かせるべきではなかった。
「でもよ、俺たちにいつきを元気付ける方法、
他にあんのか?何か手はあったかよ?」
唯が小さく首を振った。
「あんたのしたこと、うちは責めんよ。
…ごめんやけどうちにも考えは浮かばん」
その言葉が、
スタジオの焦げた空気に吸い込まれていった。
俺はただ、
チューナーの赤いランプを見つめていた。
いつきもアツシももういないこのスタジオで。
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