第7章 リズムの証明<緋山 いつき>

ヒカルの部屋は、

ひとことで言えば“戦場”だった。




カップ麺の空き容器、

シールドコード、

譜面、

エフェクター。





そのすべてが入り混じって、床が見えない。

まず座るには周りのものをどかす必要があった。






「よう、いらっしゃい! 作戦会議だ!」


「…どの口が言ってんだよ、このゴミ屋敷で」


「音楽家の部屋ってのは“混沌カオス”なんだよ!」


「…俺の部屋の方がまだマシなくらいだけどな」






俺のツッコミなど全く意に介さず

ヒカルはギターをいじりながら言う。






「ドラムに関しては任せろ。問題はベースだ。

 バンドは低音がないと始まらねえ」


「簡単に言うなよ」


「でもいつき、お前…

 ベースに誰か心当たりあるんだろ?」


「…まあ、いるにはいるけど」






ヒカルの目がギラギラと光る。






「誰だよ?運命共同体の

 おれらの間に隠し事はなしだぜ!」






だがそいつを引き込むには一筋縄じゃいかない。

前のめりになるヒカルに俺は落ち着いて言った。








「明日スタジオの予約をするとこから始めよう」













***









俺がアツシを呼び出したのは翌日だった。






カフェの休憩時間、

裏口に出てきたアツシは眉をひそめて言った。

明らかに嫌な予感を察知し始めている顔だ。






「珍しいな、お前から呼び出すなんて」


「いや、ちょっと頼みがあってさ」


「どうせまたろくでもないことだろ?」


「バンド、やろうぜ!お前ベース」


「は?」






嫌な予感が的中しアツシが固まる。






「前はギター弾けとか言ってきて断ったろ?

 今度はベース?無茶振りも大概にしろって」


「ギターは見つかった。あとはベースだけだ」


「僕、ベースなんて弾けないって」


「知ってる。だから今日から弾けばいい!」


「はあ?ちょ、待てってば!待て待て待てー!」







そのまま、俺はアツシを強引に

スタジオへ連行する。







バイトの時間がどうのと喚いていたが

そんなことに構ってる暇はない。







***









「ようこそ! RED SUNS体験コースへ!」


ヒカルがスタジオの中でふざけた調子で叫ぶ。








「瀬川ヒカル、ギター担当でーす!」


「はあ‥僕はこれから何をさせられるんだよ?」


「今日から仮ベース!」


「いや、勝手に“仮”にすんな!」







ヒカルはお構いなしに

スタジオで借りたチューニング済みの

ベースをアツシの肩にかけ始める。







「ほら、最初だからルート弾きだけ。

 ド・レ・ミとか覚えなくていい。

 ドラムに合わせて1箇所押さえて

 同じリズムで弾くだけでいいんだ」







そう言ってミキサーに繋いだ

スマホを操作すると、

ドラムだけの打ち込み音源が流れ始めた。






スタジオの空気が一気に緊張に変わる。







「さあ、行こうぜ。テンポ120。

 ワン・ツー・スリー・フォー!」




音が鳴った。でも最初はバラバラ。

アツシのリズムはまだたどたどしい。










だが数分後――低音が

ドラムのリズムに馴染み始めた。








アツシの表情が変わった。





リズムに引きずられながらも、

自分のタイミングを探している。





ヒカルがニヤリと笑う。






「ほら、言っただろ?

 “ドン”だけで気持ちいいんだよ」


「…今、集中してるんだ。話しかけないでくれ」







その一言で、スタジオの空気がまた変わった。






さっきまで冗談交じりだったヒカルの顔が、

真剣な表情に変わる。






ヒカルが黙った。

音だけが、狭いスタジオに残った。





打ち込みのドラムが刻む機械的なリズムに、

アツシの低音が少しずつ肉をつけていく。



その音はまだ不安定で、

ところどころ転びそうなのに、妙に人間臭くて。






ヒカルは思わず口角を上げた。






(この感じ…こいつのベース、面白いじゃない)








何も言わず、ただ弦を鳴らしながら

アツシの指を見つめる。



リズムが、呼吸を合わせるように揺れていく。




気づけば、打ち込み音源の冷たささえ

温度を帯びて聞こえた。










最後の音が鳴り止む。







スタジオには、微かな機械のノイズと、

三人の呼吸音だけが残る。








「……なあ」


ヒカルが、静かに言った。


「今の、ちょっとゾクッとしたよな」








アツシは黙ってベースを見下ろし、

わずかに息を吐いた。











「気が合うね。僕も、だ」









その言葉に、ヒカルはにやりと笑い、

アンプのボリュームを少しだけ上げた。






音楽が始まる時の、あの独特の静けさ。

たぶん三人とも、それを肌で感じていた。

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