7.永遠などなくても

 小春日和のあたたかな日差しに、土に汚れた封筒がかざされた。

「手紙、本当にありましたねえ……」

 アルフレッドが、のんびりとした声で言う。キースは、その屈託の無さに思わず吹き出した。

「あることは知っていたんだろう」

「そうなんですけど。でも、こうやって実際に手にしてみて、初めて実感が湧くというか」

 以前ふたりで街へ遊びに行ったとき、落ち葉を踏みながらそんなことを言っていたなと思い出す。

 常緑樹ばかり植わった屋敷の庭には、落ち葉はほとんど見られない。

 キースとアルフレッドは、ホーリーランド領の屋敷にいた。庭の東屋に、ふたり並んで座っている。

「これでワイアット公は、約束を果たしてくれますかね?」

 アルフレッドが静かな声で尋ねた。キースは「そう祈るしかないだろう」と答えた。



 あの夜は、士官学校に駆けつけた憲兵隊が事態を収拾した。

 バルコニーにいた者たちは、学校の応接間に集められ、そのまま留め置かれた。憲兵による聴取はおざなりで、その理由は、数時間後――すっかり夜も更けた時刻にアイザック・ワイアット公爵が王都より駆けつけるからだった。

 アイザックは、しかし、自身を迎えた一同の視線が冷ややかなことに気がついた。

 彼の到着を待つ数時間のあいだに、キースはマイルズとウォーターズに伝えていた。

 みずから命を絶ったある蟲と――アイザックが自殺を教唆したのではないかという疑惑について。

 アルフレッドは、自身がその証拠となる手紙の存在を知っていると認めた。

「……わたしはおまえの言うことなど信じない」

 すっかり消沈したマイルズは、小さな声で言った。

「信じる、信じないは卿の自由ですが。隣国との密通には、重大な処罰が待っているのでは?」

 キースの発言ははったりだったが、マイルズはますます顔を青くして俯いた。

 キースはウォーターズに目をやった。

「教官も。なんらかの術を使って蟲を操り、わたしの命を危うくしたというのであれば、反逆罪は免れません」

 彼は今さら己のしたことの重大さに気づいて、ガタガタと震え始めた――反逆罪となれば、死刑に処される可能性もある。

 ウォーターズが震える声でつぶやく。それはまるで、独り言にも、呪詛の言葉にも聞こえた。

「わたしは誰も傷つけたくなかっただけだ……蟲など作らなければ……アルケミストが蟲など作らなければ、誰も不幸にならなかった……蟲自身も生まれてこなければ苦しまずに済んだのだから……せめて、元きたところへ戻すぐらい……」

 キースは小さく息を吐くと、マイルズに向き直った。

「ですが、事態をするだけの権力をお持ちの方がいらっしゃる。あなたのお父上です。そしてお父上にも、知られたくない秘密がある」

 マイルズは俯いたまま、尋ねた。

「なぜ、こんなことをする? おまえになんの得がある? 今すぐ、わたしたちや父上を憲兵隊に突き出せばいいじゃないか」

 キースは小さく微笑んだ。

「生憎、今のわたしにはなんの後ろ盾もない。正直に証言したところで、あなたやお父上と親しい憲兵隊が信じるかどうか……。それよりも、お父上の温情に縋るほうが確かそうだ。そういうことですよ」

 マイルズは舌打ちをした。キースが「わたしには」と言ったことは、気に留めなかったようだった。

 現れたアイザックは、怒りと屈辱に顔色をどす黒くしていた。

 隣国の工作員たちが扇動していたのは蟲だけでなく、人間――それも自身の息子であったと知ったからだ。

 このような事件を起こすことで、士官学校内に蟲の反乱分子が入り込んでいることを社会に知らしめる。そして、それを理由に士官学校から蟲を排除する。

 しかし、事件は始まりに過ぎない。やがて、すべての蟲たちを反乱分子予備軍としてファームに送り返す。同時に二度と蟲たちが生まれてこないように規制を行い、送り返された蟲たちが死に絶えると同時に蟲は絶滅する――そのような筋書きだったとマイルズは語った。

「なにも、火のないところに煙を立てようとしたわけではありません。蟲たちが人間に不満を抱いているのは事実なのですから」

 それに、とマイルズは続けた。真実を知った今や賛同が返ってくると疑わぬ目で、父を見上げながら。

「わたしの望みは、父上と同じはずです!」

「そのために国を売ってどうする!」

 アイザックの怒鳴り声に、応接間はしんと静まり返った。

 会話のあいだじゅう、アイザックはキースのほうを見なかった。ただ、最後に低い声で尋ねた。

「おまえの望みは、何だ?」

 どうすればわたしを許してくれる、と問われた気がした。許すものかとキースは思った。許さない。けれど、今は。

「わたしとアルフレッドに、今回の事件の累が及ばないようにしてください。それから、マイルズ卿とウォーターズ教官には、公職からの追放を望みます」

「……尽力しよう」

 アイザックは顔を手で覆って、うめいた。



 アルフレッドの「前世」は、ホーリーランド領の山奥で眠っていた。屋敷から徒歩でよくぞここまでと驚くほど遠くの山の、崖の下にいた。アルフレッドが「二番目の記憶」を辿り、彼の亡骸までたどり着くことができた。

 朽ちかけた服の内ポケットに、やはり朽ちつつある封筒が残されていた。なんとか筆跡は読めた。よく知った、の字だった。

 アルフレッドは山道を歩きながら語った。

 早くにファームを出た、まだ少年と呼ぶのがふさわしい見た目の蟲が、どれほど過酷な人生を送ったか。流されて辿り着いたホーリーランド領での暮らしも決して楽ではなかったけれど、時折「奥様と坊ちゃまから」と振舞われる甘い菓子を楽しみにしていたこと。使用人たちの部屋の掃除に回っていたときに、運悪く、ワイアット公爵とあの人との口論――と呼ぶには一方的な叱責を目撃したこと。命令されて、あの人が首を括るための縄と踏み台を納屋から取ってきたこと。あの人が遺書を書くあいだ、そばで見張らされたこと。それから……。

 屋敷の東屋で、キースは封筒から便箋を引き出した。これ以上、損傷が広がらないよう、丁寧な手つきで。

 それは、残された遺書の続きだった。内容の大部分は、遺される周囲の人間への感謝。そのなかに、「理を説いてくれたワイアット公爵には感謝をしている」という一文があった。それを、キースはひそかに忍ばせた小さな反撃の針だと思った。

「なにがなんだか、細かいことは、字を読むのがやっとのにはわかりませんでしたが……あの方は、ワイアット公爵に殺されたんだと思いました。そして、俺がそのことを知っていると、ワイアット公爵は知っている。いつか俺も殺されるかもしれないと恐ろしくなって……けれど、もし殺されるのであれば、俺はこういうわけで殺されたんだと証明するものが欲しくて……この便箋を抜いて逃げました」

 それが正しかったのかどうか。アルフレッドはつぶやいた。

「その場に残していたら、伯父が見つけて燃やしてしまった可能性もあっただろう」

 キースは、手紙の末尾に視線を落とす。

 そこには署名があり、心を通わせた――心だけを通わせた彼が、口癖のように言っていた言葉が添えられている。「心は永遠にあなたのそばに」。

「手紙の存在を知っていたなら、わたしに話してくれればよかったのに」

 そうすれば、アルフレッドはワイアット公爵家に怯え続けることなく済んだのではないだろうか。

 アルフレッドは肩を竦めた。

「どのタイミングで話したら、俺を信じてくれましたか? 出会い頭に『あなたの伯父君はとんだ裏切り者です』と言って嫌われればよかった? それとも、あなたとキスし損ねたあとに、負け惜しみみたいに告げれば?」

 キースは答えることができなかった。アルフレッドは、苦い笑みを浮かべた。

「すみません、あなたを責めたいわけじゃないんです。あなたをお守りすると決めていたけれど、俺はそんなこともわからなかったなと思って。……それにあなただって、大変な譲歩をしているんだし」

 なにかを吹っ切るように、ぐう、とアルフレッドはのびをした。

「あなたは窮地を切り抜けるために、取引をしたわけですけど……ウォーターズ教官やマイルズ卿は本来よりもずっと軽い罰しか受けない。なにより、ワイアット公自身に処罰は及びません」

 それでいいんですか? と視線だけで尋ねる。

 キースは、ゆっくりと手紙をたたんだ。たたみながら言葉を探す。

「ワイアット公のしたことを、あの人の死の直後に知っていたなら、殺したいほど憎いと感じたかもしれないが……今はどちらかと言えば安堵の気持ちが強い」

 「安堵」とアルフレッドは繰り返した。「ああ」とキースはうなずいて、しかしそれ以上は語らなかった。

 あの人が死を選んだのは自分のせいではなかった、という安堵。けれど、自分が彼を守ることができなかったのも、また事実だ。

 キースは淡い色をした空を見上げた。

「おまえの『前世』の存在を知ったのは、母の墓参りに屋敷を訪ねたときだった。あんなに深刻な話なのに、わたしたちは笑いながら話したよ。キッチンに侍女たちを訪ねて、わたしのためにと焼いてくれたクッキーを皆にも振舞って。『キースさまがこんなに楽しい方だったなんて!』と新顔の侍女には言われたな。古株の侍女は『だから言っていたでしょう、ほんとうはお優しい方なんだって』と勝手に鼻を高くしていた」

 「ふふ」とアルフレッドも笑った。それで、許されたような気になる。

 キースはアルフレッドの目を見つめた。ぱちりと、白いまつ毛がまたたく。キースは笑いかけた。

「おまえの言うとおり、問題はなにも解決していない。隣国の干渉は続くだろうし、マイルズたちのように蟲を排除しようとする者がいなくなることもないだろう。だが……」

 キースは、そっとアルフレッドの手を握った。ベンチのうえに置かれた白い手を。アルフレッドは驚いて目を見開いたが、拒絶はしなかった。

「わたしはひそかに軽蔑していた母のことを、信じられるようになった。ずっと嫌いだった自分のことも。信じられるようになったのは、おまえの話を聞いたからだ。そうして周囲の者に心を開いてみれば、おまえと同じように、敬愛を持ってわたしと話をしてくれる者がいることもわかってきた。あの侍女たちのように……」

 アルフレッドは黙ったまま、こちらを見つめている。

「わたしは、わたし自身を……そして大切な誰かを守るために、心を閉ざして殻に閉じこもっていた。けれど、これからは話をしてみようと思う。そうやって、わたしを好きだと言ってくれる友人を増やして……おまえを守れたらいいと思う」

 「あなたが俺を?」とアルフレッドは茶化すように笑ったけれど、「そっか、あなたのほうが俺よりも強いんでしたね」と気づいて、ちょっと拗ねた顔をした。キースは含み笑いをこぼす。

「……師の仇を討とうとするのではなく、こんなふうに考えるのは薄情だろうか?」

「わかりません。だけど、俺たち蟲にしてみれば、愛した人が俺たちの生涯よりもはるかに長い時間、憎しみを抱いて生き続けるよりは……」

 アルフレッドが、繋いだ手をきゅっと握った。どくんと心臓が高鳴った。

「『愛した人』?」

「『大切な誰か』?」

 互いの言葉尻をとらえて、微笑みあう。もう、なにも怖いものなどないと思った。

「アル」

 短く名を呼ぶ。愛称で呼ばれたアルフレッドの大きな瞳が、うれしそうにきらめいて、「はい!」と応える。

「……まだ僕にキスをしたい?」

 アルフレッドが目を見開いた。じんわりと白い頬が赤く染まっていく。アルフレッドは視線をさまよわせて、「そりゃそうです」となぜだか悔しそうに認めた。

「あなたになら、いつだって、キスしたい……」

「じゃあ、キスしろ」

 キースは言った。心の奥底で絡まりあっていた糸が、ほどけていくような感覚があった。

「そして、二度と僕のそばから離れるな」

 アルフレッドがくしゃりと泣きそうに顔を歪めた。

「それがあなたのご命令なら、いえ、ご命令じゃなくたって、必ず……」

 それから、すう、と息をひとつ吸い込んで、微笑んだ。

「この短い命の限り、ずっとそばでお守りします」

 ゆっくりと、アルフレッドが顔を近づけてくる。顎を取られる。目を閉じる。

 初めてのキスは、やわらかくて、あたたかかった。

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