2:エスとノルマン
***
部屋でうだうだ言っていても仕方がないのは確かなので、キリに連れられる形で外に出た。暗く重い灰色の雲が空に敷き詰められている。長らくーー五年程度ーー独房にいた身としては、外の空気は濁り澱んでいても新鮮な味がした。
社会から隔絶されていた身だが、外の世界には鉛のような重苦しさが蔓延しているのを感じる。それほどまでにアトラ社の没落は、世の中に暗い影を落としているのだ。
笑い声が聞こえる。笑っている子供たちの中に、聞いたことのある声が混じっていた。
見ると、正方形の土俵に回転するコマを射出し、それを弾いて勝敗を決めているようだった。そして、どうやら、彼女ーーエスが勝利をしたようだった。相手の子供の頭を撫でくりまわし、修行が足りてないな、と笑っていた。
「隙あり!」
子供の一人が彼女のスカートをめくるが、めくれずに短いパンツが見えるのみだ。
「ぎゃはははっ、愚か者! これはキュロットだ! だけど、スカート捲りはやめとけよ。じゃあな〜。次、……」
彼女は一度言葉を飲み込みかけた。しかしすぐに取り繕うような笑みを浮かべる。
「次、いつになるか分からんけど、いたら相手してやるから。パーツカスタムしとけよ。何で負けたか考えとけ〜」
じゃあね〜、と子供たちは散り散りになっていく。
エスは子供たちと別れて、建物の方に歩き始めてようやく私たちを視認した。
「げ、見てたの。いつから」
「さっき。スカートめくられたところ」
「スカートじゃなくてキュロットだけど」
昨日の囚人服とは異なり、黒のノースリーブのハイネックシャツと同色の短いキュロットスカートの出で立ちで、髪の結び目には目の色と同じ翠のリボンをつけている。そんな可愛らしい出で立ちになるだけで、昨日の印象とは少し異なる。思春期の少女らしさを強く感じた。大人と子供の狭間の、どうしようもない不安定さを。
「……ガキ共に聞いたんだけど、セントラルって何しても怒られないらしいんすけど。知ってた?」
「王国時代から、何をしても赦される街って触れ込みだったから」
「リヴァイア出身のあたしが言うのもなんなんすけど、人殺しても無罪なところ多すぎ。なのに、あたしらには人を殺しちゃダメって共通認識があるのって地味に凄くないっすか? 道徳って大事なんすね」
風が吹き抜ける。あまりにも冷たい風だった。
「やば、ダル、雨降ってきそう」
「晴れ間なんて拝めませんよ。『晴れの魔術』はアトラ社と共に沈みましたから。よくてまだらな曇り空です」
「……アトラ社跡地、行くことになってるじゃないすか。明日から。それが上手く行けば、あのガキどもに晴れ間の下で遊ばせること、できるんすかね」
耳を澄ますと、遠くで先程の子供たちの笑い声が聞こえてくる。
彼らは青空を知らない。奪われたことすら知らない。いずれ、奪われたことを知った時、それをどう思うのだろう。
エスは風に吹かれた時から、大事そうにリボンを押さえている。私がそれを見ているのに気づいたのか、手をすっと下げた。
「他人を理由にして危険に踏み込むのはよくないと……」
「じゃあ自分を理由に? 自分を願いにするんすか? あたし、それは多分、向いてないっすわ」
私の言葉にやや食い気味に、彼女は言葉を重ねた。
他人を大義名分に自らの命を危機に晒す行為は、私は破綻すると思っている。祝福が転じて呪いになるように、他人への思いやりが憎悪になり、目的が『こんな自分にさせた』他人への復讐に転じるのを、私は見てきたから知っている。
ましてや、うら若き少女だ。自分のために生きて欲しい。その願いを語弊なく伝えられる自信がなくて、黙り込んでしまった。
「『次』があればいいなぁ……」
その狭間に、彼女は呟いた。いつになるか分からない『次』を、彼女は当たり前のように信じて、同じ強さで諦めている。
「えと、何か用だったんじゃないんすか、リーダー」
彼女は取り繕うように言った。
「ああ、そう。レイシアさんにチーム名を決めろって言われて。それで皆の話を聞こうって。今日中に決めないと、スーパーコギト連合になっちゃう」
「クソダサ。命名センスカス。ゴミ」
「……そんなに酷いですか?」
命名者は不服そうにしているが、私たちは強く頷いた。
「まあ、リーダーならあたしら全員を知れってレクなんすかね。あたしは案ないっすけど、スーパーコギト連合を避けるためなら死力尽くすこともやぶさかじゃないっすわ」
だから教えてあげる、と言いながら、エスは遠くの噴水の方を指した。
「あっちでさっきノルマンさん見たんすよ。あたしがガキどもと戯れる前。つーか、ノルマンさん見かけて話しかけようとしたらガキに絡まれたんす」
「絡んだんじゃなくて?」
「絡まれたの! いいから、行ってらっしゃい」
***
ちょうど子供たちが走っていったのと逆の方向だ。水が噴き上がり終わる頃だった。その噴水の縁に猫背気味に座る人の肩口から紫煙が揺蕩う。
噴水の周りには人が少ない。その中で私とキリが来たので、反射的にこちらを見た。くすんだ黄色がこちらを一瞬無感情で捉えたが、私たちを認識すると微笑んで手招きをする。
「噴水、ついさっき終わっちゃった。一足遅かったねぇ。見て、背中びしょびしょ」
彼は苦笑いしてそう言いながら、吸い終わったタバコを捨てる。
彼も囚人服とは異なり、今日は爽やかな青のシャツと黒のインナーシャツに、カーキ色のパンツという格好をしていた。髪もしっかりセットされていて、昨日よりしっかりとした大人の男性の印象を受ける。
「そっちから来たってことは、エスちゃんには会ったね。さっきまで男の子と遊んでた声がしてた」
彼はそう言いながら、指先まで飛んだ水滴を払って立ち上がった。本人の言う通り、びしょ濡れになった背中が水を含んで、彼の後ろにぽたぽたと水を落とす。
「ひゃー、冷たーい。パン食べてたら突然噴き上がってきてさ〜」
食べていたと言う割にはパンの袋はないし、ポケットにも入っている様子がない。シャツの胸ポケットにタバコの箱と安物のライターが入っているのみだ。
「この噴水は一時間に一回噴き上がります。特に十二時は派手に」
「じゃあさっきのは小噴き上がりかぁ。小噴き上がりってなんだ……」
自分の言葉に自分でツッコミを入れながら、彼は視線を再び噴水に向けた。
「セントラルの噴水はちゃんと噴水してていいねぇ」
「リヴァイアの方はそうじゃないの?」
そう問うと、彼の目がいっとうくすんだ色になったように見えた。
「まあ、ねぇ。あそこ、国境沿いだし、傭兵街だし。決まった時間に何かしら音が鳴ると、……邪魔、なんだわ」
急に彼の声が冷たくなる。その声があまりにも冷たくて、理解すればするほど重量を持つ鉛のように胸に落ちていく。顔を見ることが出来なかった。血と硝煙の匂いが、確かにした。
そうして、彼の顔から視線を下ろした先で、彼の手が指鉄砲を作った。その銃口は彼の頭を狙っている。
「誰だって、撃たれて死にたくないじゃない?」
冷たかった。冬場の噴水の水よりも。その言葉が。
「あ、でも、ぽいものはあるよ。水が貯めてあるだけ」
「水が噴き上がらなければ、それは大きな水たまりではないでしょうか」
「そうなるね。狙撃手を水面の反射で発見するためって触れ込みらしいけど」
彼の言葉には戦場が根付いている。今も、発見してもその時には遅いよね、と軽く笑っているが、生活と戦場が地続きになっている。そうじゃなきゃ、せっかく無料の食堂があるのに使用せず、さっと食べられるようなパンを選んで、ーーそして、こんな遮蔽物もないが狙撃手が狙うための見通しのいい高所もないような場所に、背中を濡らしながらいるわけもない。
「昨日はよく眠れた?」
眠れているわけがないよな、と思いながら探るように言った。だって、今目の前にいる私だって信じていない。さらに得体の知れないレイシアさんたちの用意した場所で眠れるはずがない。
真意を探ろうと黄色の目がこちらを見た。
「そりゃあ、もう」
ぐっすりと眠れたよ、とは続けなかった。文脈的にそう続く言葉を返しつつも、断言はしない。この人は多分、口が上手い。私よりずっと。遥かに上手だ。
「あ、もしかして健康確認? リーダーちゃんとやってて偉いね〜、優秀優秀! 昨日カインくんにリーダーやりたくねぇパンチ打った人とは思えないや」
「早く忘れて! それは!」
リーダーの話が出たので、話題を転換するにはいい機会だ。そういえば、と話を続ける。
「リーダー任務としてレイシアさんにチーム名を決めろって言われて。それでみんなの事知ろうと声をかけたんだ」
「ふーん。僕のことは知れた?」
「どうだろう。おっちょこちょいなのは分かったかもね。それで、今日中に決めないと、チーム名がスーパーコギト連合になるんだ」
「えぇ、笑うとこ?」
「完璧なネーミングだと自負しております」
「嘘ぉ……」
二人でキリを見る。いつもの無表情に、どこか自信が宿っている。私には「馬鹿野郎」と罵られ、エスには「クソダサ。命名センスカス。ゴミ」と一蹴され、ノルマンに引かれ、散々な扱いを受けているのにどこからここまで自信が湧いてくるのだろうか。
「そういうことなら、頑張って。僕には案はないから、他の子達を探しに行くといいよ」
彼はヒラヒラと手を振る。確かにいい時間だ。彼に別れを告げ、キリと共に噴水広場を後にした。
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