第8話「色彩の魔法」

 ――儀式から十一ヶ月が過ぎた、早春のことだった。


 石鹸の完成から一ヶ月。領民たちの間で、明らかな変化が現れ始めていた。


「若様、見てください!」


 村の広場で、一人の母親が幼い娘を連れて僕のもとにやってきた。少女は清潔な衣服を着て、健康そうな頬を紅潮させている。


「この子、去年の冬は何度も病気で寝込んでいたんです。でも今年は、石鹸のおかげで一度も熱を出していません!」


「それは良かった」


 僕は少女の頭を撫でた。衛生改善の成果が、確実に現れている。


 だが、その時、母親がぽつりと呟いた。


「ただ……せっかく綺麗になった服も、色が褪せてしまって……。もっと鮮やかな色の服を着せてあげたいんですけど、染料は高くて……」


 その言葉が、僕の心に引っかかった。


 清潔になった服。次に求められるのは、美しさだ。


   ◇


 その夜、僕はOracleに問いかけた。


「Oracle、この領地で手に入る材料で、布を染める方法はあるか?」


『検索します……天然染料に関する情報が見つかりました。無料クエリの範囲内で、基本的な情報を提供できます』


「頼む」


『領地内で入手可能な天然染料の候補:』

『1. ウォード(青色):領地の丘陵地に自生する植物』

『2. 茜(赤色):川沿いに自生する植物』

『3. クチナシ(黄色):薬草として既に栽培中』

『4. 胡桃の殻(褐色):森に豊富に存在』


「これらで染色できるのか?」


『はい。ただし、色を定着させる媒染剤と、正しい染色手順が必要です。詳細情報には1マナクリスタルが必要です』


 僕は少し考えた。マナクリスタルは貴重だ。だが、染色業が成功すれば、石鹸と合わせて領地の収入源になる。


「わかった。使ってくれ」


 僕は、第4話の衛生改善で獲得したマナクリスタルの一つを取り出した。これで残りは2個になる。


『マナクリスタルを消費します』


 青白い光が手から吸収されていく。


『ダウンロード開始……天然染料の抽出法、媒染剤の種類と使用法、染色温度と時間の管理、色止め技術……』


 膨大な知識が、頭の中に流れ込んできた。


   ◇


 翌日、僕はセナを呼んだ。


「セナ、新しいプロジェクトがあるんだ。布の染色をやってみたい」


「染色……ですか?」


「ああ。君の薬草知識が必要なんだ」


 僕は、Oracleから得た知識を説明した。セナの目が輝く。


「クチナシは、私も扱ったことがあります! 黄色の染料になるんですね」


「そうだ。それに、茜も薬草として使われることがあるらしい。君の知識が活かせると思う」


「わかりました! お手伝いします!」


   ◇


 染色の実験は、領主館の作業室で始まった。


 まず、セナが採取してきたクチナシの実を煮出す。鮮やかな黄色の液体が、鍋の中で揺れている。


「次は、媒染剤だ」


 僕は、Oracleの指示通り、木灰から抽出したアルカリ性の液体を用意した。


「布を染料液に浸して……」


 白い麻布を、黄色い液体に浸す。じっくりと時間をかけ、繊維に色を染み込ませる。


「次に、媒染剤で色を定着させる」


 染料液から取り出した布を、媒染剤の液に浸す。化学反応が起こり、色がより鮮やかに変化していく。


「すごい……色が、もっと濃くなりました!」


 セナが驚きの声を上げる。


 最後に、水で洗って余分な染料を落とし、乾燥させる。


   ◇


 翌日、乾いた布を手に取った時、僕たちは息を呑んだ。


「美しい……」


 それは、明るく鮮やかな黄色だった。太陽の光を思わせる、温かみのある色。


「エルス様、これなら……売れますね!」


「ああ。でも、黄色だけじゃ足りない。もっと色のバリエーションが必要だ」


 その後、僕たちは様々な染料を試した。


 茜の根から抽出した赤色。ウォードの葉から得られる青色。胡桃の殻から作る褐色。


 そして、複数の染料を組み合わせることで、緑色、紫色、オレンジ色……様々な色を作り出すことに成功した。


「Oracle、これで染色業として成立するか?」


『分析します……需要予測:王都の中流階級を中心に、手頃な価格の色鮮やかな布への需要が高まっています。成功確率:78%』


「十分だ」


   ◇


 一ヶ月後。


 僕たちは、村の女性たちに染色技術を教える教室を開いた。石鹸作りに続く、第二の技術移転だ。


「まず、染料となる植物を採取します。クチナシの実は秋に、茜の根は春に……」


 セナが、薬草採取の経験を活かして丁寧に説明する。


「次に、煮出して染料液を作ります。温度が大切です。沸騰させすぎると、色が悪くなります……」


 女性たちは真剣な表情で聞き入っている。


「これで、自分たちの服も染められるんですね!」


「はい。そして、余った染布はマルコさんが王都で売ってくれます」


 石鹸に続き、染色も領地の新しい産業として動き出した。


   ◇


 その夜、僕は執務室で、手元のマナクリスタルを数えた。


 残りは2個。まだ使い道を決めていない。


「Oracle、現在の無料クエリ残数は?」


『本日の無料クエリ:残り3回』


 v1.1にアップグレードしてから、1日7回まで無料で質問できるようになった。おかげで、日常的な疑問や小さな改善なら、マナクリスタルを使わずに済む。


「それでも、大きな技術革新にはマナクリスタルが必要だ……」


 僕は窓の外を見た。春の気配が、確実に近づいている。


 もうすぐ、僕の十六歳の誕生日。成人の儀式から、丸一年が経つ。


 この一年で、領地は大きく変わった。輪作、衛生改善、石鹸、そして染色。


 だが、まだ道半ばだ。借金は依然として重く、領地の財政は不安定なままだ。


「次は……何をすべきだろうか」


 僕の問いに、Oracleは答えた。


『提案:まもなく行商人との接触機会が訪れる可能性があります。交易による収入の拡大を推奨します』


「行商人……」


 その言葉が、僕の心に深く刻まれた。


(第8話 了)


次回予告:第9話「行商人との出会い」


成人の儀式から一年が過ぎた。

輪作の成功、石鹸と染色の事業化。領地は確実に変わりつつある。


そんな時、一人の商人が領地を訪れる。


「やあやあ、あなたがこの領地を変えつつあるという噂のエルス様ですな?」


マルコ・ロッシ――この陽気な商人との出会いが、エルスの運命を大きく変えることになる。

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