クロノス魔導司書官の事件録―悪評公爵令息は聖女の助手となる―
巴 雪夜
転生しても事件からは切り離されない、とは
第一篇:聖女との最初の事件
第1話 転生した記憶を取り戻し、事件を引き寄せる
レイテシア王国ハンブリア国立図書館は国内一の蔵書量を誇る。一般書から魔導書まで揃っている館内は広大だ。
四階建ての小さな城と形容して良い外観に反して、館内はシンプルな内装をしている。
各部屋によって保管されている蔵書の場所が区切られており、閲覧するために設置されたテーブル以外は本棚で埋め尽くされていた。
室内は広く本棚は天井につくほどの高さだ。日の光があまり射しこまないが、灯火の魔法で点けられたランプが館内を優しく照らす。
「貴方ってほんっと最低ね!」
「ただ〝つまらない女だ〟と、本当の事を言っただけだが?」
「つまらない女ですって! 子爵令嬢だからってバカにしないでよ!」
「バカにはしていないが、令嬢には似つかわしくない言動だとは思っているな」
「っこの、ふざけないでよ!」
魔導書が管理されている本棚の前。魔導士服が似合う栗毛の若い女性が怒鳴って――勢い良く頬を叩いた。ばちんと良い音を鳴らして。
「爵位が低い相手だからって何もしないと思ったら大間違いよ!」
「……なるほど」
すたすたと歩いて行ってしまう女性の背を眺めながら、クロノス・リーグベルトはぽつりと呟く。
少しばかり痛む頬を撫でてから襟足の長い黒髪を掻いて、紅玉の切れ長な眼を細めた。端正な顔立ちを悩ましげにさせてから深く息を吐き出す。
「転生……した、とは……?」
クロノスはつい先ほど、自分が転生者であることを思い出した。きっかけは今、子爵令嬢に頬を思いっきり叩かれた時だ――頭の中に記憶が流れ込んできた。
この世界とは違う場所で自分は刑事であったこと、事件の捜査中に殉職したこと全て。二十二歳にして〝今更〟思い出したのだ。
「何故、叩かれて思い出す……しかも、遅すぎる。俺はもうだいぶ悪評が立っているぞ……」
クロノスの評判は悪かった。公爵家であるリーグベルト一族は様々な分野で活躍している。騎士として、商売人として、魔導士として。
優秀な家系であるクロノスはその名に恥じぬ実力の持ち主として、魔導書を扱うことができる魔導司書官という希少な職に就いた。
だが、クロノスは私生活が酷かった。今、起きたように女性は去る者は追わず来る者は拒まずで、自分よりも爵位の低い相手や平民に対して冷たい態度をとっていたのだ。
はぁと溜息を零して、黒い魔導士服の裾を整えながらどうしたものかと考える。刑事だった時の記憶が少しばかり胸を痛ませた。
「この前世の記憶は正しいのか……。しかし、先ほどの彼女が話せばまた悪い噂は広まるな……どうしたものか」
転生した記憶が戻ったからといって、焦るようなことはなかった。
感情がぐちゃぐちゃになったりだとか、そんなものはなくて、冷静だ。言葉にするならば、他人事のようだった。
そう、他人事なのだ。実感というのがなく、ただ思い浮かんだだけ。
そもそも、この記憶が本物なのかも分からない。この場に保管されている魔導書がたまたま見せた幻覚かもしれないのだから。
とはいえ、この記憶を無下にすることもできず。クロノスはどうしたものかと思案しながら、魔導書が積まれたブックトラックを引いて歩く。
「そこの司書官」
背後から凛とした声がした。クロノスが振り返ってみれば、一人の若い女性がゆっくりと歩いてくる。
馬の尾尻のように結われた長い灰髪がゆらりゆらりと揺れる。クロノスを見止めている猫のような紫の瞳は眼光が鋭く、幼く見える可愛らしい顔には似つかわしくない。
純白の聖職者の服に身を包む、小柄でありながらスタイルの良い、少女に見えなくもない彼女を、クロノスは知っていた。
「これはレミリア聖女様じゃないですか」
レミリア・アーゲンベルデ。二年前、十八歳の時に聖女として認められた精霊に愛されし祝福の
彼女に手を出そうものなら精霊たちからの報復を受けることになる。それだけでなく、民たちにも慕われているので、下手な事をすれば反感を買うだろう。
だから、クロノスは丁寧な口調でなるべく穏やかに返事を返した。聖女を敵に回してまともに暮らしていけた人間などいないから。
「貴方がクロノス・リーグベルト魔導司書官で間違いないかしら?」
「俺がクロノスで間違いないですよ。何か御用でも?」
「余計な配慮は不要です。普段通りの貴方で話しなさい、〝カラス〟さん?」
カラス。レミリアが呼んだ名にクロノスはあぁと納得する。彼女は知っているのだ、自分の評判を。
悪評が広がれば、それだけ噂の種のとなる。けれど、公爵令息という立場上、名指しで噂を口にするのは憚られた。
結果、黒を基調とした魔導士の上着とレザーパンツを着こなす姿を元に、あだ名が〝カラス〟になったのだ。クロノスはこのあだ名を知っていた。
聖女様なのだから多くの人と交流し、話を聞く機会はある。その中で自分の悪評を耳にすることなど容易い。
今更、取り繕っても無意味だと判断したクロノスは、「では、そうさせてもらうさ」と、普段の口調へと戻す。けれど、物腰柔らかに。
「俺の評判を知っていながら話しかけてきたってことは、何か用があってのことだろう? 聖女様からお𠮟りを受けるような悪さは……していないと思うが」
「貴方自身に関することでありません。貴方のお母様が経営しているジュエリーショップ:アンジャベルのことです」
ジュエリーショップ:アンジャベルはリーグベルト家が管理・経営している宝飾店だ。クロノスの母アイリーンがオーナーをしている。
クロノスは関わっていないので、詳しい内情などは知らない。なので、どうして声をかけられたのか不思議だった。そもそも、あまり家の事に興味がない。
「ジュエリーショップの内情を俺は知らない。母上が詳しく……」
「宝石窃盗事件が起こったのをご存じかしら?」
クロノスの言葉を遮るようにレミリアは話を進める。最後まで聞いてほしいのだがと思いながらも、クロノスは窃盗事件と記憶を辿った。
そういえば、母がえらく怒っていた。新作のネックレスに使う宝石が盗難にあったと。思い出した記憶のまま、クロノスが「母上から聞いている」と答える。
「母上がえらく怒っていたからな。今は警察隊が捜査をしているという話だが」
「そのジュエリーショップから〝穢れ〟の気配を感じたのです」
穢れ。この世界における厄介な魔物だ。悪魔と違って穢れは人間の心に潜み、闇に落とす。
気配は感じ取れても、誰に憑りついているかまでは聖女であっても判断ができない。
憑りつかれた人間は私利私欲に溺れて破滅の道へと進む。そうして落ち切った魂を食らうのが穢れだ。
穢れを浄化することができるのは聖女や高名な聖職者と限られている。
今回のジュエリーショップ窃盗事件に穢れの気配を感じたことで、聖女であるレミリアが浄化のために捜査しているようだ。
「それで、俺にどうしてほしいんだ」
「貴方には私の捜査の協力をしてほしいのです」
「はぁ? 他に優秀な騎士様がいるだろう?」
「貴方のお母様からの条件なのですよ」
穢れが引き起こした事件とはいえ、犯罪を捜査するのは警察隊の役目だ。
聖女は穢れが誰に憑りついているかの捜査をするにも、事件に関わっている関係者への許可が必要と義務付けられている。
それは聖女としての力をむやみに振りかざさないためだ。事件の捜査をかき乱さないように注意し、関係者の不安を解消するためでもある。
穢れは浄化しなければいけない存在ではあるが、聖女であっても勝手な行動は許されないのだ。
「店のオーナーである貴方のお母様に〝わたくしの息子であるクロノスを傍に置くならば、許可なく自由にしてくれていい〟と言われたのです」
警察隊であっても自分の所有物である店舗を勝手に漁られるのは気分が良くない。
事件解決のために仕方なく協力はするけれど、自分の目の届かないところで商品を扱われるのは嫌だ。
信頼している息子が傍で警察隊もろとも見張ってくれれば安心できる。そう母アイリーンは話していたとレミリアは言う。
なんと面倒な。クロノスは出かけた言葉を飲み込む。
聖女としては許可なく自由にできるというのは魅力的なはずだ。
穢れの捜査をしやすくなり、何かやらかしてしまったとしても、〝自由にしてくれていいと言いましたよね?〟と切り返せるのだから。
「ちなみにだが、それは断ることはできるのか?」
「聖女の頼みを断ったと人々に知れ渡っても良いのであれば」
にこりと笑むレミリアにクロノスは渋面を作る。聖女の頼みを断ったなど知られれば、非難されるのは想像できた。彼女の支持は厚いのだ、敵に回したくはない。
ただでさえ、悪評が広まっているというのに。自分には断る権利など初めからないのだ。
「わかりましたよ、聖女様。ご協力しましょう。今の時間は……十七時ですか。もう少しで閉館なので終業した後で大丈夫だろうか?」
「構いません。ロビーで待たせてもらいますので」
ではとレミリアは歩いて部屋から出て行った。その背を見送ってからクロノスは深い溜息を吐き出す。
「穢れの捜査とはいえ、事件というのに関わることになるとは……」
思い出された前世の記憶が過る。刑事として事件を捜査していた時の事を。部下と共に現場を確認し、聞き込みをして、犯人を逮捕した出来事。
この記憶が自分のものなのならば、異世界に転生した先でもそういった事件に関わることになるのか。クロノスはこうもタイミングが良いと、こじつけたくなるなと苦笑した。
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