第2話:最強の「お目付け役」

昨日の今日で、通報したチンピラたちは『謎の突風による負傷』として処理されたらしい。ミオの仕業だと気づく者は、当然ながらいなかった。 世界最強の魔術師が起こす現象は、もはや天災と同じ扱いなのだ。


「ただいまー」 「おかえりなさい、お兄ちゃん! 今日は早いですね!」


学校から帰宅すると、リビングには不釣り合いな光景が広がっていた。 俺の妹ミオが、なぜかエプロン姿で(それはいつものことだが)、その向かい側に見慣れない女性がカチコチに緊張した様子でソファに座っている。


リクルートスーツを隙なく着こなし、黒縁の眼鏡をかけた知的な女性。歳は二十代半ばだろうか。 だが、その表情はこわばり、額にはうっすらと汗が浮かんでいる。


「……お客さんか? ミオ」 「違います。不法侵入者です」 「不法侵入者をリビングに通すなよ……」


俺が呆れて言うと、女性はガタッと立ち上がり、深々と頭を下げた。


「お、お初にお目にかかります! 私、内閣府直属・超常現象管理局、通称『管轄局』の橘アオイと申します! 相葉ユウキさんですね!」 「は、はあ。どうも……」


管轄局。 それは、異能者や魔術師を管理し、ゲート対策を行う日本政府の特務機関だ。テレビでも時々その名前を聞く。


「あの、妹が何か……」 「いえ! とんでもない! むしろ、相葉ミオさんは我が国……いえ、世界の宝です! 我々はミオさんを『保護』し、そのお力をお借りしたく……」


橘さんが必死に説明する横で、ミオはプイと顔をそむけ、俺の腕に絡みついてきた。


「お兄ちゃん、この人、さっきから訳の分からないことばかり言ってます。『人類のために力を』とか『世界平和に貢献を』とか。私、興味ないです」 「こら、ミオ。一応、政府の人なんだぞ」 「政府よりお兄ちゃんの方が大事です」


ミオはきっぱりと言い切り、橘さんを害虫でも見るような目で睨みつけた。 橘さんの胃のあたりが「キュルル」と鳴ったのを、俺は聞き逃さなかった。


「……ユウキさん」 橘さんが、すがるような目で俺を見た。 「単刀直入に申し上げます。相葉ミオさんの力は、あまりにも強大すぎます。昨日も未登録の異能者三名を、半殺……いえ、無力化されたと報告が上がっています」 「あ、あれは事故みたいなもんで……」 「我々は、彼女の力が万が一にも暴走しないよう、お側でサポート……いえ、監視、いえ、お見守りさせていただきたいのです!」


要するに「監視役」として派遣されてきた、ということだろう。 ミオの力がどれだけヤバいかは、俺が一番よく知っている。政府が動くのも無理はない。


「……分かりました。ミオが世界をうっかり滅ぼさないためなら、協力します。なあ、ミオ?」 俺がミオに視線を向けると、ミオは不満そうに頬を膨らませた。 「……お兄ちゃんがそう言うなら、我慢します。でも、この人がお兄ちゃんに一ミリでも触れたら、消します」 「消さないでください! 触れませんから!」


橘さんの悲鳴のような声がリビングに響いた。 こうして、俺たちの日常に、胃痛持ちの監視役(エージェント)が加わることになった。


翌日。 「えー、今日から教育実習生として皆さんのお世話になります、橘アオイです。担当は現代魔術史です。よろしくお願いします」


教壇で完璧な笑顔を貼り付けて自己紹介する橘さんの姿があった。 ……おい。監視役ってそういうことかよ。


俺のクラスに配属とか、あからさますぎるだろ。 クラスメイトたちは「うわ、美人」「スタイルいいな」と囁き合っているが、橘さんの笑顔が微妙に引きつっていることに気づく者はいない。


そして、なぜか。 「同じく、今日から体験入学でお世話になります。相葉ミオです。お兄ちゃんのクラスじゃないと嫌だとゴネたら通りました。よろしくお願いします」 俺の隣の席に、中学生であるはずのミオが、高校の制服(どこで手配したんだ)を着てちょこんと座っていた。


「「「……は?」」」


クラス中の、いや、橘さんも含めた全員の思考が停止した。


「ミ、ミオ!? お前、何やってんだ! 中学校はどうした!」 「お休みしました。それより、お兄ちゃんのそばに不審者(橘さん)を近づけるわけにはいきません。私が全力でお兄ちゃんを守ります」 「不審者はお前だ!」


管轄局は一体何をやっているんだ。最強の魔術師一人止められないのか。 俺が視線で訴えると、橘さんは教壇で静かに目をそらし、ポケットから取り出した錠剤(たぶん胃薬)を水なしで飲み干した。


授業が始まっても、地獄は続いた。


「相葉ミオさん。この古代魔術式(ルーン)の効果について、あなたの見解は?」 橘さんが教師らしくミオに質問を振る。 「……知りません。こんな効率の悪い術式、滅びて当然です」 「ッ……! で、では、これを現代魔術に応用するなら……」 「興味ないです。それよりお兄ちゃん、見てください。今日の卵焼き、お兄ちゃんの好きな甘い味付けで完璧に仕上げました」


ミオは橘さんを完全に無視し、休み時間になるやいなや俺の机に弁当を広げ始めた。 「おい、まだ二時間目だぞ!」 「お兄ちゃんのお腹が空く前に、万全の補給体制を整えておくのは妹の義務です」


俺とミオがそんなやり取りをしていると、クラスの委員長・佐々木さんが恐る恐る話しかけてきた。 「あ、あの、相葉くん……。次の委員会の資料なんだけど……」 「ああ、佐々木さん。悪い、後で……」 俺が佐々木さんに向き直った、その瞬間。


ヒュッ……。


教室の気温が、体感で五度ほど下がった。 音もなく、予兆もなく。ただ、ミオから放たれる無色の殺気……いや、嫉妬のオーラが、教室を満たしていく。


「ひっ……!」 佐々木さんが小さく悲鳴を上げる。 ミオは笑顔だ。完璧な笑顔。だが、目が一切笑っていない。 「お兄ちゃんに、何か御用ですか? 委員長さん」 「い、いえ、あの、資料を……」 「資料。そうですか。お兄ちゃんは今、私と大事な朝食(二時間目)の相談をしているのですが。それを邪魔する、と。……ふぅん?」


ミオが小首をかしげると、佐々木さんの周りだけ、なぜか小さなつむじ風が巻き起こった。


「わー! 窓が開いてましたかね!? いやー、今日は風が強いですね!」


橘さんが、血相を変えて教室の窓(閉まっている)に駆け寄り、無理やり開け放った。 「橘先生、窓、閉まってましたけど……」 「気のせいですよ! さあ、皆さん、換気! 換気しましょう!」


橘さんの必死のフォローで、ミオのオーラはなんとか霧散した。佐々木さんは「後で職員室に置いとくね!」と半泣きで逃げていった。


「……ミオ」 俺がジト目で睨むと、ミオは「だって……」と口を尖らせる。 「お兄ちゃんが、私以外のメスと話してたから……」 「クラスメイトをメスって言うな!」


放課後。 「はぁ……疲れた……」 「お兄ちゃん、お疲れ様です。肩、揉みましょうか? 空間ごと揉みほぐしますけど」 「やめろ、肩が四次元に行くわ」


俺とミオ、そしてなぜか護衛対象(ミオ)より三歩下がって歩く橘さんの三人で、下校路についていた。 橘さんは、今日一日で五歳は老け込んだように見えた。


「橘さん。監視役、お疲れ様です……」 「いえ……私の力不足で……。まさか、管轄局のデータベースを瞬時にハッキングして、自分の学籍を偽造するとは……」 どうやらミオは、俺の学校に来るために、国の機関にサイバー攻撃を仕掛けていたらしい。恐ろしい妹だ。


「ですが、これもある意味、平穏な日常……」 橘さんがそう呟きかけた、その時だった。


校門の前に、不自然な黒塗りのバンが三台、停止した。 中から、黒い戦闘服に身を包んだ男たちが十数人、ぞろぞろと降りてくる。全員が尋常ではない魔力を放っていた。


「……!」 橘さんの表情が、教育実習生のそれからエージェントのものへと一瞬で切り替わる。 「ユウキさん、ミオさん、私の後ろへ!」


橘さんが俺たちを庇うように前に立つ。 男たちの一人が、嘲るように言った。 「見つけたぞ、『終末の魔女』。そして、その『弱点』の兄」 「あなたたちは……非公認魔術結社『ヴォイド』! ミオさんを狙うテロ組織……!」


橘さんの言葉が終わる前に、テロリストたちが一斉に動いた。 「「「撃て!」」」 数人の男たちから、炎の槍や氷の矢が、俺たちめがけて放たれる。


「『反射障壁(リフレクト・シールド)』!」


橘さんが叫ぶと、俺たちの前に半透明の魔術的な壁が出現し、攻撃を弾き返した。 だが、敵の攻撃は止まない。


「ユウキさんは伏せていてください! ミオさん、応戦を! あなたの力が必要です!」 橘さんが叫ぶ。 しかし、ミオは動かない。 それどころか、退屈そうにあくびまでしている。


「ミオ?」 「お兄ちゃん、大丈夫です。あの程度の攻撃、お兄ちゃんに当たる前に私が原子分解しますから」 「そうじゃなくて!」


ミオは、俺に危害が及ばない限り、基本的に他人(世界)に無関心なのだ。


その時、テロリストの一人、リーダー格の男が口の端を吊り上げた。 「――兄貴が大事なら、そいつを守るエージェントを先に潰すまでだ!」


男の手のひらに、他の攻撃とは比較にならないほど高密度の魔力が集束する。 「まずい!」 橘さんがシールドの強度を最大にする。


ズガァァァン!!


圧縮された魔力砲がシールドに直撃。 シールドは派手に砕け散り、その余波が俺たちを襲う。


「くっ……!」 橘さんは、咄嗟に俺を突き飛ばした。 俺は地面を転がったが、橘さんはまともに衝撃波を浴び、左腕を押さえてうめき声を上げた。


「……橘さん!」 「大丈夫……です……! 腕を少しかすっただけ……!」


血が流れている。軽傷ではないだろう。 テロリストのリーダーが、勝ち誇ったように言った。


「エージェントを倒したぞ! さあ、最強の魔術師さんよぉ! 兄貴とそいつを人質だ! 大人の言うことを聞いてもらおうか!」


男がゲラゲラと笑う。 橘さんは負傷しながらも、俺を守ろうと立ち上がろうとしている。


……その時。 空気が、凍った。


先ほどの教室の比ではない。物理的な圧力となって、魔力がミオから溢れ出す。 ミオは、ゆっくりと顔を上げた。 その表情は、完璧な『無』だった。


「……お兄ちゃんのいる学校を」 「……お兄ちゃんの知り合い(橘さん)を」 「……お兄ちゃんの目の前で」


「汚した」


ミオが、テロリストたちに向けて、静かに右手をかざす。 その指先に、世界そのものを塗りつぶすような、暗黒の球体が生まれ始めた。


「まずい……」 橘さんが顔面蒼白になって叫ぶ。 「だめだ! ミオさん! それを使ったら、この一帯が、学校ごと消滅する!」


『ヴォイド』の連中も、ミオが放つ規格外の魔力に気づき、恐怖に顔を引きつらせている。


「さようなら。害虫以下の皆さん」 ミオが、冷徹に呟く。 「『万象消滅(ワールド・デリート)』」


暗黒が、世界を飲み込もうとした、その瞬間。


「待てェェェェ!! ミオォォォ!!」


俺は、地面を転がった勢いのまま、叫んでいた。


ピタリ。 ミオの動きが止まった。 あれだけ高まっていた魔力の奔流が、嘘のように静止する。 ミオが、不思議そうな顔で、ゆっくりと俺を振り返った。


「……どうして止めるんですか? お兄ちゃん。害虫は駆除しないと」 「やりすぎだっつってんだろ! バカ!」 俺は立ち上がり、ミオの脳天に(加減した)チョップを叩き込む。


「あうっ!?」 「学校が壊れたらどうすんだ! 明日からどこで勉強するんだよ!」 「そ、それは……新しく、もっと立派な校舎を私が建てますけど……」 「そういう問題じゃねぇ! あと!」


俺は負傷した橘さんを指差す。 「橘さん、怪我してるだろ! あのテロリストどもを消しちまったら、誰がやったかとか、仲間の情報とか、聞き出せなくなるだろ!」 「……むぅ」


ミオは、俺の言葉と橘さんの顔を交互に見て、不満そうに口を尖らせた。 「……ちぇっ。お兄ちゃんが言うなら、仕方ないですね」


ミオは詠唱を中断すると、かざしていた手を下ろし、 パチン。 と、軽い指パッチンを鳴らした。


直後。 テロリスト集団『ヴォイド』の面々は、目に見えない重力に押しつぶされたかのように、全員が地面に叩きつけられ、白目を剥いて気絶した。 昨日見た光景と、ほぼ同じだった。


「……」


静寂が戻る。 負傷した腕を押さえたまま、橘さんが呆然とつぶやいた。 「……戦略級の魔術を、詠唱破棄で……? いえ、それどころか、あれだけの魔力を一瞬で霧散させた……?」


橘さんは、ミオと俺を交互に見た。 そして、すべてを理解したという顔で、深いため息をついた。


「……分かりました。相葉ミオさんの『お目付け役』は、私では務まりません」 「え?」 「最強の魔術師の『手綱』を握れるのは、どうやら……世界でただ一人、凡人の『お兄ちゃん』だけ、のようですね」


橘さんは、胃薬のボトルを取り出しながら、力なく笑った。 俺は気絶したテロリストの山を見下ろし、 「お前はまったくもう……後始末が大変だろうが……」 と、妹の頭をわしわしと撫でるしかなかった。


「えへへ……お兄ちゃんに褒められちゃった」 「褒めてねぇよ!」


こうして、政府公認の「お目付け役」は、初日にしてその役目を(俺に)奪われることになったのだった。

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