♡ 035 ♡
みなもは手の甲で涙を拭い取り、ギターケースをロッカーの上にそっと寝かせた。
すかさず廊下に飛び出し左右を見渡すと、四人がかたまって水道の方へ歩いていくのが見えた。
力の限り脚を回して追いつくと、みなもは玲奈の腕を捕らえた。そして上がった呼吸の隙間で声を絞り出した。
「謝って」
振り向いた玲奈は嫌悪をありありと顔面に浮かべ、乱暴にその手を振り払った。
それでもみなもは彼女の腕を再び掴み直し、強く睨みつける。
「広香ちゃんに謝って」
「はあ? なんで?」
尻上がりで棘のある玲奈の声が廊下に響き渡り、みなもはたじろいだ。揺らぐ声帯を必死で抑えながら、みなもは絞り出すように言葉を吐き出した。
「謝って、弁償してよ」
「なにを?」
「広香ちゃんのギターケース。インクで汚したでしょ?」
「証拠あるの?」
玲奈は口の端を吊り上げて、みなもを見下ろした。
その言葉に太刀打ちできる材料が手元になく、みなもは奥歯を強く噛み締め、視線を床に落とした。
「二度とあたしに触んな」
玲奈はそう怒鳴ると、ポケットから黒い何かを取り出してみなもの胸ぐらを掴み、それを彼女の頬に突きつけた。
みなもが悲鳴を上げても構わずに、彼女はぐりぐりと抉るようにそれを動かした。焼けるような痛みが頬に走る。
玲奈は投げ捨てるようにみなもを突き放すと、水道のある方へ再び足を進めた。
残りの三人は蔑むような目でみなもを一瞥し、玲奈の後に続いた。
口元をハンカチで押さえ、広香はふらつきながらトイレから出た。
廊下にへたり込むみなもの後ろ姿を見つけて、彼女の元まで震える足を動かす。
「百瀬さん、どうしたの」
と声をかけて、広香はみなもの正面に回り込んでしゃがんだ。その瞬間、視界に映った彼女の顔に愕然とした。手の震えは止まらなくなり、鉄の塊で殴られたような衝撃で身体を支えていられなかった。
俯くみなもの真っ白な頬は、ギターケースの傷と同じインクで乱暴に塗りつぶされていた。
収まりかけていた黒煙が再び身体を回り、広香の心を蝕んだ。
「ごめん、百瀬さん。ごめんね」
みなもは顔を上げて広香をじっと見つめる。広香の眼からは大粒の涙がこぼれ続けた。
ぼんやりと周囲の音が耳に入ってくる。廊下を踏む音や、生徒たちの談笑する声。
その中で、二人の時間はしばらくの間動かなかった。
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