Ⅱ 血塗られた剣

怒れる民

Ⅱ-1 王冠

 アルメの処刑から一週間が経った。

 だが王都の空気は、いまだ冷えたままだ。

 修道会の庇護下にあるツェリスカに対し、連日、民衆が修道院の門前で抗議の声を上げている。

 「裏切り者を出せ」「ガーランド様を返せ」と。怒声は、鐘の音にも似て響いた。

 ツェリスカがガーランドを欺いたという噂は、王都のみならず各都市にも広がっていた。各地で同様の抗議デモが起きており、国中に動揺が走っている。

 不穏の気配は、やがて前線の兵にも届く。兵士たちの間には、王に殉じて戦いを貫こうとする者もいれば、心を冷やす者もいた。温度差は、戦況を左右するには十分すぎた。

 この混迷をどうにか打開すべく、アブトマットは臨時の審議会を召集した。

 臨時召集は通常、半数が集まればよい方だが、今回は違った。

 出席率は百パーセント。誰もが、いまこの国に漂う異様な空気を敏感に察知していたのだ。


「臨時の召集に応じてくれたこと、感謝する」


 会議の冒頭、アブトマットは短く告げた。

 重苦しい沈黙が返ってくる。全員の顔が渋い。

 内政不安の兆候が、もはや隠せぬ形で現れ始めていた。

 暴動とまでは至らぬが、デモの規模は拡大しつつあり、このままでは王都が混乱に飲まれかねない。

 そしてそれ以上に問題なのが、王位継承。

 ヴィルの継承権は既に認められたにもかかわらず、戴冠式の実施は遅れていた。

 理由は一つ。戴冠に必要な諸侯の到着が、デモや混乱の影響で著しく遅れているのだ。

 しかも、ヴィルの即位に反発する声は市井にとどまらない。

 「下賤の出自で玉座など笑止」と、あからさまな侮蔑を口にする者は少なからずいる。

 中には、到着を意図的に遅らせている節すらある。


「一体、いつになれば戴冠式を行えるのだ、大将軍」


 苛立ちを隠そうともせず、ラハティが口を開いた。

 式の準備は既に整っている。残すは、諸侯の参集だけ。

 だがその“最後の一手”が、どうしても揃わぬ。


「戴冠式は、明後日ではなく──明日行う」


「──明日!?」


 驚愕に、空気が弾けた。

 現在王都に着いている諸侯は全体の三分の一にも満たない。半数に届くかどうかも怪しいというのに。


「それでは間に合わぬ者が多数おります!」


 ウィンチェスターが思わず声を上げた。


「遅れる者が悪い。十日近くも空けての即位など、予定のうちだ。今さら来ぬ者は、国王を軽んじる者と断じても文句は言えまい」


 アブトマットは冷たく言い放つと、さらに続けた。


「伝令を飛ばせ。明日、戴冠式を行うこと。遅れた諸侯は爵位と領地を没収、場合によっては国賊として処断する──そう記せ」


 一瞬、空気が凍りつく。

 それは催促ではない。ただの恫喝だった。

 明日などという急な日程に、どう足掻いても間に合わぬ者は多い。


「閣下、せめて明後日では? このままでは半数が“国賊”になってしまいます……」


 カルカノが、たまらず諫めに出る。

 蛇での民衆の押さえ込みに苦労しているカルカノがそれを一番よく理解しているのだ。その混乱を目の当たりにしているからこそ、軽々に火をつける危険を誰よりも理解していた。

 アブトマットは葡萄酒ワインの杯を傾け、ひとつ溜息をついた。


「大僧正は優しすぎるな……分かった。戴冠式は明後日とする。だが伝令の文言は変えぬ。間に合わねば、どうなるかは彼らが知ることだ」


 譲歩ではあるが、誰もがそれを「とりあえずの安堵」と受け取った。

 けれど、彼らの心には確かに芽生えつつあった。


 ──アブトマットは、変わってしまったのではないか。いや、本性を現し始めたのではないか。


 ガーランドのもとでは、これほどまで強引な采配はあり得なかった。

 軍人らしい気性と割り切るには、あまりに冷酷。

 かつての均衡と信頼が、静かに崩れていく。


「──そうだ。今日は王子にもお越しいただいている。明後日には第四六代国王に即位されるのだからな。顔合わせは必要だ」


 そう言ってアブトマットが合図すると、扉が再び開かれた。

 まだあどけなさの残る少年が、護衛に挟まれておずおずと姿を現す。


「は、初めまして。ヴィル・ゾーンです……」


 ぎこちなく頭を下げる。だが──


「王子。貴方はバーテルバーグ家の人間です。“ゾーン”などという庶民名を名乗るのは、今すぐおやめなさい」


 アブトマットの声は、冷え冷えとしていた。

 庶民には姓がない。

 そのため多くは、自身の生まれた街、あるいは城の名を姓として名乗る。

 ヴィルが“ゾーン”を名乗ったのも、シグ家の所領・ゾーン州で生まれ育ったためだ。

 だが──今は違う。

 王族となった以上、旧き名は捨てなければならぬ。


「す、すみません……ヴィル・バーテルバーグです。よろしくお願いします」


 少年は再び頭を下げた。


「……王子。我々は、貴方の家臣です。頭を下げる必要はありません」


 アブトマットは額を押さえた。

 使用人としての習慣は、そう易々とは抜けない。

 このままでは諸侯たちに侮られかねない。

 とはいえ──この子が生きている限り、実権は自分のもの。

 成人するまでは死なれては困る。

 だがそれ以後は──生かすも殺すも、アブトマット次第。

 彼の中では、すでに計画は動き始めていた。

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