プロローグ 第三話

九月。夏休みが終わり、周囲の空気が少しずつ冷たさを帯びてきた頃、ようやく一つの光が見えた。

これまで何十社もの企業に応募して、送った履歴書はほとんどが書類の段階で弾かれていた。わたしはもう、自分の履歴書が見られもしないでただのゴミとして処理されているのではないかとさえ思っていた。だからこそ、その一通のメールは、心臓を鷲掴みにされるほどの衝撃だった。

――「書類選考通過のお知らせ」

その会社は、わたしの家から電車に乗って三十分ほどの場所にある、小さな印刷会社だった。地元の企業だし、募集要項の仕事内容も特別難しそうではなかった。それでも、やっと、やっと、次へ進める。その事実に、わたしは胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じた。

面接当日。わたしは、慣れないリクルートスーツに身を包み、鏡の前で何度もネクタイの結び目を確認した。スカートの丈は大丈夫か、髪は乱れていないか。いつもは適当なわたしが、まるで武装するように自分をチェックする。

「大丈夫、わたし。わたしは、できる」

そう、自分に言い聞かせた。それでも、手のひらは冷たく、汗ばんでいた。

電車に揺られ、降りた駅前の光景は、わたしの知っている高校の周りの景色とはまるで違っていた。ビルが立ち並び、行き交う人は皆、目的の場所へ向かって早足で歩いている。その中にいる自分が、場違いなちっぽけな存在に感じられた。

会社の玄関で、重たいガラスのドアを押した。受付で名前を告げ、案内された面接室は、広々としていて、窓の外から差し込む光が眩しい。長テーブルを挟んで、わたしと、向かい側に座る三人の大人たち。部長クラスの男性、人事担当の女性、なんだか偉そうな社長らしい年配の男性。

緊張で呼吸が浅くなる。深呼吸。高橋先生に言われたことを思い出す。

「自信を持って。笑顔で」

面接が始まると、息が苦しくなるのを感じる。

最初に聞かれたのは、当然、志望動機だった。事前に何度も練習した通りの、無難な回答を話す。しかし、それはすぐに切り捨てられた。

「それだけですか?うちじゃなくてもいいんじゃないですか」

部長クラスの男性の、鋭い声がわたしに降った。わたしの声が、微かに震える。

「あ、いえ……御社でなければ、ダメなんです。御社の、地域に根差した印刷、という姿勢に強く共感し……」

「共感。具体的にどう共感したんですか? うちが提供しているサービス、全部言えますか?」

矢継ぎ早に質問が飛んでくる。それは、事前に調べて頭に入れていたはずの会社の概要を、一つ一つ確認するような質問ではなかった。まるで、わたしの準備不足をあぶり出す、尋問のようだ。

人事の女性は、わたしが言葉に詰まるたびに、無表情で手元の資料に何かを書き込んでいく。そのペンの走る音が、「不合格」という三文字を刻んでいるようで、胸が締め付けられる。

そして、質問は、わたし自身の内面に深く切り込んできた。

「進学の選択肢もあったはずなのに、なぜ就職を選んだんですか?最初から努力を避けたんじゃないですか」

「高校の成績があまり芳しくないようですが、何か理由があるんですか。うちに来ても、頑張れないんじゃないですか」

「あなたの長所は『明るい』とありますが、今、全然笑っていませんね。それも、作られた『長所』ですか」

圧迫面接。頭の中では「冷静に、冷静に」と繰り返しているのに、言葉が出てこない。言葉が出てきても、それは全て、3人のナイフのような質問によって、すぐに切り裂かれてしまう。

わたしという人間を、どこか不具合のある商品のように、隅々まで品定めし、傷つけ、価値がないと証明しようとしている。

高橋先生に「ぼんやりしている」と言われた、あの時の言葉が、今、面接官の口から出てくる。わたしはやっぱり、どこに行っても、無能で価値のない人間なのだろうか。

質問に答えるたびに、声は震え、心臓は潰されそうに鼓動した。それでも、わたしは必死に、顔の筋肉を動かし、笑おうとした。必死に、やる気と誠意を見せようと、身を乗り出した。この面接を乗り越えなければ、わたしは本当に社会から弾かれてしまう。


お礼を言って面接が終わった時、わたしは立っているのもやっとだった。面接室を出た瞬間、どっと疲労感が押し寄せてきて、体が震えた。

電車に乗って、家に帰り着いた頃には、もう夕方だった。

疲れて、スーツのままベッドに倒れ込む。目を閉じて、面接で言われた言葉を反芻する。悔しさで涙が出そうになるが、泣くことすら許されない気がして、唇を噛んだ。



そして、次の日の朝。

わたしは、緊張と不安で、朝早くに目が覚めた。スマートフォンの画面を見る。メールの通知がきている。


わたしが昨日受けた会社からだった。

心臓が大きく跳ねる。恐る恐る、指先でタップする。



件名:採用選考の結果について

「拝啓 時下益々ご清栄のこととお慶び申し上げます。さて、このたびは弊社の採用選考にご応募いただき、誠にありがとうございました。慎重に選考を重ねました結果、今回は誠に残念ながら、貴意に沿いかねることとなりました」



いわゆる「お祈りメール」だった。

わたしは、スマートフォンを握りしめたまま、ベッドの上で呆然とした。

やっぱりダメだった。あの圧迫面接に耐え、必死に自分を繕い、傷つけられながらも答えを出したのに。結果は、たった数行の、定型文のメール。

もう、残された時間は少ない。

今から大学受験をしようにも、遅すぎる。あと半年で、もしどこにも就職先が決まらなければ、わたしは高校を卒業したと同時に、無職として社会に出ることになってしまう。

焦燥と、絶望感が、わたしの全身を支配する。

「どうしよう……」

声に出した、わたしの声は、細くて、弱々しい。

わたしは、本当に、どうしようもない人間なのだ。

自分の価値を否定され、社会から拒絶された感覚が、わたしを深い闇へと引きずり込んでゆく。ベッドの上で、冷たい画面をじっと見つめながら、わたしは、この先どうすればいいのか、全く分からなくなっていた。

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