評議と再始(ひょうぎとさいし)
夕陽はすでに夜に飲み込まれ、空は深い紫に染まっていた。
地平線の向こうに、かすかな星々がひとつ、またひとつと顔を出す。
ハルは静かに立ち上がり、両親の墓の前で手を合わせていた。
その傍らには祖父の姿。
二人の間を流れる沈黙は、どこか優しく、どこか切なかった。
まるで風が、言葉にならなかった想いをそっと運んでくれているようだった。
ハルはゆっくりと祖父の方へ振り向いた。
その瞳には決意と、抑えきれない感情の色が混ざっていた。
「じいちゃん……」
彼は喉を震わせながら言葉を紡ぐ。
「今まで……本当にありがとう。」
祖父は少しだけ眉を上げ、口の端を動かした。
「なんだ、急にどうした?」
ハルは数歩近づき、微笑んだ。
「世界はまだ美しいんだって、じいちゃんが教えてくれた。
……そして俺も、もう一度その美しさを見ることができるって。」
涙をこらえながら、彼は静かに息を吸う。
「そんなことを思えるようになったのは、じいちゃんのおかげだ。
これからは、俺……この世界を違う目で見てみるよ。」
祖父は目を細め、柔らかく笑った。
「そんな大げさなこと言うな。
年寄りの役目はな、若いもんに道を示すことだ。
そうすりゃ、この世界もちっとは良くなる。」
ハルは少し視線を落とし、照れくさそうに笑った。
「それでも……ありがとう。」
祖父は小さく笑い、夜空を見上げた。
満天の星が、静かに光を瞬かせている。
「もうこんな時間か。」
彼は帽子を直しながら呟いた。
「ばあさんに叱られる前に帰るぞ。晩飯が冷めるのは嫌だからな。」
ハルは懐かしそうに笑った。
「うん……ばあちゃん、いつも怒ってたもんな。」
祖父は丘をゆっくりと下り始めた。
その背中から、穏やかな声が届く。
「どうした、ハル。来ないのか?」
ハルはもう一度、墓へと視線を戻した。
胸の奥がきゅっと締めつけられる。
けれど、その痛みの中には確かな安らぎがあった。
「……すぐ行くよ、じいちゃん。」
祖父は軽く手を振り、森の中へと姿を消していった。
その瞬間——空気が変わった。
ハルの背筋に、ひやりとした感覚が走る。
誰かが……いや、“何か”が、静かに近づいてくる。
振り返ると、墓標のそばに“影”が立っていた。
夜の闇に溶けるようなその姿。
だが、不思議と恐怖はなかった。
その存在はゆっくりとしゃがみ込み、墓の上に積もった枯葉をそっと払った。
その仕草は、どこか人間らしく、敬意さえ感じさせるものだった。
やがて、影は立ち上がり、ハルの方を向いた。
月明かりに照らされ、眼のような光が淡く瞬いた。
「——行こう、ハル。」
その声は静かで、どこか懐かしい響きを持っていた。
「まだ、学ぶべきことがある。」
ハルはわずかに息をのんだ。
遠くには、すでに森へと消えた祖父の影。
彼はその方角を見つめ、ふっと微笑んだ。
「……そうだね。」
「俺、もう準備はできてる。」
影は小さくうなずいた。
「——では、次のループへ行こう。」
その言葉とともに、風が一気に吹き抜けた。
草原の花々が銀の月光を受けて舞い上がり、世界が一瞬、白く輝く。
そして——
風が止んだとき、墓地には誰の姿もなかった。
ただ、夜空の星々だけが見下ろしていた。
静かに、永遠に続く“再始”を——。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます