第1ループ — 最初の輪廻
遠くで鐘の音が鳴っていた。
冷たい風が頬を撫で、次の瞬間、懐かしい香りが鼻をくすぐった。
――コーヒーと、焼きたてのパンの香り。
ハル・タカミネ(ハル・タカミネ)はゆっくりと目を開けた。
一瞬、自分がまだ夢の中にいるのだと思った。
「……レナ?」
かすれた声で呟く。
彼女は目の前にいた。
あの柔らかい瞳、少し不安げな笑み。
景色も、空気も、人々の足取りも――すべてが、あの夜と同じ。
「ハル、わたし……あなたに言わなきゃいけないことがあるの。」
心臓が止まった。
その言葉、その声色――全く同じだった。
体が震える。
空気が重くなり、視界が一瞬かすむ。
……ありえない。
ハルは顔を押さえた。冷や汗が流れる。
自分の手を見ると、激しく震えていた。
「な……何が起きてるんだ……?」
「ハル?」
レナ・アサクラ(レナ・アサクラ)は首を傾げた。
「大丈夫? 聞いてるの?」
返事ができなかった。
その時、彼女の背後――人混みの中で何かが動いた。
黒いコートの“あの存在”が、こちらを見つめていた。
前と同じように、微動だにせず、フードの奥で表情を隠して。
そして、ゆっくりと指を一本立てる。
「1」を示すように。
口元が、笑った。
心臓が跳ね上がった。
――これが、最初のループ……?
「ハル!」
レナの声が響く。
「ちょっと、聞いてるの!?」
だが世界が歪み始めた。
街の灯りが揺れ、音が混ざり合う。
次の瞬間、足元が崩れ落ちた。
意識が途切れる。
遠くで、「ジングルベル」が嘲笑うように鳴っていた。
――――
【病院/翌朝】
まぶしい白い光。
ハルは目を開け、何度も瞬きをした。
白い天井。
消毒薬の匂い。
電子音が一定のリズムで鳴る。
「よかった、目を覚ましましたね。」
優しい声がした。看護師が微笑んで近づく。
「急に起き上がっちゃダメですよ。」
ハルは頭を押さえ、痛みに顔をしかめた。
「……ここは……どこ?」
「市立病院ですよ。」
看護師はシーツを整えながら言う。
「昨日、路上で倒れていたそうです。一緒にいた女の子が心配してたけど、その後帰っちゃって。」
「……レナ……」
「え?」
「……なんでもない。」
ハルは視線を逸らした。
看護師はやわらかく微笑む。
「もう少ししたら帰れますからね。しばらく安静にしていましょう。」
彼女が部屋を出て行くと、ハルは天井を見つめた。
「……夢だったのか?」
小さくつぶやく。
そして苦笑した。
「フラれて気絶とか……俺、何してんだか。」
部屋の隅のテレビからニュースが流れていた。
「……昨夜、赤信号を無視した車が暴走し、一人が現場で死亡しました――」
だが、ハルの耳には入らなかった。
あの夜のことも、黒い存在も、全部幻覚だと自分に言い聞かせた。
――――
【午後/夕暮れ】
「高峰さん、退院OKです。」
看護師が書類を渡す。
「ここにサインして、無理はしないでくださいね。」
ハルはため息をついた。
「……ありがとう。まあ、結局何もなかったわけだし。」
「何もないのはいいことですよ。」
看護師が笑い、彼は小さく肩をすくめて病院を出た。
外の空気は冷たかった。
空は群青に染まり、街の灯りが輝き始めている。
「病院で時間つぶしただけか……」
小石を蹴りながら呟く。
「夢だよな、あんなの……」
その時。
「おじさん! これ、落としました!」
背後から小さな声がした。
振り返ると、十一歳くらいの少女が駆け寄ってくる。
風に揺れる短い髪、少し大きめのコート。
少女は手の中で光るものを差し出した。
「これ、おじさんのですよね?」
――銀の星形ペンダント。
ハルの動きが止まる。
「……このネックレスは……」
記憶が一気に蘇る。
12月24日、アルバイトで貯めたお金で買った。
レナに渡すはずだった“クリスマスプレゼント”。
「……ああ、うん。俺のだ。」
少女がにっこり笑う。
「かわいい! 彼女さんへのプレゼントですか?」
ハルは一瞬迷ってから、膝をついて微笑んだ。
「いや……もう違うんだ。」
「え?」
彼はペンダントを見つめ、それから少女に目を向けた。
「……そうだな。これ、君にあげるよ。」
「えっ、本当に!?」
少女の瞳が輝く。
「うん。」
ハルは小さく笑ってペンダントを渡した。
「君の方が似合うよ。」
「ありがとう、おじさん! メリークリスマス!」
「……メリークリスマス。」
ハルは彼女の背中を見送りながら呟いた。
胸の奥が少し軽くなった気がした。
まるで何かを手放したような、不思議な感覚。
「……これでよかったのかもな。」
だが、その安らぎは長く続かなかった。
角を曲がった瞬間、誰かとぶつかった。
「おい、どこ見て歩いてんだよ!」
ハルは思わず声を荒げた。
黒いフードの男。
顔の半分以上が影に隠れている。
――あの存在。
背筋が凍る。
また、あの冷たい笑い声が響いた。
「まだ分かっていないようだな、ハル・タカミネ。」
黒衣の者は腕を組み、低く言った。
「だが心配するな。すぐに理解するさ。」
「お前……やっぱり……!」
ハルは息を呑む。
「そうだ。」
フードの奥の瞳が淡く光る。
「さっきの少女を見て、どう感じた?」
「……どうって……ただ、いらないものを渡しただけだ。」
「ふふ……そうか? あの瞬間、君は誰かを幸せにした。
――本当の意味での“クリスマスプレゼント”を。」
ハルは目を逸らした。
「……大したことじゃない。」
「“大したことじゃない”か。」
声が愉快そうに響いた。
「では、試してみよう。」
パチン――。
指が鳴る音。
風が止まり、光が消えた。
次の瞬間、ハルの頬を夜風が撫でた。
街の灯り、クリスマスの飾り、そして――あの香り。
時計を見た。
23時59分 12月24日
また、同じ瞬間。
「……くそっ……マジかよ……」
ハルは呆然と呟いた。
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