第35話 ​爆破まで、残り30秒。

 米沢涼子は、黒いタクティカルスーツ姿で、豪華な結婚式場のメインエントランスのガラスを蹴破り、内部に突入した。

​ 静まり返ったロビーは、装飾品や花々が並び、数時間後の祝祭を待つばかりの異様な雰囲気だ。しかし、その静寂は、地下のタイマーが刻む「死のカウントダウン」によって破られていた。

​ 涼子は、建物内部の見取り図を瞬時に頭の中で再現する。爆弾が仕掛けられている可能性が高いのは、構造の要である地下駐車場と、戦略監査室の人間が集まるであろう上階の控え室だ。

​「地下駐車場へ!」

​ 彼女は、メイン階段を一気に駆け下りながら、携帯から書記長に最後のメッセージを送る。

​『アメジスト・ガーデン、爆破の危機。腹黒賢の罠。私は地下へ向かう。警察は、絶対にアザミ苑へ。介護士がいない。すぐに援助を』

​ 復讐の炎は、すでに**「正義の達成」**という緊急の使命に上書きされていた。爆破を止めなければ、兄の死に関わる証拠が消えるだけでなく、無関係な人々の命が奪われ、そして、アザミ苑の利用者たちを見殺しにするシステムが、勝利してしまう。

​爆破まで、残り10秒。

​ 地下駐車場。潜入した実行者が、リモート起爆装置の最終チェックを終え、涼子の突入を嘲笑するかのように、冷たい目で階段を見上げていた。

​「米沢涼子…遅すぎたな。これも、全て**『合理的な終焉(ファイナル・デリート)』**だ」

​ 9… 8…

 涼子は、柱に巻き付けられたプラスチック爆弾を目視する。止める時間はない。

​ 7… 6…

​ 彼女は、ボーガン刀を投げ捨てる。その代わり、腰に装着していた対爆発性の特殊な防護シールドを展開し、爆弾が集中しているエリアの逆側の柱の陰に、身を滑り込ませた。

​ 5… 4…

​「間に合わない…!」

​ 3… 2… 1…

 東京・京浜工業地帯:スラム街の報告

​ 同時刻。

​ 東京の京浜工業地帯の片隅に広がる、荒廃した非正規労働者のスラム街。錆びたプレハブや、廃材で作られたバラックが密集する、闇の領域。

​ 夜明け前の薄暗がりの中、斧真弓から逃れた槍宮寛貴は、次の標的の情報を追って、このスラム街の奥深くへと潜入していた。彼の腕には、斧真弓との戦闘で負った打撲の跡が生々しい。

​ 彼の目的は、腹黒賢の組織が隠蔽している、別の「エラー」の証拠を探すこと。

​ 槍宮は、無線機から流れてきた、京都在住の非正規の協力者からの震える声を聞いていた。

​「…槍宮さん。京葉工業地帯のスラムで、新たな事件が発覚しました。信じられない報告です」

​「何があった?」

​ 槍宮は、ボロボロのバラックの隙間に身を隠しながら、周囲を警戒する。

​「バラバラ…バラバラ死体が発見されました。その惨状は、極めて猟奇的で、人間が行ったとは思えない」

​ 報告の声が、恐怖に震える。

​「被害者の身元は…?」

​「遺体の一部から検出された指紋と、最近の失踪者リストを照合したところ、被害者は…岩成いわなり。以前、戦略監査室の裏帳簿の作成に関わっていた、派遣社員です」

​「岩成…!」

​ 槍宮は息を呑んだ。岩成は、腹黒賢の不正の核心を知る人物。彼を保護する計画は、数日前に組織に嗅ぎつけられ、失敗に終わっていた。

​「死因は? 争った跡は?」

​「争った跡は…ありません。まるで、『生きたまま、精密に解体された』かのような…そして、現場には、『伊根満開』のラベルの一部が残されていました」

​ その言葉に、槍宮の全身が凍りついた。

​「伊根満開…それは、米沢拷希さんの遺品にあったものと同じ…」

​ この猟奇殺人は、単なる暴走ではない。これは、米沢拷希の死、アザミ苑の崩壊、そして結婚式場の爆破。全てを裏で操る腹黒賢の組織が、**「証拠隠滅」**の最終段階に入ったことを意味していた。

​ 岩成のバラバラ死体は、腹黒賢の**「汚い策略」の冷酷さと、『エラー』を容赦なく排除する**組織の非情な意思を、最も残虐な形で示していた。

​ 槍宮は、手にした警棒を強く握りしめた。彼の「正義の再起動」は、この惨劇を前にして、さらに重く、そして絶望的なものへと変貌していた。彼の目の前には、汚い策略によって全てを失った、もう一人の同志の末路がある。

 京都・結婚式場(直後)

​ ゼロ秒。

​ 地下駐車場で、轟音と共に爆発が発生。しかし、それは、構造柱を破壊するほどの主要な爆発ではなかった。

​ 爆弾のいくつかが、何らかの理由で起爆しなかったのだ。

​ 涼子は、防護シールドの陰で、爆風と熱に耐える。彼女の耳には、遠く離れたスラム街の**「岩成のバラバラ死体」**の報告が、爆発音よりも重い衝撃として響いていた。

​「まだだ…! まだ終わらせない…!」

​ 彼女は、爆発の余韻が残る地下駐車場から、まだ生きている怨藤、そして末たか子がいるであろう上階へと、血と硝煙の中を、復讐の刀を手に、駆け上がっていく。

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