第30話 槍宮寛貴

 涼子と妖瀬はるかの激闘が琴引浜で繰り広げられているその裏側、京都から遠く離れた、東京の巨大なオフィスビルの屋上。

​ そこは、腹黒賢が率いる派遣会社、あるいはその背後にある組織の中枢を担う、戦略監査室が入るビルの頂点だった。夜風が、ヘリポートのマークを凍てつくように撫でつける。

​ 高層ビルの最上階のドアを突き破り、一人の女が屋上に躍り出た。彼女は、血と硝煙の匂いを纏いながら、粗い息を吐いている。全身を覆う迷彩柄の服、そしてその手には、巨大な**戦斧(バトルアックス)**が握られていた。

​ その女こそ、斧 真弓おのまゆみ

​ 彼女は、妖瀬はるかと同じく、組織の実行部隊に属する特異な存在だった。斧の刃が、都会の夜景の光を、血を求めるように鈍く反射させている。

​ 斧真弓は、無線機に手をやった。

​「…琴引浜の妖瀬より連絡。米沢涼子は、兄の死で完全に変質した。『復讐者』と化し、戦術が予測不能だ。私の獲物が、あの女に奪われる可能性が出てきた」

​ 無線機の向こうから、冷たい、男性の声が返る。

​「構わん。君の標的は、米沢涼子を追う『非正規の刺客』だ。その刺客こそ、我が社の『エラー』を修正しようとする、もう一つの邪魔者。米沢涼子と接触される前に、処理しろ」

​ 斧真弓は、血塗られた刃を風にかざす。

​「了解。この場所で、獲物が待っている。奴は、私を『頭』と誤認し、この屋上に来るはずだ」

​ 彼女の狙いは、米沢涼子とは別の**「追跡者」**、組織の不正を内部から暴こうとする、あるいは、涼子の動きをサポートしている第三の存在だった。

​ 数分後、屋上を照らす作業用ライトの影から、一人の男が現れた。彼は、地を這うような低い姿勢で、警戒しながら進む。その手には、最新鋭の小型ドローンと、通信傍受装置が握られていた。

​ 男は、斧真弓の姿を認め、眉をひそめる。

​「戦略監査室長、腹黒賢。まさか、お前が自ら…」

​ 男は、斧真弓を腹黒賢本人だと誤認していた。

​斧真弓は、斧の柄を肩に担ぎ、獰猛な笑みを浮かべる。

​「残念だったな、エラー。私は、腹黒ではない。私は、斧真弓。お前を、このビルの『エラーファイル』として、永久に**削除(デリート)**する役だ」

​ 彼女は、会話を打ち切るように、巨大な戦斧を振り上げた。屋上のコンクリートが、斧の風圧で震える。

​「米沢拷希の死は、お前たち**『正義の非合理』が、我々『悪の合理』**に勝てない証拠だ。お前も、そこで塵になれ!」

 ​斧真弓は、咆哮とともに、地獄の番犬のような突進を仕掛けた。重い斧の打撃が、男の居た場所を粉砕する。

​ 男は、紙一重でその一撃を避け、屋上の縁まで追い詰められた。

​「…くそ! 米沢涼子は、こんなバケモノと戦っていたのか!」

​ 彼は、涼子を案じながら、その場で態勢を立て直す。手にした通信機器は、もはや武器ではない。

​高層ビルの屋上。夜風が唸り、斧の激しい金属音が響き渡る。斧真弓と、「非正規の刺客」との、命を賭けた屋上戦が、今、開始された。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る