第5話 ローンウルフの覚悟と二人の決意
朝倉病院は、停電とシステムエラーによって、一時的な混沌に陥っていた。警備員たちはVIP病棟と地下研究施設の間で混乱し、その隙を米沢涼子が突いた。彼女は、廊下の非常灯の赤い光だけを頼りに、旧病棟へと続く、長くて暗い通路を走っていた。
一方、プローン・ポジションで病室に横たわる広田涼子は、極度の緊張の中にいた。警備員が数分おきに病室のドアを覗きに来る。広田は、深呼吸を繰り返し、意識を集中した。彼女が衰弱していると信じ込ませるために、脈拍と呼吸を意図的に弱く保っていた。
(米沢、頼むぞ…)
その時、通信機から米沢の微かな声が聞こえてきた。
「広田さん、旧病棟に入ったわ。警備は手薄よ。だが、家族の場所が特定できない。部屋が多すぎる…」
「冷静になれ、米沢。カラスはあんたの家族を『証拠』として確保しようとしていると言った。証拠は、隠す場所より、監視しやすい場所に置くはずだ。集中警備の場所を探せ」
広田は、腹這いのまま、静かに指示を出した。
その瞬間、広田の病室のドアが勢いよく開いた。カラスとその護衛が、苛立ちを隠せない表情で立っていた。
「広田!貴様、何様のつもりだ!大人しくしているとでも思ったか!」
カラスが怒鳴った。
広田は、呻き声だけを上げ、プローン・ポジションを崩さない。
カラスは、広田の様子を疑いの目で見たが、米沢が仕込んだ体温計と脈拍計のデータが、広田が極度の衰弱状態にあることを示していたため、警戒を緩めた。
「チッ、米沢の奴め、無駄な抵抗を…」
カラスは護衛に命じた。
「米沢は必ず旧病棟にいる。広田はここから動けない。総員、旧病棟を制圧しろ!特に、最上階を徹底的に探せ!」
カラスと護衛が病室を後にし、広田は安堵の息を漏らした。カラスは、米沢の家族が最上階にいるという、米沢自身の最大の**『希望』を、裏を返せば最も『監視しやすい場所』**だと踏んだのだ。
「最上階だ、米沢!」
広田は通信機に囁いた。
米沢は、広田からの情報を受け取り、無人のはずの旧病棟の階段を駆け上がった。警備員たちが駆けつける一歩前で、彼女は最上階の奥にある、二重ロックされた一室を見つけた。
「ここよ!」
米沢は、非常用の解錠装置を操作し、強引に扉を開けた。部屋の奥には、恐怖に顔を歪ませた彼女の夫と幼い娘が、縛られて囚われていた。
「パパ!ママ!」娘が泣き叫ぶ。
「大丈夫よ!今助けるから!」
米沢は、手際よく家族の拘束を解き始めた。
しかし、その時、背後の廊下から、複数の足音が迫ってくるのが聞こえた。カラスの手下たちが、追いついてきたのだ。
「米沢涼子!貴様、やはり裏切り者だったか!」
米沢は、家族を壁際に隠し、自身は**たった一人(ローンウルフ)**として、廊下の入り口に立ち塞がった。彼女は、かつて外科医としてメスを握っていた手で、床に落ちていた金属製のバールを拾い上げた。
「私の家族に指一本触れさせない!」
米沢の覚悟は、彼女が背負う家族の命の重さだった。彼女は、医師としての冷静さと、母としての決意を胸に、襲いかかる武装した男たちに立ち向かった。バールを振り上げ、一人、また一人と、男たちを倒していく。
その凄まじい戦闘は、広田の想像を遥かに超えていた。米沢は、ただの医師ではない。彼女は、組織の裏側で、何かを学び、そして、生き残るために戦闘術まで身につけていたのだ。
数分の激闘の末、米沢は満身創痍になりながらも、すべての追手を撃退した。彼女の顔には血が滲んでいたが、その瞳には、家族を守り抜いた強い光が宿っていた。
「広田さん…家族を…確保したわ」
米沢の掠れた声が通信機から届いた。
「今から、家族をこの部屋に残し、あなたと合流する…**『薬剤』**は、どこ?」
「地下研究施設の処置室だ。メインの薬剤庫は、処置室の隣にある。米沢、俺が警備を惹きつける。あんたは薬剤を奪い、家族と合流後、事前に教えた脱出ルートを使え」
「ダメよ。あなたを一人にしない。私たちは、二人でこの朝倉病院の闇を暴く契約をしたはずだ」
米沢は、家族を部屋に残し、再び暗闇の廊下へと踏み出した。彼女は、もはや組織に飼いならされた医師ではない。家族のために立ち上がった、孤高のローンウルフだった。
二人の「涼子」は、それぞれの場所で、組織の心臓部への突入を試みる。そして、その先には、広田の記憶を操作するための**『特殊な薬剤』**が、静かに待っていた。
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