世も末涼子

鷹山トシキ

第1話 ​悪の檻、二人の「涼子」

 2025年12月、横浜

 ​海風が吹きつける、横浜の埠頭にある巨大な廃倉庫。そこは、日本経済の中枢に巣食う、大規模な闇の組織**『インペリウム(支配)』**の秘密施設の一つだった。

​ 広田涼子(32歳)は、鉄骨に手錠で縛り付けられ、荒い息を繰り返していた。彼女は神奈川県警捜査一課の刑事であり、半年にも及ぶ潜入捜査の末、この組織の核心に迫ろうとしていたが、罠にはまり拘束されたのだ。

​「フン。優秀な刑事だと聞いていたが、所詮は檻の中の獣か」

​ 目の前には、『インペリウム』の冷酷な幹部、**「コードネーム:カラス」**が立っていた。カラスは、涼子の手元に置かれた警察手帳を嘲笑うかのように指で弾いた。

​「広田涼子。我々のデータベースによれば、貴様は正義感が強すぎる。それは、この世では弱点にしかならない」

 ​涼子は、血の滲んだ唇を噛み締め、カラスを睨みつけた。

​「あんたらの悪事は、必ず、この私が暴く!」

​ その時、倉庫の重い鉄扉が開き、もう一人の人物が連行されてきた。彼女もまた、手錠をかけられ、顔に微かな傷を負っている。その人物は、清潔な白衣の上からでも、その知的な雰囲気が伝わってくる、凛とした女性だった。

​ カラスは、冷たい笑みを浮かべて彼女を紹介した。

​「こちらは、米沢涼子(35歳)。都内の名門病院で、将来を嘱望されていた優秀な脳外科医だ。だが、彼女は、我々の**『計画』**の情報を漏洩しようとした裏切り者だ」

​ 広田涼子は、驚きと困惑の表情で、もう一人の「涼子」を見つめた。

​「女医…が、なぜ…?」

​ 米沢涼子は、広田の視線を受け止めたが、何も語らず、ただ静かにカラスを睨み返した。彼女の瞳の奥には、恐怖ではなく、深い怒りと、諦念が混じり合っていた。

​「米沢先生。貴様は、我々が開発中の**『特殊な薬剤』の副作用と危険性を、外部の医療機関に伝えようとした。それは、組織の利益を脅かす行為だ」カラスが言った。「広田刑事。米沢涼子は、今後、貴様の『治療担当』**となる。裏切り者を監視させるには、最適だろう」

​ 広田は、思わず声を上げた。

​「治療担当だと?冗談じゃない!こんな奴らの手など借りるか!」

​ しかし、米沢涼子は静かに言った。

​「私は、外科医です。患者を治療するのが、私の仕事だ。それが、たとえ、この**『世も末』**のような状況下であっても」

​ 米沢の口から出た「世も末」という言葉に、広田は強い既視感を覚えた。

​ カラスは、二人の「涼子」の対面を面白がるかのように、高笑いした。

​「そうだ、二人の涼子。この場所は、この**『世も末涼子』の物語の始まりだ。一人は正義を貫こうとした者。一人は、裏切り者。そして、二人とも、今や私どもの『檻』**の中だ」

 カラスは、米沢の手錠を外し、広田のそばに立たせた。米沢は、冷静に広田の傷の状態を診察し始めた。そのプロフェッショナルな態度に、広田は違和感を覚える。

​「なぜ、裏切ったあんたが、こんな所で医者を続けているんだ?」広田は、米沢に問いかけた。

​ 米沢は、広田の傷に消毒液を塗りながら、冷たい声で答えた。

​「私の家族は、組織に囚われている。彼らを生かすためには、私は組織の指示に従い、ここで**『死んだ者』を『生かし続けなければならない』**。それが、私の罰です」

​ 広田は、米沢の顔の奥に、深い絶望と、隠された決意の炎を見た。二人の「涼子」の邂逅は、悪の組織『インペリウム』の支配下で、皮肉な形で始まったのだ。

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