第46話 母にも母がいる

 それから三ヶ月、あかりは就活を続けた。そして十二社を受けて全滅した。


「社会って厳しい……」


 あかりはスーツ姿でやさぐれていた。自室のベッド上で「残念ながら〜」と書かれた封筒の中身をじっと見ては天井を見る、を繰り返していた。


 ほとんどは書類で落とされたが何社かは面接に通った。しかし、面接で「今は作業所に通ってるということですが、その前のこの十九年の空白期間は何をしていたですか?」と言われた瞬間、パニックになってしまい、ろくに応答できなかった。障害者雇用なので作業所に通っていることは評価されるが、それでも面接では空白期間の説明をしなければならない。


「ハロワの面接の講習、受けた方が良かったのかな……」


 ハローワークの障害者雇用の専用窓口のスタッフは障害者雇用はそこまで空白期間を気に

しないと言っていたが甘かったのだろうか。


 あかりは起き上がって、しわにならないようにスーツを脱いでクローゼットのハンガーにかけた。シャツも脱いで部屋着になってまたベッドに寝転ぶ。


 スマートフォンを取り出して桃プリンにメッセージを送る。最近は忙しくてなかなかメッセージを送れていなかった。


《また求人に応募しましたがダメだったみたいです。面接で空白期間のことを聞かれると苦しくて受け答えができなくなります。自分が情けないです》


 するとすぐに返信があった。


《就活って苦しいですよね。でも落ちても諦めないレッドガーディアンさんは立派です》


 そして最初のメッセージにいいねがつく。するとホッとして笑みが漏れる。まだ頑張れそうだ。


「お姉ちゃん!」


 こんこんとノックされた後に美希が入ってくる。その慌てた様子に驚いたあかりは起き上がった。そういえば今日は土曜だから美希も昼から家にいるのだ。


「どうしたの、美希? そんなに慌てて……」

「おばあちゃん、死んだって」


 その日、あかりの母方の祖母が亡くなった。風邪をこじらせた肺炎だった。







 葬儀会場に母の泣き声が響く。


「お母さん、お母さん……!」


 葬儀は大阪の母の実家の近くで行われた。あかりは引きこもっていた間ずっと冠婚葬祭に参加してこなかったので喪服を持たない。急なことだったのでレンタルせず、美希が大丈夫というので就活のスーツに中に黒いカットソーを着ていた。スーツって便利だ。


 葬儀会場は中規模ほどのホールで会場には白い花が飾ってあり、ポツポツと喪服を着た人がいる。たくさんの椅子が並んでおり、祭壇のような場所に祖母を納めた棺が飾ってある。


 棺の中を見ると綺麗に化粧を施された祖母が眠っていた。静かで美しく幼い頃に怒られた祖母と同一人物とは思えない。


(おばあちゃん、あんまりあった事ないけど厳しい人だったな)


 正直、あかりはあまり悲しくなかった。見知った人の死自体は悲しいがその程度だ。母の嘆きようを見ると自分が薄情なのか疑う。美希はあかりのそばにいるが、父は面倒そうにさっさと外にタバコを吸いに行ってしまった。


「弓子、もうそんなに泣いても仕方ないでしょ」


 叔母が棺から離れない母の肩に手を置く。秋江という母の姉は縁は薄いものの優しくてあかりは好きだった。


 母が祖母の棺に手を伸ばす。


「……私、一生お母さんに認めてもらえなかった。まともな人間になれなかった」

「何言ってるの。二人も子供を産んで十分立派でしょ」

「……でも、あかりが」


 すっとあかりに視線が集まる。


 あかりが十七年引きこもっていたことは親戚では周知の事実だ。いや、親戚はあかりの最近を知らないから二十年引きこもりのままだと思っているだろう。だからこういう場には出たくなかったのだが。


 すっと美希が前に出る。


「お母さん、お姉ちゃんはまともでしょ。就職活動だってしてるじゃない」


 ざわと葬儀会場がざわめく。どうやら美希は母に話しかけるだけではなく、親戚にも説明する意味で少し大きな声を出しているらしい。ようやくまともになったのか、今更就職活動って手遅れじゃないのか、という小さな囁きがあかりの耳を掠めた。


「美希、あんたはいいけど、でも……あかりは」

「あら、あかりちゃん、就活してるの?」


 叔母の秋江が戸惑ったように見つめてくる。ずっと触れてはいけない話題だとあかり自体を避けていたのだろう。美希が庇ってくれたので、あかりも大きな声で話す。


「はい。今まで家族に迷惑をかけてきたと思っています。今度は就職して社会復帰できるように頑張ります」

「あらあら、まあ。弓子、それなら教えてくれて良かったじゃない」


 ホッとした眼差しを叔母は母に向ける。しかし、母は納得していないようだった。


「だってそれは障害者の……」


 障害者という単語は小さすぎてあかり以外には聞こえなかった。


 また母は祖母の棺に向かって、今度は泣くことなく数珠を手に当てた。


「お母さん、最後までまともになれなくてごめんなさい」


(お母さん……?)


 母も祖母に認められたかったのだろうか。あかりのように。


「……お母さんもあんなにこだわらなくて良かったのに」


 小さな声が耳を掠める。あかりが振り返るとそれは叔母の秋江の声だった。







 葬儀はつつがなく進んだ。あかりは腫れ物のように話しかけてこない周囲の視線にかなり疲れたが、美希がそばにいてくれたのでなんとか持ち堪えた。元引きこもりへの周囲の反応などこんなものだろう。父は本当に面倒らしく、特に母には付き添わず最低限だけ葬儀に参加した。


 出棺の時また母は泣いていた。それは祖母への愛情だけではなく、認めてほしかったという執着もあるのではとさっきの会話から邪推する。あかりはその気持ちは分かる。あかりは母に認めてほしかった。


 精進落としの料理を美希と並んで食べているとようやく終わったのだとホッとする。大変だったが、冠婚葬祭に参加する、これも社会復帰の一環だろうか。


 それに気になることがある。


「あの、秋江おばさん」

「あかりちゃん?」


 納骨の儀を済ませると焼き場の前であかりは叔母に話しかけた。もう帰るところだ。


「あの……こうしてまた会えたし、連絡先交換しませんか? 私、親戚の連絡先って全然知らなくて」

「いいわよ。私もあかりちゃんにまた会えて嬉しいもの。もう二十年ぶりかしらねえ……」


 叔母のLINEの連絡先を手に入れた。母は発達障害なのか? とは聞けなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る