第15話 嫌な女あらわる

 小遣いを溜めて買ったノイズキャンセリングイヤホンをつけて電車に乗る。


(よし、雪白さんに聞いてみよう)


 アジールに向かう電車の中でそう決意する。これまで雪白の指示に間違いはなかった。これからものことも雪白に聞けば間違いない。


 三宮駅を降りて港の方向へ歩く。駅からそこそこ歩く会場を杖をついた雪白が選んでいることが不思議だったが、本人に聞いたところバスがあるらしい。


 あかりもそのバスを使うことが増えたが、今日はダイエットのために歩いていく。綺麗だったスニーカーは傷み始めていて買うことも考えたほうがいいかもしれない。


 会場に着くと少し顔見知りになった常連に目を合わせて主催者の元へ行く。あかりは弾けるような笑顔で雪白に手を振って近づく。


「雪白さん!」

「……誰、あんた?」


 あかりの身が凍りついた。雪白の隣に知らない女性がいる。何かを熱心に話していたようで割って入った形のあかりを酷く冷たい目で見ている。


 ワンレンの肩まで茶髪を伸ばした年上の女性だった。中肉中背で黒いパンツスーツに黄色とグレーのボーダーのカットソーをきている。名前のシールのところに「ブルース」と書いてある。変な名前だ。いや、どんなニックネームも自由に名乗っていいのだが。


 釣り上がった目でじろりをあかりを睨んでいる。


「見えないの、今は雪白さん、私と話しているんだけど」

「だ、だって、雪白さんは私と」

「アカリさん、いらっしゃい。ごめんね、今はブルースさんと話しているからまた後でね」


(ゆ、雪白さん〜)


 後回しにされて泣きかける。なんだかんだあかりは雪白を精神的支柱としていて、いつものように話ができないだけでかなり動揺する。しかし、その雪白当人に言われるとすごすご引き下がるしかない。


 それからずっとあかりはブルースを遠くから睨んでいた。会計をすませ、コップにファンタグレープを注ぎ、とりあえず人のいない席に座って、じっと雪白とブルースが立ち話をしている様子を見る。


 雪白はいつものように春の花の如くニコニコとしていたが、ブルースという女性は妙に攻撃的であかりは何度か止めに入ろうかと思った。


「どうしてもっと前から宣伝してくれなかったんですか、雪白さんが自助グループやってるって聞いたらすぐ来たのに」

「SNSは引退する時に全部消しちゃってね。これからはアナログでいこうかなと……でもブルースさんはずっと私を探してくれたのね」

「カリンさんが教えてくれなければ来ることもできませんでした。あなたほどの人がどうして……」


 何度か席を移動して、近くの席で耳を象のようにして盗み聞きする。どうやらブルースはどうしてアジールが開催していることを教えてくれなかったかと言っているらしい。


 そういえばあかりはたまたまチラシを拾うことでアジールに繋がったがあれがなかったら診断名だけを抱えて途方に暮れていただろう。そう思うとゾッとする。ブルースは繋がりたくても繋がれなかったということで多少は怒りも理解できる。それでもじっと睨むのはやめられない。


(はやく終われ〜)


 遠くからあかりはそう念を送ったが雪白とブルースの会話は長引き、時計が一時間を経過したところであかりは肩を落として、他のグループに混じった。


 アジールには今は十人ほどが参加していた。女性限定の会なので全員女性だ。アジールはあかりが行き始めた頃にできたので一年で十人ほどの参加者が来るようになっていた。


 ふとあかりは気付く。会場には常連もいて顔見知りもいるがほとんど話したことがない。いつもあかりは他の参加者とは話さず雪白とばかり話していたのだ。





 十七時を前にしてアジールは閉会する。会場の片付けが始まってしまう。


(結局、ほとんど雪白さんと話せなかった〜。この女ずっと話してばっかりで!)


 悪鬼のような目であかりはブルースを睨むが彼女はそよ風を受けたかのようにツンとしているだけだった。他の参加者とは話せたが、あかりは雪白以外とはなかなか打ち解けられず、聞き役ばかりであまり話した気がしない。他の人には「これからどうしたらいい?」なんて聞けない。


「アカリさん!」

「ゆ、雪白さん……」


 折りたたみ椅子を片付けているとやっと雪白が話しかけてくれた。ブルースは別の場所で椅子を片付けていた。


「き、今日、雪白さんに話したいことがあったんです! 私、アジールにきて一年経ちました。これからどうすればいいですか!?」


 大声で遠くでチラリとブルースが視線を送った気がするが気にしない。雪白はうんうんと頷く。


「そんなに経ったのね! だからアカリさん、アジールのスタッフやってみない?」

「ええっ!? む、無理です! スタッフなんて私にはできっこありません!」


 即答する。雪白の目に若干の落胆が見えてあかりは死にたくなった。

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