第29話 蒼空と雪 ①

 ゆっくりと休憩させてもらった後、最後の荷物を受け取ってようやく俺の住むマンションまで戻って来れた。もちろん荷物は二重三重の袋に包まれているので、雨の浸透はないはずだ。とはいえレインウェアの方は度重なる激動の末、ついには大雨の殴り合いに負けたのか、既にオーバーキル状態だった。雨水が完全に貫通し、中に着ている制服までびっしょりと濡れてしまっていた。


 いつものように白神さんから荷物を家の玄関で受け取ったところで、彼女のスマホが震えだした。すぐさま電話に出た彼女だったが、生憎のこの天気。風切り音が凄過ぎて、思うように会話が出来ない様子だった。そこで俺は彼女に家の玄関の中まで入ってもらうことにした。


「あっ、もしもし玲奈ちゃん? 今度は聞こえる?」


 どうやら相手は加賀さんらしい。彼女は昨日の時点で準備を終わらせていたので、今は自宅に居るはずである。わざわざこの天気の中、外出していなければの話だが……

 いくら知り合いだとはいえ、電話の内容を盗み聞ぎするのも良くないと思い、俺はその場を離れ奥の部屋に一旦引っ込もうと思ったところ、彼女から驚愕した声が聞こえ足を止めた。


「えっ!! それ、本当なの!?」


 彼女がいきなり大声を上げたので、俺はすぐに玄関へ引き返し彼女に声を掛けた。


「白神さん、どうかしたの? 何か問題でも?」

「……水瀬君、どうしよう」


 加賀さんとの通話を終わらせ、こちらに振り向いた彼女表情はとても悲観的だった。


「川の増水で橋が… 橋が通行止めになってるって……」



 台風の大雨により、川の水が急激に上昇。その為、氾濫の危険ありとなってしまい近隣の橋は全てが通行止めに。白神さんの家がある川の向こう岸まで渡ることが出来なくなってしまったのだ。加賀さんはその情報を先ほどキャッチしたということで、こうして彼女に連絡をして来たわけなのだが、時すでに遅し。ネットで調べてみると13時過ぎには既に通行止めが始まっていたということなので、喫茶店を寄らずに彼女を学校の時点で帰していれば、ギリ間に合ったかどうだかという感じではある。


 ともあれ、こんな玄関先ところで呆けててもただ虚しく時間が過ぎていくばかりだ。俺はもちろんのこと、彼女もレインポンチョではもう防ぎきれていない状態だったので、制服がびっしょり濡れていた。緊急事態ということもあり、俺は彼女を家の中へ招き入れることにした。すぐさま湯船にお湯を張り、タオル類を準備して呆けてしまっている彼女に声を掛けた。


「今お湯張ってるから。そのままだと風邪ひいちゃうから、お風呂入ってきちゃって。 タオル類は洗濯機の上に用意してあるから適当に使って。あと濡れた服は洗濯乾燥で回しちゃっていいから。それから小物用のネット使うなら左の棚にある物を使って」

「でも入るなら、水瀬君が先なんじゃ?」

「俺のことは良いから。俺の方は荷物の片付けとかもあるから、こっちは気にしないで、遠慮なくゆっくり入ってきて」


 当然濡れている状況は全く一緒なので、風邪をひく条件も一緒ではあるのだが、家に帰れなくなったショックで彼女は今憔悴しきっているのだ。一刻も早く回復してもらうためにも、そこは譲れなかった。


「うん、じゃあわかったよ」


 彼女も観念してくれたのか、素直に了承してくれた。


「えっと着替え… どうしよっか」


 さすがに女物の服はこの家には置いてないので困ってしまった。どうしようかあたふたしていると彼女から声が掛かって来た。


「あっ、着替えになるものは一通り持ってきてるから大丈夫」


 そう言って、彼女は防水仕様のバッグから今朝の着替え用にと持って来ていた体操服を取り出し、俺に見せてきた。どうやらしっかりと用意されているようなので、安心した。もし何も用意されているものがなく、俺の服を貸す必要が出てくるというなら、俺はパニックに陥ってたに違いない。


 なんとか彼女をお風呂場に押し込むことが出来たので、俺はタオルで大雑把に身体を拭いていった。そしてじっとしていてもいろいろと気になってしまうことが多いので、とりあえず荷物の整理をしてもう一つのお菓子であるマカロンづくりを始めることにした。別に白神さんという美少女が自分の家のお風呂を借りていて、色々と妄想してしまうといけないからとか、気を紛らわせようとして作るわけでは決してない……

 いや、正直に言えば多少そういったことを思ってしまったので、決してないというわけではないのだが、そう、効率よく時間を無駄にしたいためにマカロンづくりのを始めるだけだ。と、誰かにいう訳でもなく、俺は必死に他意がないことをアピールしていた。


 それからしばらくして、ちょうど材料の下準備が終わった頃に、彼女がお風呂場から出てきた。ゆっくりと休めたようで身体からは仄かな蒸気が上がっているのが見える。


「ありがと、水瀬君。おかげで少し落ち着いたわ」

「うん、それは良かったよ」


 この時、改めて自分の家に白神さんが居ることを認識した。柊木さんはおろか、颯佑ですらまだ家に招いたことがなく、その自分の家に白神さんがいるということがとても不思議な感覚だった。彼女の恰好といえば上下とも体操服。湯上りで身体が火照っていることもあり、ジャージは着ておらず、濡れた髪を乾かすために使ったタオルを首から下げていた。いつもは黒のハイソックス隠されていた長い脚も今は隠れていない。部屋の方は先ほど床暖のスイッチを入れておいたので、足が冷えることはないだろう。どうやら替えの靴下は用意していなかったようだが、その辺は心配ないだろう。


「水瀬君も入ってきちゃいなよ、お湯そのままにしてあるし」

「えっ?」


 キレイな脚に見惚れていた俺に彼女が声を掛けてきて、俺は少し驚いてしまった。


「ん? 早く入ってこないと君も風邪ひいちゃうでしょ? まだ温かいから、ほら」

「えーっと、入ってきちゃって良いの? お湯入れ替えようかと思ってたけど…」

「ん、なんで? いちいち入れ替えしたら水道代、勿体無いじゃない?」


 とても不思議そうにそう聞いてくるので、俺は一応その理由を伝えた。決して変なことを考えていたわけではなく、あくまで一般論としての意見をだ。それを聞いた彼女は少し顔を赤くしながら言ってきた。


「べっ、別に君のこと、信用してるし、それにここは君の家なんだから!(……それに私は別に君がそういうことを………)」


 後半、彼女の声が小さくなってしまい何と言ったのかがうまく聞き取れなかったが、一応本人からの許可が貰えたということで、そのままお風呂に入らせてもらうとしよう。


「じゃあ俺も入ってくるから、適当にソファーにでも座ってくつろいでて良いからね」


 そう彼女に伝えて俺はお風呂場へと向かった。


 数分後、ゆっくりと湯船で身体を温めてからお風呂を出ていつもの部屋儀に着替えた。そして居間に戻ったところで、窓の傍で外を眺めて立ち尽くしている白神さんを見つけた。どうやら台風の様子を伺っているらしい。彼女のその後ろ姿に俺は再び見惚れてしまった。今の彼女の姿は短パン姿にいつもの靴下が履かれていない状態なので、余計にいつも以上に脚が長く見えてしまう。そのすらりと伸びる脚がとても魅力的で俺は視線を下にずらしていったところで、心臓が跳ね上がる思いをすることになった。


 彼女のすらりと伸びた長いキレイな脚。普段だと黒のハイソックスに包まれているその脚に、とても似つかわないが存在していたからだ。


「あ…、えっと」

「ん?」


 俺は息が詰まってしまい、何とか声を絞り出そうとしたが上手く喋れなかった。しかし俺の声に気づいた彼女が反応して振り返る。その彼女の瞳に俺は逸らすことが出来ず、息を呑む。そして、もう一度息を整えて声を出した。


「白神さん……、その右脚の傷痕って……」


 そう、彼女の右のふくらはぎには12センチほどの縫ったような傷痕が存在していたのだ。結局のところ、彼女が誰なのかを今まで全然思い当たらなかったのだが、ここで一人の人物に結び付いた。


「……えへへ」


 彼女は意地悪そうな表情をしつつ笑いかけてきた。間違いなかった。昔何度も見たその表情、それが今、完全に一致したのだ。


「もしかして……、…なの?」


 その問いに彼女はにっこりとほほ笑んで答えた。


「久しぶりに聞いたよ、その呼び名…」


 そう言って彼女は涙ぐみ、俺に抱き着いてきた。そしてわんわんと泣き始めてしまった。あぁ、本当に本当に彼女が幼いころ一緒に過ごしただったのだ。

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