最後の手紙に込めた想い
雨音|言葉を紡ぐ人
第1話 春の終わりに
診察室の白い壁が、やけに眩しく感じられた。
「石井さん、申し訳ありませんが……」医師の言葉が、まるで遠くから聞こえてくるようだった。「余命は、おそらく半年です」
26歳の春。桜が満開だったあの日、私の人生に突然の終わりが告げられた。
病院を出ると、世界はいつもと変わらず動いていた。通勤途中のサラリーマンが足早に駅へ向かい、カフェのテラスでは若いカップルが笑い合っている。誰もが明日を当たり前のように迎えられると信じて、今日を生きている。
つい昨日まで、私もその一人だった。
マンションに帰り着くと、膝から力が抜けた。玄関で座り込んだまま、どれくらい時間が経ったのか分からない。涙も出なかった。ただ、虚ろな気持ちで天井を見つめていた。
スマートフォンが震えた。幼なじみの蓮からのメッセージだった。
『今度の土曜、久しぶりに会わない? 奈々の好きだったあのカフェ、まだやってるよ』
蓮。小学校からの幼なじみで、いつも私のそばにいてくれた。高校を卒業してから、お互い忙しくなって会う機会は減ったけれど、彼の存在は私の心の支えだった。
返事を打とうとして、指が止まった。何と書けばいいのだろう。この事実を、どう伝えればいいのだろう。
結局、その日は返事を送れなかった。
翌朝、目が覚めると、昨日のことが夢だったらいいのにと思った。でも、体の重さと、ベッドサイドに置かれた診断書が、すべてが現実であることを突きつける。
窓の外では、風に舞う桜の花びらが、まるで雪のように降り注いでいた。美しい。こんなに美しい景色を、あと何回見られるのだろう。
その時、ふと思いついた。
手紙を書こう。大切な人たちに、伝えきれなかった想いを綴ろう。面と向かっては言えなかった感謝の言葉を、残された時間で、一つ一つ形にしていこう。
机の引き出しから、以前海外旅行で買った便箋を取り出した。淡いクリーム色の紙に、小さな花の模様が施されている。使う機会がないまま、ずっと仕舞い込んでいたものだ。
最初の一枚を前に、万年筆を握る。誰への手紙から書こうか。
迷いながらも、自然とペン先が動き始めた。
『蓮へ』
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