09 間接的に
食事を終え、一息つく。
自然とぼーっとしながら眠気を感じ始める狭間で、
まだかなりの量が残っていて、恐らく半分くらいは手つかずのままだった。
ゆっくり食べる方なのかと思ったが、どうやら箸も進んでいない。
「お腹いっぱいなの?」
昨日のピザも少量だったし、聞いてみた。
灯は顔を上げ、小さく頷く。
「ええ、まぁ」
「いつも完食できないの?」
部活終わりなら食欲は今がピークのはずだ。
それで完食できないのなら、いつも残りはどうしているのだろう。
「時間を空けてまた食べますかね」
「……ほう」
お弁当一つで一回の食事が終わらないだなんて。
なんて羨ましい体なんだ。
「なんですか、だから小柄だとでも言いたいんですか」
「いや、非常にエコな体で羨ましい」
私なんて食べようと思えばまだまだ食べられる。
燃費という意味では明らかに灯の方が優秀だ。
「本当、変わったこと言いますよね」
毒気を抜かれたのか、呆れたのか、どちらにせよ灯が溜め息交じりに言葉を零す。
箸を置いた所から見ても、完全に食事の手は止まってしまったようだ。
「食べてやろうか?」
「はい?」
なので、半分以上残ったハンバーグを私が引き取ってあげようかと思った。
「いや、もし灯が残すなら私が貰うよって」
残念ながら、私の胃袋にはまだ詰め込むだけの余裕が残されている。
それなら灯が無理するより、私が食べるのが一番いい選択のような気がした。
「ですが……」
灯は弁当と私を交互に見やる。
何だろう、まだハンバーグに未練があるのだろうか。
「無理にくれなくてもいいよ、ただ貰うことも出来るよって話」
「まだ胃袋に余裕があるんですか?」
まだこんなに残ってるんですよ?
といったニュアンスをお弁当に対する視線から感じる。
その純粋な疑問が、痛い。
「……余裕、あるんだな」
「すごいですね」
棘のない灯からの素直な賞賛が、こんなにも虚しく胸に響くとは思わなかった。
自分の望んでいない姿を、人に褒めてもらう経験は切ない。
「で、どうするの?」
「それでは申し訳ありませんが、お願いします」
灯が両手でお弁当に手を添えて、私の手元に置く。
どこかよそよそしい仕草は、灯にとっては小食がネガティブポイントであることが伝わって来る。
お互いに正反対な感性を持っていた。
「では遠慮なく貰うよ」
そういうわけで、私は灯が残したハンバーグ弁当を口に運ぶ。
冷めつつはあるものの、デミグラスソースの掛かったひき肉が美味しくないわけがない。
「……」
だが、気になるのは灯の視線だ。
さっきから私をじっと見つめてくるのだ。
人に食事を見られて気分が良くなるほど、視線に晒されるのには慣れてはいない。
「見られてると恥ずかしいんだけど」
「いえ、一度完食した後の食べっぷりには見えなくて」
それが一番ダメージを食らう。
やっぱり食べない方が良かっただろうか。
その方がなけなしの女子の尊厳を、かろうじて保っていられたかもしれない。
「体の大きさが違うからね」
そうだ、そういうことにしよう。
体が大きいほど、比例して胃袋も大きい。
単純にその差だ、他に説明のしようがない。
「あなたが言うと説得力がありますね」
もしかして、灯は本当は分かっていて煽っているんじゃないかと思えるほどにクリティカルな発言。
だが表情から察するに悪意はなく、純粋な感心が勝っているように見える。
それと、気になることが一つ。
「その“あなた”ってやめね?」
灯と出会ってから、未だに彼女から名前を呼ばれたことがない。
最初は距離感のせいかと思っていたけれど、このまま放っておくと灯はずっと私を名前で呼ばない方向で定着しそうな予感があった。
「何か問題でも?」
「問題だろ、他人じゃないんだから」
「それは理由になりませんね」
目も逸らさず、はっきりと灯は言い切る。
「私は灯って呼んでるのに?」
「あなたが何と呼ぶのかは自由なように、わたしがどう呼ぶかも自由です」
その線引き。
心の境界線。
絶対に踏み入れさせない領域が、灯にはある。
「大変なヤツだな……学校で先生とか友達の名前呼ぶ時どうしてんだよ」
それも“先生”と“あなた”呼びで済ませているのだろうか。
そんなヤツに友達出来ないだろ。
「苗字にさん付けで呼びますが」
「呼べるのかよ」
「ここであなたを苗字呼びしてしまうと、この一家全体を指してしまいますから」
複雑怪奇な自分ルールを適用している。
彼女は彼女なりに、その難儀な規律を社会に溶け込むよう調整しているのだろうか。
それとも。
「じゃあ、あなた呼びは私だけってことか」
「そうなりますが?」
社会に馴染むように調整している自分ルールの中で、私というイレギュラーが未だに灯の中で馴染んでいないのだとしたら。
その最後の防波堤が、あなた呼びなのだとしたら。
「私は特別ってことね」
「……どうしてそういう解釈に至るのか分かりません」
灯がこんなにも明確に距離を取ろうとするのは、きっとそれだけ近くにいるからなのだと思う。
学校という社会においては適切な距離を測れても、この家庭という新しい社会においては
そう思えば、灯の態度はそう悪いものではないのかもしれない。
「本当に嫌なヤツ相手なら、弁当くれないだろ?」
それも灯が好きだと言っていた食べ物だ。
その共有をする相手に本当の嫌悪感を抱いているとは思えない。
少なくとも私なら好意のない人にそんなことはしない。
だから、今の内は灯のワガママに付き合ってやろうと思う。
「はい?」
灯はいつもの論理的な展開が全く出来ずに、ただ反抗の意だけを示す。
痛い所を突かれた証拠だと思った。
「ああ、それとも友達にも結構弁当あげる?」
「あげませんよ」
「じゃあ、やっぱり私の方が特別だな」
何かを言い返したいのだろうが、上手く言葉が見つからない灯は強く唇を引き結ぶ。
口惜しそうに、ただ私を睨んでいた。
「間接キスくらいで、いい気にならないで下さい」
「……ん、間接キス?」
そこに私の想定外の反応が返って来る。
間接キスというのは、このお弁当のことを言っているのだろうか。
言われてみると、それはそうなんだけど。
「ああ、そういうの気にする人?」
年下の、それも義理の妹、尚且つ女子同士。
気にする理由がなかった。
「べ、別に気にしてませんよっ」
声が今日一番に震えていた。
多分、気にしてる。
「もしかして、だから私にあげるの躊躇してた?」
「ち、違いますから、まだ食べようかと思って迷っただけですしっ」
声を荒げながら頬を紅潮させている。
図星のせいで焦っているのかもしれない。
なんにせよ、そんな分かりきった嘘吐いちゃってまぁ。
「じゃあいいよ、ほら、食べな」
私はハンバーグ弁当を少し前にずらす。
「え」
「これで灯も間接キスだけどな」
「しませんよっ」
反射的にお弁当を押し戻してくる。
その反応が答えになるとは知らずに。
「はは、やっぱり気にしてるじゃん」
「……うっ」
声にならないうめき声みたいな音が鳴る。
灯もこれ以上話すと墓穴を掘ることを感じた様子だった。
「まぁ、仲良くやろうぜ
「し、知りませんよ」
慌てふためく灯を微笑ましく思いながら、私はハンバーグを頬張った。
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