第27話 風の神殿 ― 導師との邂逅 ―

森都ルゼリアを出発して三日。北の山脈を越えた先、霧に包まれた峡谷に、ひっそりと佇む遺跡があった。そこが――風の神殿。崩れかけた柱、草木に飲まれた石段。だが、その中心からは今もなお、緑の風が吹き抜けている。精霊の気配と共に、どこか張りつめた冷気が漂っていた。

「ここが……風の封印の場所か」

ケインの声が静寂に響く。

「空気が……重いですね」

エリスが胸の前で手を組む。アリーシャが杖を握りしめ、魔力を感じ取るように目を細めた。

「魔力の流れが不安定。まるで、何かに引き裂かれてるみたい」

ハントが盾を構えたまま周囲を見渡す。

「導師の気配は、まだ感じねぇが……ここにいるのは間違いない」

その言葉と同時に、神殿の奥から吹き荒れる風。砂塵が舞い、柱が軋む。そして、暗闇の奥から声が響いた。

「――ようこそ、旅人たち。ようやく来たか」

空気が震える。影がひとつ、ゆっくりと歩み出る。黒衣。仮面。そして、紅い瞳。

「貴様が……闇の導師か」

ケインの声は低く、冷たい。導師は笑った。

「呼び方などどうでもいい。お前たちが“光”を求めて進む限り、私は“影”として存在する」


「なぜ、精霊の封印を破る?」

アリーシャの問いに、導師はゆっくりと手を広げた。

「この世界は、すでに腐っている。

精霊は人に縛られ、神々は沈黙し、人間は己の業で滅びへ向かっている。私は、それを“元に戻している”だけだ」

「元に……戻す?」

アイカが睨む。

「それで世界を滅ぼす気? 冗談じゃない!」

導師は首を振る。

「滅びではない。――再生だ」

「再生……?」

「精霊の封印は、かつて“星の門”を閉じるために作られた。お前たちが“古のダンジョン”と呼ぶ場所も同じ。あれは、外界とこの世界を隔てる“境界”なのだ」

その言葉に、ケインの胸がざわめく。

(外界……? 境界……?)

導師は続ける。

「封印を解けば、“果ての道”が再び開く。

それは――お前が求めているものだろう? ケイン・クロウフィールド」

「……なぜ、俺の名を知っている」

「当たり前だ。私はお前の“創造者”だからな」

空気が一瞬、止まった。

「な……に?」

アイカが思わず声を上げる。導師の瞳が赤く光った。

「十九年前。私は“雷の器”を作った。精霊の心臓から溢れた力を、人の形に定着させた存在――それが“お前”だ」

「……!」

ケインの心臓が跳ねた。頭の奥が熱くなり、視界が歪む。

(俺が……作られた? 人じゃない……?)

アイカが叫んだ。

「嘘よ! ケインが……そんなはずない!」

「感情的だな、小娘。だが事実だ。お前の仲間は“雷の精霊の残滓”だ。

人に似せた偶像――だが、魂は偽りではない」

「黙れ……!」

ケインが刀を抜く。雷が走る。

「俺の生まれがどうであれ――俺は、俺だ!」

導師は微笑んだ。

「そうだ。それでいい。だが、お前の存在が“封印”を開く鍵だということを忘れるな」


導師の指先が動く。神殿の床に、古代の魔法陣が浮かび上がった。風が唸りを上げ、柱が軋む。

「来るぞ! 防御陣を!」

ハントが叫び、”ウォール”と”マバリア”を展開。アリーシャがすぐさま詠唱を始める。

「”ウォーター・カッター”三連射!」

「”エア・ショット”連弾!」

アイカが続く。

「”サンダー・ショット”!」

ケインが雷を放つ。だが、導師の前に黒い膜が広がり、すべての魔法が吸い込まれた。

「……効かない!?」

「我が術式は、“虚無”の理に基づく。属性の理など、意味を持たぬ」

闇の風が吹き荒れ、床の紋章が一斉に輝く。魔力の奔流が暴れ出し、天井の石片が降り注ぐ。

「退避を――!」

ケインが叫ぶが、導師の影が瞬き、彼の前に現れた。

「逃げるな、雷の子よ。お前の中の“核”が目覚めれば、全てが終わる」

「黙れぇぇぇ!!」

ケインの叫びと共に雷光が弾けた。刀身が光を裂き、導師の仮面をかすめる。割れた仮面の下から、若い男の顔が現れた。その瞳は、どこかケインに似ていた。

「……まさか……!」

導師は薄く笑った。

「お前がこの顔に見覚えがあるなら、それも当然だ。お前は――私の“失敗作”だからな」

ケインの心臓が凍りつく。

「失敗……?」

「そうだ。雷の精霊の力は強すぎた。私は“完全な器”を求めたが、お前は感情を持ちすぎた。だが、それも悪くない。感情は力を増幅させる」

導師の手が宙に上がる。次の瞬間、ケインの体から雷が逆流した。

「ぐっ――!」

「ケイン!!」

アイカが飛び込み、彼の腕を掴む。

「離せっ、アイカ……! こいつ……俺の中の力を……!」

「そうだ。暴れろ、雷の子。

お前の中の“星の血”が、封印を解く――!」


頭の中で何かが壊れた。視界が白く染まり、耳鳴りが響く。

(俺は……人じゃない? 器……?)

(違う。俺は、俺だ……!)

アイカの声が遠くで聞こえる。

「ケイン、戻って! お願い!」

(俺は……何を守りたい? 誰のために剣を振るう?)

そのとき、胸の奥で微かな声が響いた。

『お前は“生まれた”。それだけで、意味がある』

(……誰だ?)

『雷の精霊だ。お前に宿ったのは、私の欠片。お前は“器”ではない。意志を持った“存在”だ』

ケインの目が見開かれる。雷が再び刀を包み込む。

「導師……お前の言葉は俺を縛れない!」

雷光が走る。

「――居合一文字、”紫電閃”!」

光が神殿を貫き、導師の闇を裂いた。導師は後退しながらも、笑みを浮かべた。

「……見事だ。やはり、お前は“私の完成形”だ」

光と闇が爆ぜ、衝撃波が神殿を崩壊させる。導師の姿は霧のように消えた。

「待て!」

ケインが手を伸ばすが、影は霧の中に溶けていく。

「……また会うさ。次は、“果ての道”で」

声だけが残り、静寂が訪れた。


瓦礫の中、仲間たちが駆け寄る。

「ケイン! 大丈夫!?」

「……ああ、何とか」

息を荒げながら、ケインは刀を収める。アイカが涙を拭った。

「もう……無茶しすぎ……!」

「悪い。でも、あの時――あの声が、俺を戻してくれた」

エリスが静かに祈るように言った。

「それは、きっと……雷の精霊の声です」

「……そうか。じゃあ、俺はもう一度……生まれ直したんだな」

ケインは空を仰ぐ。崩れた天井の向こうに、青い空が広がっていた。

(俺の存在が偽りだとしても、ここにいる仲間は本物だ)

(なら、俺はその絆のために戦う)

風が吹く。雷のような音が遠くで鳴った。――その音は、まだ終わりの始まりにすぎなかった。

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