転生イケメン女子の学園無双 ~僕が彼女の「本当」を奪うまで~

しゃけびーむ

第1話:王子様と価値のない男たち

カチ、カチ、と。

教師が黒板にチョークを叩きつける無機質な音だけが、やけにクリアに鼓膜を揺らす。

新学期が始まって数日。穏やかな春の陽気が差し込む教室は、退屈な講義のせいで、まるで時間が止まったかのように静かだった。

僕は、窓から見える桜並木をぼんやりと眺めていた。

(……平和、か)


この世界に『怜(れい)』として生まれ、物心がついてから十数年。前世の記憶――二十数年間を『女』として生きた、あの騒がしい日本での記憶――が蘇って以来、僕はずっと、この世界の『歪み』を感じ続けていた。


「ねえ、怜さん」

不意に、隣の席の女子生徒が、教科書で口元を隠しながら声をかけてきた。


「ん? どうかした?」

「あの……今日の放課後、もしよかったら、一緒にカフェでも……」


頬を染め、熱っぽいため息と共に送られる視線。それは、僕にとって見慣れた光景だった。


「ごめん。今日は生徒会に呼ばれてるんだ」

「そ、そっか……。じゃあ、また今度!」


嘘だ。生徒会に用事はない。

角が立たないように断ると、彼女は残念そうにしながらも、すぐにまたうっとりとした表情で僕の横顔を見つめ始めた。


紺色のウルフカット。生まれつきの、色素の薄い青い瞳。女子生徒としては高い身長。

そんな外見のおかげか、僕はいつからか、この学園の女子生徒たちから「王子様」と呼ばれるようになっていた。皮肉なことに、この学園に存在する「本物の王子様」たち以上に。


(…王子様、ね)

僕は内心で自嘲する。


この学園――いや、この国は、約五十年前から始まった原因不明の出生異常により、男女の出生比率が著しく偏っている。

その比率、実に「男1:女100」。

圧倒的に希少な存在となった男たちは、その性別だけで特権階級となり、社会のあらゆる場面で優遇されるようになった。


この学園も例外ではない。全校生徒約千二百名に対し、男子生徒はたったの十二名。彼らは専用の「特別クラス」に集められ、女子生徒たちの過剰なまでの憧れと庇護の対象となっていた。


キーンコーンカーンコーン。

授業の終わりを告げるチャイムが鳴る。

途端に、教室は活気を取り戻した。


「ねえ、聞いた!? 今日、男子クラスの御子柴(みこしば)くんが、購買の新作パン食べたらしいよ!」

「キャー! 何それ! どのパン!?」

「B組の鈴木くん、今日髪型変えてた! 超カッコよかったんだけど!」


(……愚かな)

僕は、聞こえてくる会話に小さく息を吐いた。

前世が「女」だった僕には、よく分かる。彼女たちが夢中になっている「王子様」たちが、どれほど中身のない、薄っぺらい存在であるかが。


希少というだけで、何の努力もせず、ただチヤホヤされることに慣れきった男たち。そのくせ、自分たちを「選ぶ側」だと勘違いし、平然と女を見下し、傷つける。

僕が知っている「男」とは、あまりにもかけ離れた存在。


(あんなのが、この世界の『男』だというなら)

僕は立ち上がり、教室の扉へと向かう。

(僕のやることは、一つだけだ)


「あ、怜さん、さようなら!」

「また明日ね!」


四方八方から飛んでくる女子生徒たちの声に、僕は完璧な「王子様」の笑みを貼り付けて手を振った。

「ああ、また明日」


放課後の廊下は、部活動や帰宅する生徒たちで賑わっている。

僕はカバンを肩にかけ直し、昇降口へと向かっていた。


その途中、必然的に、あの場所の前を通ることになる。

本校舎とは別の、特別棟。ガラス張りの豪華な教室。男子生徒十二名だけが在籍を許された、通称「エデン」と呼ばれる特別クラスだ。

今日もまた、その教室の前には、十数名の女子生徒たちが「出待ち」の人だかりを作っていた。


「あ、御子柴さまが出てきた!」

歓声が上がる。

人垣が割れ、その中心から、まるで王族のパレードのように一人の男子生徒が現れた。


御子柴譲(みこしば ゆずる)。

学園の頂点に君臨する男子生徒であり、巨大財閥の御曹司。そして――この学園の生徒会長・詩織(しおり)の婚約者。


「譲様、今日も素敵です!」

「これ、クッキー焼いてきました!」

黄色い歓声と、差し出されるプレゼントの数々。

御子柴は、貼り付けたような営業スマイルでそれを受け取りながら、隣を歩く完璧な美少女――生徒会長の詩織に、誰も気づかないような冷たい視線を送った。


「…おい、詩織。さっきの生徒会での態度、なんだ。俺に恥をかかせたつもりか?」

「いいえ、譲様。私は、予算案の規定に則って、事実を述べたまでですわ」


詩織は、その美しい顔に一切の感情を浮かべず、淡々と答える。


「口答えか? 家に帰ったら、親父殿に言っておかないとな。お前の家の事業がどうなってもいいのか?」

「……」


卑劣な脅し文句。

御子柴は、詩織が何も言い返せないのを見ると、満足そうに鼻を鳴らし、再び女子生徒たちに向かって笑顔を振りまいた。

詩織は、その横で、人形のように無表情で佇んでいる。

僕は、その光景を数秒だけ眺め、興味を失ったように視線を外した。


(…憐れだな、詩織先輩)

生徒会長の詩織は、僕ら一般生徒にとっても憧れの的だ。完璧な美貌、非の打ちどころのない成績、誰に対しても優しい物腰。

だが、そんな彼女ですら、あの男の前では、家の都合で縛られた「道具」の一人に過ぎない。


僕は、その場を足早に立ち去った。

あの男の顔も、それに群がる女たちの顔も、もう見たくなかった。

僕が救うべきは、あんな男たちに幻想を抱き、傷つけられている「彼女たち」だ。

そして、その筆頭が、今、僕の目の前で最も分かりやすい不幸に喘いでいる。


昇降口へ向かうには、生徒会室の前を通るのが近道だ。

普段は静かなその場所から、今日は珍しく、荒々しい声が漏れ聞こえていた。

(…この声)

御子柴譲だ。さっき別れたはずではなかったか。

「いい加減にしろよ、詩織!」

ドン、と何かを叩くような鈍い音が響く。


「お前は、うちの財閥と、お前の家を繋ぐための『道具』だ! それ以上でも、それ以下でもない!」

「……」

「俺がどれだけ他の女と遊ぼうが、お前には関係ない! お前は、黙って俺の言うことだけ聞いて、完璧な『婚約者』を演じていればいいんだよ!」

「…ですが、譲様の最近の行動は、御子柴家の名誉にも…」

「うるさい!!」

パシン、と。

乾いた、嫌な音が響いた。


「…っ」

詩織のかすかな息を呑む音。

「分かったら、さっさと次の会議の準備をしろ。…ああ、鬱陶しい。俺は帰る」

ガタン、と椅子が倒れる音と共に、生徒会室のドアが乱暴に開かれた。


中から出てきた御子柴は、不機嫌さを隠そうともせず、廊下を大股で歩いていく。

そして、曲がり角に立っていた僕の姿に、ようやく気づいた。

「…ああ? 誰だお前。…ああ、あの『王子様(笑)』の怜か」


御子柴は、僕を値踏みするように見ると、嘲るように笑った。

「女のくせにチヤホヤされて、いい気になるなよ。所詮、お前は『女』だ。俺たち『男』には、逆立ちしてもなれないんだからな」

それは、彼が唯一持っている、最大のアイデンティティ(男であること)から来る、哀れなマウンティングだった。


僕は、何も答えない。

ただ、冷え切った青い瞳で、彼をまっすぐに見つめ返した。

「…な、なんだよ、その目は…」

僕の視線に耐えられなくなったのか、御子柴は「ちっ」と舌打ちをすると、そそくさとその場を立ち去っていった。


(…哀れなのは、どっちだか)

僕は、彼が消えた廊下の先を見つめ、静かに息を吐いた。

僕の秘密を知れば、彼はどんな顔をするだろうか。…まあ、どうでもいいことだが。


それよりも。

僕は、開いたままになっている生徒会室のドアへと視線を移した。

静まり返った部屋。物音一つしない。

僕は、音を立てないように、そっとドアの隙間から中を覗いた。


「………ぅ…」

そこにいたのは、「完璧な生徒会長」の詩織ではなかった。

散らかった机に突っ伏し、その美しい黒髪を震わせ、声を殺して一人で泣いている、ただの女の子の姿だった。

その頬は、御子柴に殴られたのか、小さく赤く腫れ上がっている。


彼女の「弱さ」と、男の「愚かさ」。

その二つを同時に確認した瞬間、僕の心に、静かな決意の炎が宿った。

前世、女として生きた記憶が、僕に囁きかける。

「彼女を、あのままにしてはいけない」と。


(――あんな価値のない男に渡して、彼女を不幸にするくらいなら)

僕の唇に、静かな笑みが浮かぶ。

(僕が、幸せにする)


僕は静かに生徒会室のドアを開け、一歩、足を踏み入れた。

その小さな物音に、彼女の肩がビクリと震える。

僕は、できるだけ優しい、いつもの「王子様」の声を作った。


「――大丈夫ですか、詩織先輩」

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