第二十一章∶舞い戻るナガサキアゲハ

「ロアさん?ちょっと……ほら、皆見てるよ。ね、席に戻ろっか」


先生の声が教室の空気を優しく、けれど明確に遮った。

だがロアは──動かない。ピクリとも、声一つ発さない。

まるで聞こえていないみたいに、俺の胸に頬をすり寄せるだけだった。


その様子に、生徒たちがざわつき始める。

「ロアが……あんなに感情出してるの初めて見た……」

「てか、誰?お兄さんって……」

「え、マジで……知り合い?」

「なに?彼氏?……え?ありえる?」


視線が、言葉が、ぐるぐるとこの空間を回り始める。

けれどロアは、そんなのどうでもいいと言わんばかりに、俺にだけ意識を注ぎ込んでいた。


「……ロア」


俺は、なるべく穏やかな声で名前を呼ぶ。

このままじゃマズい。本人はお構いなしでも、周りはもう完全に異常事態だと思ってる。


「……今は、ちょっとな。席に戻ろっか」


そう言って、そっと肩に手を添える。

すると──やっと。


「……うん」


ロアは短く答えて、抱きしめていた腕をゆっくりと解いた。

顔を上げたその瞳は、静かな桃色に濡れていた。ハイライトのない、底の見えない井戸みたいな色。


でも、口元はにっこりと笑っている。


「お兄さんがそう言うなら……」


そしてクルリと踵を返し、自分の席に戻っていった。


その一連の流れを、先生は困惑したような目で追い、生徒たちは口々に小声を交わしながらも、騒ぎすぎないように抑えていた。

ロアが戻ったあとの空気は──どこか妙にひきつっていた。


俺は……その教壇に、しばらく立ち尽くしていた。


さっきのあの抱きしめには、何か──ただの嬉しさや喜びとは違う、

もっとずっと深くて濃い、底なしの何かがあった気がしてならなかった。


あれは……なんだったんだ?


それがただの子供っぽい甘えなら、まだよかった。

でも、あの目──あの微笑み──


それはまるで、巣に帰ってきた蝶を見つめる、

巣の主のようだった。

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