第7話「戸惑いの朝と、伝えたい想い」

 祭りの夜のあの熱いキス。

 それが夢でなかった証拠に翌朝僕は自分の小屋のベッドの上で目を覚ました。

 隣には僕の腰に腕を回し穏やかな寝息を立てるカイの姿。


『うわあああああああ…!』


 僕は声にならない悲鳴を上げた。

 昨夜の記憶が鮮明に蘇ってくる。

 あの後どうやって小屋まで帰ってきたのか正直あまり覚えていない。

 ただカイにずっと抱きしめられて彼の熱が僕に移ってくるようなそんな感覚だけが残っていた。

 幸い服はちゃんと着ている。

 一線は越えていないようだ。

 それに少しだけほっとしつつも心臓はありえないくらい速く脈打っていた。

 すぐそばにあるカイの寝顔。

 いつもは険しい表情をしていることが多いけれど眠っている時の彼はどこか幼くて無防備に見える。

 すっと通った鼻筋、固く結ばれることの多い唇。

 その一つ一つを目で追っていると顔がどんどん熱くなってくるのが分かった。

 僕たちはこれからどうなってしまうんだろう。

 友達?

 同居人?

 それとも…。

 考えれば考えるほど頭が混乱してくる。

 僕が一人で悶々としていると不意にカイがゆっくりと目を開けた。

 ばちりと至近距離で視線が絡み合う。


「…おはよう」


 低く少しだけ掠れた声。

 その声色だけで昨夜のことを思い出してしまって僕はますます顔を赤くした。


「お、おはようございます…!」


 慌てて体を起こそうとしたけれど腰に回されたカイの腕がそれを許してくれなかった。

 むしろさらに強く引き寄せられて僕たちはほとんどゼロ距離で見つめ合う形になる。


「ミナト」


「は、はい…」


「昨日のこと…嫌だったか」


 真剣な声で尋ねられて僕は言葉に詰まった。

 嫌だったかなんてそんなはずがない。

 驚きはしたけれど彼の唇の感触も力強い腕も僕の心臓を甘く締め付けたのは事実だ。

 でもそれを素直に口にするのはなんだかものすごく恥ずかしい。

 僕が答えられずにいるとカイの表情がわずかに曇った。

 その瞳に傷ついたような色が浮かぶのを見て僕は胸がちくりと痛んだ。

 違う、そんな顔をさせたいんじゃない。


「い、嫌じゃ…なかった、です」


 蚊の鳴くような声でようやくそれだけを絞り出す。

 するとカイの表情がぱっと和らぎ安堵したような息が漏れた。

 彼は僕の髪を優しく撫でる。

 その手つきはまるで宝物に触れるかのようにとても慎重で丁寧だった。


「…俺は、お前が好きだ」


 ぽつりと、けれどはっきりと告げられた言葉。

 僕は息をのんだ。

 分かっていたはずなのにこうして真正面から伝えられるとその破壊力はすさまじい。

 心臓が破裂しそうなくらいドキドキしている。


「お前がここに来てから俺の世界は変わった。お前が作る飯はうまいしお前が笑っているのを見ると胸が温かくなる。お前がいない生活なんて、もう考えられない」


 訥々と、けれど真っ直ぐに紡がれるカイの言葉。

 口下手な彼が一生懸命に想いを伝えてくれようとしているのが分かって目頭が熱くなった。


「…だから、そばにいてほしい。俺だけのものに、なってほしい」


 最後の方はほとんど懇願するような声だった。

 そこには僕を独り占めしたいという激しい独占欲と同時に僕を傷つけたくないという優しさの狭間で彼が葛藤しているのが見て取れた。

 不器用ででもどうしようもなく愛おしい人。

 僕の気持ちはどうなんだろう。

 カイのことはもちろん大切だ。

 彼がいない生活なんて僕ももう考えられない。

 彼がそばにいてくれると安心するし彼が笑うと僕も嬉しくなる。

 これって友情なんだろうか。

 それとも…。


「ミナト…?」


 不安げに僕の名前を呼ぶカイの声に僕ははっとした。

 僕も伝えなくちゃ。

 今の僕の正直な気持ちを。


「僕も…カイさんのことが、好き、です」


 勇気を振り絞ってそう告げた。


「カイさんと一緒にいるとすごく楽しいし安心します。カイさんが作ってくれた畑で野菜を育てるのが好き。カイさんが僕の作ったご飯を美味しそうに食べてくれるのが何より嬉しい。だから…僕もずっとカイさんのそばにいたいです」


 僕の言葉を聞いたカイの瞳が驚きとそして歓喜の色に輝くのが分かった。

 彼は言葉の代わりに再び僕を強く抱きしめた。

 その腕の力強さから彼の喜びが痛いほど伝わってくる。


「…ミナト」


 耳元で愛おしそうに僕の名前を呼ばれる。

 くすぐったくて身をよじるとカイは僕の頬に手を添えて優しいキスを落とした。

 それは昨夜の熱いキスとは違うお互いの気持ちを確かめ合うような穏やかでどこまでも甘いキスだった。

 その日僕たちは一日中小屋の中で過ごした。

 畑仕事も森の散策も今日は全部お休み。

 ただ寄り添って他愛もない話をした。

 カイが王都にいた頃の話、僕が日本という国でどんな風に生きてきたか。

 言葉を交わすたびにキスを重ねるたびに僕たちの心はどんどん一つになっていくような気がした。

 夕方、窓から差し込むオレンジ色の光の中でカイがぽつりと言った。


「お前のことを、もっと知りたい。全部」


 その言葉が何を意味するのか。

 僕にだって、もう分かった。

 僕は何も言わずにこくりとうなずいた。

 カイは僕を傷つけないように壊さないように本当に優しく優しく僕を抱いた。

 不器用な手つきででもその一つ一つの動きに僕を大切に想う気持ちが溢れていて。

 彼の激しい独占欲と深い愛情に包まれて僕もまた彼が僕にとってただの同居人なんかじゃない、かけがえのない特別な存在になっていることをはっきりと自覚した。

 戸惑いの朝から始まった一日は僕たちが本当の意味で結ばれた忘れられない夜へと続いていった。

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