第5話「故郷の味と、縮まる距離」
クロが家族に加わってから僕たちの生活はさらに充実したものになった。
カイが畑を耕し僕が作物を育てクロがその番をする。
完璧な分業体制だ。
おかげで僕たちの畑は目を見張る速さで広がっていき収穫できる作物の種類も格段に増えた。
赤、黄、緑と色とりどりの野菜が並ぶ畑はまるで絵の具のパレットのようで眺めているだけで心が躍る。
毎日の食事もより一層豪華になった。
新鮮な野菜をたっぷり使ったサラダ、カイが狩ってくる肉と野菜のグリル、そしてクロには骨付きの肉を焼いてやる。
どれもシンプルな料理だけど素材が良いから最高に美味しい。
そんな満ち足りた日々を送る中で僕の心の中には一つの欲求がむくむくと芽生えていた。
『やっぱり、お米が食べたい…そして、醤油と味噌が欲しい!』
そう、日本人のソウルフードだ。
野菜や肉がいくら美味しくてもやっぱりあの味が恋しくなる。
白いご飯にお味噌汁、そして醤油で味付けしたおかず。
考えただけでお腹が鳴ってしまいそうだ。
幸いこの世界にも米によく似た穀物は存在するらしい。
行商人から種を分けてもらえないか今度カイに相談してみよう。
問題は醤油と味噌だ。
どちらも発酵食品だから作るには麹菌が必要になる。
『でも、僕には『神の農具』があるじゃないか』
スキルを使えば麹菌だって作り出せるかもしれない。
そう思い立ったが吉日、僕は早速実験に取り掛かることにした。
まずは大豆に似た豆を栽培するところからだ。
カイに相談すると彼はすぐに「心当たりがある」と言って森の奥から蔓に実った豆を採ってきてくれた。
見た目も味もほとんど大豆と同じだ。
僕は収穫した豆を使い早速味噌作りを開始した。
『神の農具』を大きな釜に変え豆を柔らかく煮る。
それをすり潰し塩と混ぜ合わせる。
そしてここが一番の肝心なところ。
『美味しくて、風味豊かな味噌になる、最高の麹菌を』
強く強く念じる。
すると僕の手のひらから金色の光が放たれ豆のペーストを包み込んだ。
光が消えた後見た目に変化はないけれどふわりとどこか甘くて香ばしい匂いが立ち上った。
成功だ!
あとはこれを樽に詰めて熟成させるだけ。
『神の農具』の力を使えば発酵もあっという間のはずだ。
醤油も同じ要領で仕込みを終えた。
数日後には懐かしい故郷の味が楽しめる。
そう思うだけで胸が高鳴った。
そして運命の日はやってきた。
僕は朝からそわそわと落ち着かなかった。
熟成させておいた味噌樽の蓋を緊張しながら開ける。
中にあったのは見慣れた茶色いペースト。
そして僕の鼻腔をくすぐったのは紛れもなくあの芳醇な味噌の香りだった。
「できた…!できたぞー!」
思わず僕はガッツポーズで叫んでいた。
隣で見ていたカイとクロが何事かとびっくりした顔で僕を見ている。
僕は興奮冷めやらぬまま早速お昼ご飯の準備に取り掛かった。
メニューはもちろんお味噌汁と醤油を使った肉の照り焼きだ。
幸いカイが米に似た穀物『リミエ』の種を手に入れてくれていたので炊き立ての白いご飯もある。
グツグツと煮える鍋の中に出来立ての味噌を溶かし入れる。
ふわりと広がる出汁と味噌の香りに僕は感動で泣きそうになった。
これだよこの香りだ。
醤油と森で採れた甘い樹液を煮詰めて作ったタレをこんがりと焼いた猪肉に絡める。
ジュウッという音と甘辛い香りが台所(と呼んでいるだけのスペース)に充満し食欲を猛烈に刺激する。
「カイさん、クロ、お昼できたよー!」
僕が声をかけるとカイはいつものように無言で食卓につきクロは尻尾をぶんぶんと振って足元に座る。
食卓に並んだのは湯気の立つリミエのご飯、豆腐のような食感の豆製品とネギに似た野菜が入ったお味噌汁、そしててりってりのタレが絡んだ肉の照り焼き。
「どうぞ、召し上がれ」
カイは初めて見る茶色いスープと黒光りする肉を少しだけ訝し気な目で見ている。
「これは…ミソシル、と言って僕の故郷の料理なんです。こっちの肉はショウユっていう調味料で味付けしてあります」
僕が説明するとカイはこくりとうなずきまずはお味噌汁からスプーンで一口すくった。
その瞬間彼の時間がぴたりと止まった。
目を見開き口元に運んだスプーンを持ったまま完全に固まっている。
「か、カイさん?だ、大丈夫?お口に合わなかったかな…」
僕が心配になって声をかけるとカイははっと我に返ったように瞬きをすると、今度はすごい勢いでガツガツとお味噌汁を飲み始めた。
そして空になった器を僕に突き出し低い声で一言。
「…おかわり」
どうやらお気に召したらしい。
僕は嬉しくなってすぐにおかわりを注いであげた。
次にカイは照り焼きに手を伸ばした。
肉を一切れ口に放り込むとまたしても固まる。
今度はさっきよりも驚きが大きいようだ。
「…なんだ、この味は。甘くて塩辛い。だがそれだけじゃない。深い…旨味、というものか…」
初めて体験する味にカイは衝撃を受けているようだった。
リミエのご飯をかきこみ照り焼きを頬張り時々お味噌汁をすする。
その食べるスピードは普段の倍以上だ。
僕はそんな彼の姿を満面の笑みで見守った。
僕の作った料理をこんなに美味しそうに食べてもらえる。
料理人にとってこれ以上の幸せはない。
あっという間に大鍋に用意したお味噌汁も山盛りの照り焼きもカイと僕(とクロのおすそ分け)の胃袋に消えていった。
食後満腹になったカイは満足げなため息をつくとじっと僕の顔を見つめてきた。
その真剣な眼差しに僕の方がドキドキしてしまう。
「ミナト」
「は、はい」
「お前の故郷はすごい場所なんだな」
「え?」
「毎日こんなにうまいものを食べていたのか」
カイは心からそう思っているようだった。
彼の言葉に僕はなんだかおかしくなってくすくすと笑ってしまった。
「ふふ、そんなことないですよ。でも僕の故郷の味をカイさんが気に入ってくれて嬉しいな」
僕がそう言うとカイはふいっと視線をそらした。
でもその横顔はいつもよりずっと穏やかで優しく見えた。
この日から醤油と味噌は僕たちの食卓に欠かせないものになった。
そして僕たちの心の距離もまたこの故郷の味のおかげでぐっと縮まったような気がした。
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