私と彼の境界線
水嶋陸
第1話
「うわ、
高一の夏、席替えで発せられた親友の辛辣な一言に苦笑した。
隣の席になった男子――
校則が緩く派手な生徒が集まるこの高校で、黒髪に額縁眼鏡と地味な装いの佐倉はかえって目立つ。これまで特に話す機会がなかったが、噂どおり根暗だろうか。
「やぁ佐倉くん、
明るい笑顔で声をかけると、佐倉は面食らった。好意的な態度に慣れていないのか、明らかに戸惑っている。うっとうしい前髪のせいで顔はよく分からないが、彼の纏う空気がみるみる険しくなった。
「……罰ゲームですか?」
「へ?」
「とぼけても無駄ですよ。わざわざ僕に声をかける理由なんてそれしかないでしょう。笑い話のネタですか。いい迷惑です」
「ええええ!? ち、違うよ! 何も企んでなんて」
「言い訳は不要です。僕に関わらないで下さい」
被せ気味に言い放った佐倉に鋭く睨まれ、閉口した。まるで手負いの獣だ。『スクールカースト底辺に属する嫌われ者とお近づきになる理由はない』と言わんばかりの激しい拒絶。
「みんな席に着いたかー? んじゃLHR続けるぞー」
呆気に取られ数秒、担任の声で我に返った。佐倉は何事もなかったように教壇に向き直る。堅牢な砦に近付き、警告の矢を射られたみたいだった。
♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢
「取り付く島がないっ!」
昼休み、陽菜は悲痛な面持ちで学食のテーブルに突っ伏した。人魂をしょい込みそうな落胆っぷりに、パスタをフォークに巻き付けていた親友が肩をすくめる。釈明を試みた陽菜が、佐倉に無言でシャットアウトされる場面を目撃していたのだ。
「あのさぁ、陽菜は誰とでも友達になれるタイプだけどあいつは無理だって。諦めなよ」
「やだ! 誤解されたままは後味悪いもん」
「誤解? あいつに何か気になることでも言われた?」
陽菜はむくりと起き上がった。エア眼鏡をクイッと親指で押し上げ、険しい表情を作る。
「罰ゲームですか?」
佐倉の声真似をした途端、盛大に吹き出す親友。こら、笑うな。笑いごとじゃない。
「期待を裏切らない反応、超ウケる! 佐倉のやつ卑屈過ぎ」
「いやー驚いたよ。普通に声かけただけであんな警戒するなんて。隣の席なのに、これからずっと無視するつもりなのかな。ひとりで寂しくないのかなぁ」
「世話焼きだねーあんたは。根暗眼鏡なんかスルーしてイケメン攻略しなよ。こないだ別クラの男子から陽菜に彼氏いるか聞かれたよ。優良物件っぽかったし紹介しよっか?」
「いーや、パス! こうなったら意地でもぜぇーったい佐倉と友達になる。よぉぉぉし、そうと決めたら気合いだー! おーっ!」
がばっと椅子から立ち上がり、拳を握ってメラメラ闘志を燃やす。お人好し病を患う陽菜に、親友はやれやれとため息を漏らした。
♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢
佐倉と友達になろう大作戦をスタートし、一週間が過ぎた。結論からいうと惨敗だ。佐倉はラスボス級に手強かった。
小細工はせず直球でアタックしたのだが、追い回したのが仇になり、ますます警戒を強めてしまった。もはや名前の頭文字を口にしただけで逃げられる始末。これはまずい。
一発逆転のアイデアを絞り出そうと粘るうち、妙案を閃いた。手紙だ。実に古典的だが手紙なら佐倉と意思疎通できるかもしれない。
思い立ったが吉日、さっそくレターセットを購入した。帰宅後は自室にこもり、納得できるまで文章を練った。色々なパターンが思い浮かんだが、やはりシンプルイズベストだろう。
『佐倉くんへ
この間は驚かせてごめんね。でも、本当に罰ゲームなんかじゃありません。
私は佐倉くんと友達になりたいです。どうすれば信じてもらえますか?
無視されるのは悲しいので、話を聞いてもらえると嬉しいです。
宮田』
翌朝、寝不足で欠伸を噛み殺しつつ登校した陽菜は、まだ誰もいない教室で佐倉の机の中に手紙を忍び込ませた。ミッション完了。あとは返事を待つのみだ。
しかし――待てど暮らせど返事はなかった。
ノーリアクションの佐倉に痺れを切らし、行動を起こしたのは三日後。
昼食で満腹になり、睡魔と戦う生徒たちがちらほら現れる午後一の授業。真面目にノートを取っていた佐倉は、突然机に置かれたメモに目を瞠った。
『手紙読んでくれた?』
こちらを振り向いた佐倉に『読んで』と口パクでアピールする。さすがに無視されないだろうという淡い期待は秒速で打ち砕かれた。眉を顰めた佐倉が、何の躊躇いもなくメモを握り潰したのだ。
究極の塩対応に硬直した。これは相当嫌われている。
「次の問題を宮田。前に出て解きなさい」
ショックで放心していた陽菜は、後ろの席の子に背中を突っつかれて魂が戻った。
爬虫類顔で鋭い目つきの数学教師は通称・ヘビ男。ヘビが獲物に狙いを定めるような視線を注がれ、背筋が寒くなる。
直々に指名され、断頭台に連行される囚人のような心地で前へ進み出た。よりによって一番苦手な数学で、黒板に書かれているのはこむずかしい応用問題。頭の中で数字がぐるぐる回った。
「……すみません、分かりません」
「なんだ、この程度の問題が分からないのか。少しは頭を使え。授業が終わるまでそうしてるつもりか?」
嘲笑を浮かべられ、体中の血液が沸騰した。俯けた顔に熱が集まる。恥ずかしくて死にそうだ。短時間で二度も心折れる事態に遭遇し、泣きそうになった。
シンと静まり返る教室。空気が重くて痛い。誰もが標的になるのを恐れて息を殺す中、佐倉が起立した。クラスメイト達は一斉に目を丸くする。
注目の的となった佐倉は涼しい表情で前に向かってきた。あたふたすると、無言で教壇の脇に押しやられる。
彼は余っていたチョークを拾い、難解な数式の答えを淀みなく書き綴っていく。カツカツと小気味いい音が鼓膜に響いた。
「先生がおっしゃる通り、この程度の問題に時間を浪費するのはナンセンスです。授業を進めて下さい」
淡々と告げた佐倉の眼差しは、凍てつくほど冷ややかだった。黒板に記された文句のつけようがない回答に、ヘビ男は悔しげに口をへの字にした。
「もういい。二人とも席に戻りなさい」
陽菜は驚いて目を丸くした。この瞬間――佐倉は紛れもなくヒーローだった。
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