一日目
第1話 こんな世界からの抜け出し方
///////一日目///////
動悸が激しくなる。
呼吸は荒く、肺はどこまでも酸素を求めている。
『あいつら』はどこまで追ってくる?
「痛っ!」
転んで膝を擦りむく。
勢い良く転んだからか、口の中に不思議な味が広がる。
きっと、口の中を切ってしまったのだ。
これが血の味ってやつなのだろう。
何で俺がこんな目に。
テレビではよく
『政治家があなたたちを救います!』
とか
『夢を持て、少年少女よ!』
なんて言うけれど無責任だ。
だって助けてくれるわけでもなければ、環境を整えてくれるわけでもない。
というか、その言葉だけで助けた気になってる。
世間はそれを素敵だ、素晴らしいと持て囃し、現実を直視するわけでもない。
おいおい、どんな喜劇だよ。
声を大にしてそう言いたい。
じゃあ助けてくれよ。
大人たちは見向きもしない。
滑稽な慈悲の手は、ありもしない場所にばかり向けられている。
助けてくれるんだろ?なぁ?
全てが。
まるで全てが、行き場を失った俺に降り注ぐようで。
傘もないのに、雨に打たれている気分だった。
空を見上げた。
「……晴天かよ」
俺のことなど嘲り笑うように。
空だけは青く、燦々と照る陽の光が痛かった。
「いっそのこと、雨でも降ってくれた方がいいのにな」
そう思った。
けれど、梅雨時にそんなことを考えたせいなのか。
暫くして、雨は本当に降ってきやがった。
「クソっ、降り時を考えろよ」
少しぬかるんだ田舎の地面を、走る。
走って、走って……
「っ!」
足を掬われ、前に倒れた。
視界には、転んで擦りむいた腕が見える。
腕につけていたミサンガも、元は綺麗な青色だったのに泥だらけだ。
でも、雨は全てを洗い流してくれるような気がした。
最っ悪だ。
泥だらけだし、膝を擦りむいた気がする。
雨だけが洗い流していく。
俺に付いた、泥を。
俺の、罪を。
浄罪の雨……なんて言ったら厨二くさいな。
でもお似合いだ。
罪を洗い流す、罪人。
「ははっ……そっか、そうだよな……」
「……なんて」
「世界なんて……」
「世界なんて、クソ喰らえ!!!」
叫ぶ、誰も聞くことのない号哭だ。
疲れた。
見知らぬ田舎道に、少年が一人、倒れている。
悪くない。けれど、気持ちは晴れない。
仰向けになった。
空が見えた。
草と、白い雲と、大きな木と、その木の枝の上にいる白い少女が見えた。
土と雨の、独特の匂いがした。
このまま、沈んで行けたら。
そう考えた。
…
……
………木の枝の上にいる。少女?
「ていっ」
少女は木の枝から降り、傘を差した。
こっちへ向かってくる。
「……」
「……」
少女は俺を見下ろし
俺もまた、仰向けになりながら少女を見上げた。
白髪の、綺麗な少女だ。
年齢は……俺と同い年くらいだろうか?
どこか気だるげなようにも見える。
こういうのダウナーって言うんだっけ?
「……」
「……」
「お前……何やってるんだ?」
「うわ、生きてた」
少女は驚いたように言った。
おいおい、木の上からずっと見てた訳じゃないのか。
でも、そうか……
俺は生きているのだろうか。
哲学的な問いかけが、頭を巡った。
「私は雨宿りをしていただけ」
「そっちこそ、何しているの?」
「俺は……溺れている」
そうだ、俺は沈み、溺れている。
息苦しい泥濘のような水の中へ、中へと。
「死んじゃうよ?」
「そんなに変わらないさ、今と」
「死んでるの?」
「……生きながら、ずっと溺れている」
「それは死んでいるの?」
「違う、生きながら死んでる」
「ふーん」
そう言うと、少女は傘を放り出して自らも横たわった。
「何してるんだお前」
「溺れているの」
俺の真似かよ。
「死ぬ気か?」
「どうなのかな?わからないや」
こいつ、ひょっとして俺に同情しているのか……?
初対面の、俺に。
「……悪い」
「謝らなくていいよ、私もこうしてみたくなったの」
泥が髪や服につくのなんてお構いなしに、そいつは言った。
「……変なやつ」
変な感覚だ。
変と言っても、嫌なものではない。
風がそよいでいるような、不思議な感覚。
そう。不思議なんだ。
気が付けば、雲は俺の気分を表すかのように去っていく。
物語の世界のように、雲は消え、どこまでも澄んでいくような青空が一面に広がる。
俄かに、陽の光が差し込んだ。
眩しくて、横を向く。
「……!」
水溜りの中、ただ空をそいつは見上げていた。
きっと『ここ』ではない、どこかを見ていた。
だから、多分俺はそんなこいつに興味を持ったんだ。
「お前、名前は?」
「……」
「あ……悪い、俺の名前は天」
「天の川の天って書いて『そら』」
「変な名前だよな」
「運命、か」
「え?」
あまりにも唐突に言うから、俺は驚いた。
「いい名前を、貰ったね」
「はぁ……」
「とっても素敵、とってもわんだふる」
「あ、ありがとう……?」
俺はよくわからないが褒められたようだ。
「あ!」
そいつは突然、上半身を起こした。
まるで、何か忘れ物を思い出した時のように。
ゆっくりとこちらを向いたそいつは、どろんこだというのに、どこか神々しさのようなものを感じさせるようなオーラを放っていた。
「私の名前は
「お、おう。知ってた」
嘘だ。
なんて書くのかすらわからない。
そうかこいつ、天然なのか。
気が付けば俺は、この子のペースに乗せられていた。
「世界は、素晴らしいと思う?」
「え?」
「世界、素晴らしい、思う?」
「それは……思わねーな」
「なんで?」
「なんでって……色々だよ」
「そっか、色々か」
それで満足するのか、マジか。
というか、世界が素晴らしいかってどんな質問だよ。
会話に詰まってもそんな質問そうそう出ねーよ。
ちょっと怪しい宗教勧誘かと思ってビビったぞ。
心の中でぼやく。
「……」
「……」
……気まずい。
「ぐぅぅぅぅ……きゅう」
気まずい雰囲気の中、情けない音が鳴る。
俺の腹だ。
「お腹、減ってるの?」
「あ、いや……俺は」
「うち、来る?」
梵は手を差し伸べた。
どうすべきなのだろうか。
俺は逃げてやってきた。
人を頼ると言うことは、心を許すと言うことだ。
信じていいのか?
でも、このままでも野垂れ死ぬだけだ。
なら、最初から俺に決定権なんてないのだろう。
「行く」
そう言って、差し出した手を取った。
この時の俺は、世界が輝いているかなんてどうだってよかった。
世界への期待なんてなかった。
ただ、腹が減った。
利用できそうなやつがいた。
だから、縋った。
この時の俺は、まるで獣のようで。
到底、人ではなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます