始まりの日 その2

「……おい、まずいって! 早く逃げるぞ!」


「ああ!」


 友人たちが、俺の腕を引く。

 しかし、俺はその場から動けなかった。

 ただ呆然と、その世界の「歪み」の中心。

 天照学園の、その巨大なゲートの一点だけを、見つめていた。


 ――何かが、来る。

 ――とんでもなく悪い、何かが。

 その絶対的な予感が、俺の足を、地面に縫い付けていた。



 ◇



 天束 維が、原因不明の痛みで、その場に蹲る少し前。

 天照学園の地下深くに存在する中央オペレーレータールームは、年に一度の特別な喧騒と、安堵の空気に包まれていた。


「――以上で、今年度の入学試験、全工程終了です!」


「お疲れ様でしたー!」


 ドーム状の巨大な空間。

 その壁一面を埋め尽くす無数のホログラムスクリーンには、試験を終え、安堵の表情を浮かべる受験生たちや、その保護者たちの姿が映し出されていた。


「見ましたか、今年の首席。東雲 一華。彼女のマナ出力、規格外ですよ」


 一人のオペレーターが興奮気味にそう言うと、隣にいた先輩オペレーターが、さらに声を潜めて続けた。


「ああ、それだけじゃない。本当に驚くべきは、彼女が適合した『聖遺物』の方だ」


「え、そうなんですか……?」


「――出雲の神域で発掘されて以来、この三十年間、ただの一度も適合者が見つからなかった『アレ』が……! まさか、あんな可憐な少女に微笑むとは……!」


 オペレーターたちが、今年の新たな「英雄」の誕生に、持ちきりになっている。

 その視線の先、メインスクリーンに映し出されているのは、首席合格者である東雲一華の眩しい笑顔だった。

 その、少しだけ気の緩んだ空気の中。

 一人の女性が、部屋へと入ってきた。


「――皆さん、お疲れ様です」


 その凛とした声に、オペレーターたちの背筋が、ピンと伸びる。

 試験官の任務から戻ってきた、上級オペレーターである観月 千里みづき ちさとだった。


「たった今、試験で使用した全ての『聖遺物』が、本保管庫への護送ルートに入りました。これより、主力となる第一、第二小隊が、その護衛任務に就きます」


 彼女は、テキパキと状況を報告する。


「これより数時間。この学園の警備は、我々オペレーターと、待機部隊である第四小隊のみという、極めて手薄な状態になります」


 観月の言葉に、オペレーターたちの顔に、再び緊張が走る。

 彼女は、一人一人の顔を見回すと、厳しく、しかし仲間を鼓舞するように言った。


「――これより、通常オペレートへと移行します。皆さん、些細な異常も、決して見落とさないでくださいね」


 その彼女の視線が、ふとメインスクリーンへと向けられた。

 そこには、歓喜に沸く合格者たちの輪と、その少し離れた場所で俯き、肩を落とす不合格者たちの姿が映し出されていた。

 勝者と、敗者。

 光と、影。

 その、あまりに残酷なコントラスト。

 観月は、その光景に自らの過去を重ねるように、僅かにその表情を憂いに曇らせた。

 ――その瞬間だった。



 ――ウウウウウウウウウウウウウウウウッ!



 部屋全体が、耳を劈くような、緊急警報のサイレンに包まれた。

 全てのスクリーンが、赤く点滅する。


「――第三象限サードクアドラント、ゲート前広場に高エネルギー反応! 『歪象ノイズ』です!」


 一人の若いオペレーターの、悲鳴のような声。

 その報告に、ヘッドセットを装着した観月が、即座に反応する。彼女は自らのコンソールに表示された波形データを一瞥すると、その柳眉を険しく歪めた。


「波形パターン、D-7! これは、単純なマナのリーク現象じゃない……! 間違いない、歪象ノイズの発生パターンよ! すぐに、レベル判定を!」


 観月の鋭い断定に、オペレータールームの空気が一瞬で変わった。

 先ほどまでの安堵の雰囲気は消え失せ、誰もが自らのコンソールへと向き直る。

 パニックなどあり得ない。

 ただ極限まで研ぎ澄まされた、プロフェッショナルとしての「緊張」だけが、この場を支配していた。


「観月主席! 発生座標が、あまりにも悪すぎます! ゲート前には、まだ大勢の民間人が……!」


「第四小隊、緊急出動スクランブル! 目標、ゲート前広場! 急いでください!」


 観月がマイクに叫ぶ。

 現在の警備体制は手薄。それは、誰もが理解している。

 だが、やるしかないのだ。


「全オペレーター、脅威レベルの判定を開始! マナ波形パターンを照合してください!」


 観月の命令に、オペレーターたちの指がコンソールの上を高速で滑る。

 即座にメインスクリーンに表示された、禍々しい波形データ。

 しかし、その結果は誰もが予想し得ない、最悪のものだった。


「照合……! Bランクライブラリに、該当データ…ありません!」


「Aランクを検索! ……ダメです! 一致率、30%以下!」


「そんな馬鹿な……!? エネルギー出力、尚も上昇中! ゲート前での単体発生の、既知のどのパラメータをも超えていきます!」


 報告される、絶望的な情報。

 観月は、異常な波形データを睨みつけ、奥歯をギリと噛み締めた。


(違う……! これは、ただの高エネルギー反応なんかじゃない……! 空間そのものが、強引に書き換えられて……!? あまりに強力で、速すぎる……!)


 彼女の最悪の予測を肯定するかのように。

 現場に到着した、第四小隊の隊長からの緊急通信が、メインスクリーンに割り込んできた。

 ホログラムの向こう側。屈強な隊長の顔が、かつてないほど蒼白に染まっている。


『――観月主席! こちら、第四小隊の岩田! 現場、視認しました! ……アレは一体、何なんですか!? こちらのスキャナーが、警報を鳴らし続けています!』


 その声は、明らかに震えていた。


『――断言します! 現有戦力での、歪象ノイズの討伐は不可能! 繰り返します、討伐は不可能です! 我々にできるのは、よくて足止め……いえ、時間稼ぎ程度です!』


「……分かっています、岩田隊長。あなたの判断は正しい」


 観月は、冷静に応える。

 しかし、その額には、一筋の冷や汗が流れていた。

 そして岩田は、彼女に究極の選択を迫る。


歪象ノイズの周囲半径50メートル以内に、民間人多数! 合格者、報道陣が入り乱れています! 推定、200名以上!』


『最大の問題は、民間人です! 多すぎる! これでは、防衛線の構築すらままならない! ――主席、指示を! 我々は、誰を最優先に守るべきですかッ!』


 観月は、唇を噛み締めた。

 彼女の目の前のメインスクリーンには、戦場の地獄絵図が映し出されている。


 一つは、『合格者』たち。

 東雲 一華を始めとする、これからこの国を背負って立つ、かけがえのない才能の原石。

 彼らを失うことは、国家的な損失。


 一つは、『報道陣』たち。

 彼らが死ねば、この事件は「天照学園の大失態」として、世界中に報道される。

 それは市民の信頼を失墜させ、歪象ノイズそのものよりも、大きな社会的パニックを引き起こしかねない。


 そして一つは、『一般市民』たち。

 何の罪もない、ただそこに居合わせただけの人々。

 彼らを見捨てて、他の誰かを優先すること。

 それは、自分たちが掲げる「正義」そのものを、自らの手で踏みにじる行為。


(……どうすれば……)


(……何を選べば、正解なの……!?)

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