第28話 泡沫の交わり(3/6)
「なーんかさ、毘奈君最近ちょっと変わったよね」
「えっ、そ、そうですか?」
「うんうん変わった! なんだろう、前より逞しくなった気がする」
「何でも頼れそうな雰囲気が滲み出てるよな、確かに毘奈さんって見た目も頼もしいし、仕事の覚えも早いもんなぁ」
「あ、ありがとうございます……きっとこの職場のお陰です!」
今日も今日とて、新太は仲間と楽しく業務に励んでいた。
正直、作業量だけなら前の職場とあまり変わりは無い。だが、困れば必ず誰かが手を差し伸べてくれる環境と、なにより食事時間を含む規則正しい生活が保障されているお陰か、仕事の能率は飛躍的に上昇したと思う。
(……それだけじゃないよな。きっと『ヴィナ』のせい)
ログ分析のパターンを自動化するタスクを終え、新太はんんっと伸びをする。
時計を見ればちょうど良い時間だなと引き出しを開ければ、そこには変わらず白いういろうがちょこんと鎮座していた。
(記憶が戻った影響は、現実にも出るんだな……神様が分かるのは当然としても、確かに自分でもちょっと変わったと思うし)
小さなういろうのパッケージを剥く、ゴツゴツした指。筋がくっきり見える筋肉質な腕。
見せかけだけは立派で、どんな過酷な環境でも衰えない謎の筋肉の有用性など考えたこともなかったけれど、記憶が戻った今は……あの方を全力で守り抜くためのものだと知れたせいか、ちょっとだけ誇らしさを感じている。
(何か武道でも習ってみようかな……いや、筋肉を育てれば今の神様をお守り出来るわけじゃないけどさ……)
温かい緑茶を啜りながら、ういろうを一口。
あの頃は夢と繋がる甘さで現実を鼓舞するために欠かせなった半透明のもちもちは、今では業務の疲れを癒やし、推しの事を想い……今日も彼が陽の当たる時間に壊されず無事過ごせますようにと祈る時間と化していた。
――ああ、あの頃の神様も、こんな風に政務の合間に自分を想ってくれていたのかと思うと、嬉しすぎてその場に崩れ落ちそうだ。
(でも……凄いな。まるで運命の人みたいだ、最推しが前世の恋人だなんて!)
そりゃ一目で神にも認定するし、推しがどうなろうが死ぬまで推し続ける熱量も沸いてくるよなと、新太はにへらと笑いながらマグカップに口を付ける。
……しまった、まだ一気に飲むには少々熱かった。これは舌を焼いてしまったか。
「えへ……推しが運命……」
ヒリヒリする舌をチラリと出したまま、幸せに惚けている新太の脳裏に次々と浮かぶのは、神様と過ごした夢のような(夢だけど)日々だ。
神様手ずからご飯を食べさせて貰って、推しの膝で寛ぎ、特等席からあの麗しいご尊顔を拝受する……何と尊いことか……と悦に浸っていれば、ふとムシュカの声が頭の中を駆け抜けた。
『その推しとか一筋というのは、つまり私を愛していると言うことなのか?』
「…………ぶふぉっ!!」
突然の一撃に、新太は思わず鼻から茶を噴きそうになる。
ひとしきりむせ込んで、ようやく上げた顔は……絶対誰にも見られてはいけないくらい、真っ赤に染まっていて。
(え、いや、これは推しの感情……でっ、でもっ、確かに『ヴィナ』の愛してると俺の推しへの気持ちは似てて……あれ、もしかして俺の推し活、ただの求愛行動……?)
「…………忘れよう、うん、一旦これはペンディング!!そう、どっちにしても俺は神様が心から笑ってくれればそれでいい、OK?」
だめだ、どうやら今日は少し『ヴィナ』としての意識が強く出ているようだ。
そんな「あーん」とか、膝枕とか、あれが求愛だったなんて認定したら鼻血は必須、仕事が手に付かなくなる!! と、新太は慌てて煩悩を全力で振り払いキーボードに手をかけた。
◇◇◇
その夜。
今日は夕食を手作りし……毎度ながらちょっとよく分からない物体(味はいい、そう、味だけは!)をたらふく食べた新太は、ビール片手にまじまじと枕を眺めていた。
「やっぱり……お前、神様が言ってた呪いの寝具ってやつだよなぁ……」
ホームセンター出身の枕にかけておくにはあまりに勿体ない、上質な枕カバー。
不思議な男性から貰ったこの織物が夜毎頭を包むようになって以来、新太の人生は見事に好転した……まさに売り文句通り「願いの叶う枕カバー」が、実は呪いのかかった品かもしれないだなんて、正直今でも信じられない。
だが、虚ろな瞳からはらはらと涙を零す神様の口から語られた特徴を完全に満たした――東雲の空を流し込んだような深い紺色に桃色のグラデーションが見事な、恐ろしく触り心地の良い織物を前にこれまでの経験を重ねてしまえば、別世界の話だからと断じることは出来そうにない。
『絶対に叶わない願いをかけてしまったのだ……あの時の私には避けようがなかったし後悔もない、ただ……生涯解けぬ呪いのせいで、父王や母君、レナ、パニニ老師にラシッド……あまたの人たちに悲しみを負わせてしまった。それを思えば、心を壊される罰を受けても致し方あるまい』
『そんな……その、呪いを解く方法は無いんですか?』
『心からの願いが変わるという奇跡でも起きない限り不可能だと、先生は仰っていた。今のところは問題なく夢から醒められているが、いつ夢に閉じ込められるかもしれぬとも』
『そんな……!』
夢で願いを叶える、不思議な織物。
寝具が見初めた者の願いが叶い、次の持ち主が見つかるまでは決して側を離れないと神様は言っていたっけな、と新太は昨夜の話を思い起こす。
「お前、俺に付いてきてたっけ?」
「…………」
「……って聞いたところで、流石に返事はしないか……」
側を離れないとは言うけど、少なくとも突如職場に現れたことはなかった筈、と断じかけて、新太はふと気付く。
……よく考えたら前職の頃は、家に帰れるかどうかも分からない生活だったから常に鞄に入れて持ち歩いていたっけなと。
今は毎夜ここで寝ているから、枕カバーだって移動する理由がない。そりゃ、付いてくるもなにも確かめようがないわけだ。
「『叶う願いをかけていれば、呪いはいつか解除される』だっけ。……俺のかけた願いって、そもそも何だったかなあ……あの頃の記憶は曖昧なんだよな、神様とご飯以外」
なぁ、覚えてね? とつんつん枕を突いたところで思い出せるはずもなく。
少なくとも自分は毎朝元気に目覚めて仕事に行けているから、まあ大した問題は無いだろうと新太は結論づけ、つまみに手を伸ばす。
……時間は21時過ぎ。記憶によれば、王国ではそろそろ夜のティータイムの時間だ。
恐らく塔に囚われた神様も、今頃は月明かりの意味するところすら分からぬまま、幻となって現れるかつての自分と共に味のわからない飲みものを喉に流し込んでいる筈。
「……悪化、してるよなぁ」
ここ数日の逢瀬を思い出し、新太はぼそっと独りごちる。
記憶が戻ってそろそろ20日。夢の中のムシュカは常に気丈に振る舞ってはいるが、最近では目の焦点が合わなかったり、時折電池が切れたかのようにぼんやり目を開けたまま、ピクリとも動かなくなるときが増えた。
夢の中でさえこれなのだ、恐らく現実の神様はもう、限界を超えている――
「どんなお姿になったって、俺はずっと神様の推しだけどさ……でも、異世界じゃ励ましにもいけないよな。連絡も取りようがないし……」
助けたい、守りたい。
そう本能が叫び続けるのは、きっと「ヴィナ」の魂が震えるからだ。
心からの笑顔を見せて欲しい、幸せになって欲しい。
そう願うのは「新太」として、あの麗しい神様を尊び続けているからに違いない。
手を伸ばすには、遠すぎる。
今となってはどこにあるかも分からない、そもそも時間軸だって同じかどうか定かでない世界に住む神様に自分が出来る事なんて、精々夢のなかで楽しませるくらいで――
「……あ」
その時、新太の頭の中に稲妻が走る。
――あるじゃないか。自分にしか出来ない、愛しい人を喜ばせる方法が!
東雲の織物に目をやり一瞬躊躇したものの、パン! と頬を両手で叩いて気合いを入れた新太は、むんずと枕を掴む。
そしてあぐらの中に立てて「なぁ、呪いだか願いだかどっちでも良いんだけどさ」と真剣な面持ちで話しかけるのだった。
「……でさ、これなら今の神様でもきっとびっくりして、楽しくて、美味しいと思うんだ。……お前が本当に願いの叶う枕カバーだというなら、この『神様を元気にしようツアー』を夢の中で実現させてくれ。後は、俺が頑張って神様を笑顔にしてくるから、さ!」
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