第17話 掴んだ転機(3/5)
王宮の中庭には威勢の良い子供の声と、それを指導する厳しくも温かい声が響いている。
騎士相手に木剣を振るうのは、黒に金色が混ざる柔らかな巻き髪を跳ねさせ、くりくりした琥珀色の瞳で相手を見据える少年だ。
カン、カンと剣のぶつかり合う音を立て、必死に騎士に食らいつく姿は幼いながらなんとも勇ましい。
「精が出るな、サリム」
「兄上!! あ、その袋は……!」
「ほら殿下、よそ見をしているとやられてしまいますぞ!」
「うわっ! ちょ、ちょっと待ってってばぁ!!」
汗だくで芝生に転がり込むサリムに、ムシュカは「随分剣さばきが上手くなった」とその奮闘を湛えながら、冷たい水と紙袋を手渡す。
一気に水を煽ったサリムが紙袋をそっと開ければ、そこには薄桃色のせんべいがぎっしりと詰まっていた。
「城下に出る用事があったのでな。稽古中にあまり食べ過ぎると、動きが鈍くなるぞ?」
「わぁい、ありがとう兄上!! ね、ジュナも一緒に食べようよ!」
「はいはい、殿下の仰せのままに」
(…………あのくらいの頃は、私もヴィナに随分鍛えて貰ったものだ)
兄の土産に目を輝かせたサリムは、指導教官と一緒に幸せそうにえびせんを頬張っている。
自分もかつてはああやって稽古を付けて貰っていたなと、少しだけ切なさの混じる郷愁に捕らわれていれば、横から「殿下もすっかりお元気になられましたな」と野太い声がかかった。
「久しいな、ラシッド団長。……ヴィナの葬儀以来か」
「そうですね。あれ以来殿下はこちらには近づかれませんでしたから……」
懐かしいですね、とサリム達を見つめるラシッドの瞳も、きっとムシュカと同じものを見ているのだろう。
「あの頃から殿下は、ヴィナにお熱でしたもんなぁ。気付いていなかったのは、あのにぶちんだけで……」と笑う声には、どうしようもない寂しさが滲み出ていた。
「べらぼうに強くて稽古でも手を抜くことを知らない癖に、終わった途端に芝生に土下座して顔を上げてもくれなかったからな……それにしても、正室に指名するまで全くこちらの秋波に気付かぬとは思いもしなかったが」
「指名されて第一声が『殿下、正気ですか!? はっ、まさかお腹が空きすぎて正常な判断が出来ないのでは!』でしたからなぁ! 色恋沙汰には本当に初心で……今も夢の中では変わらぬのですか?」
「…………そうか、知っているのだな」
ムシュカ王太子殿下の劇的な回復は、夢を伝って亡き恋人との逢瀬を叶える魔法のブランケットのお陰らしい――恐らくあの日レナとの会話を盗み聞いていた誰かが流した噂は、既に王宮中に広まっているようだ。
中には夢に耽溺して正室選びすら放棄していると陰口を叩く者もいるようだが、政務を精力的にこなし正室候補との交流の機会も少しずつ増えている今、国王がムシュカを諫めるような事態にまでは発展していないのが幸いか。
「まあ、夢の中でもヴィナはヴィナのままだな。相変わらず可愛らしいぞ? 手ずから料理を食べさせれば奇声を上げ、私の膝枕に目を白黒させたりだな」
「殿下、それはヴィナが二度死んでしまいますので夢の中とは言えお控え下され。……本来なら夢に現を抜かす事態はお諫めするべき立場ですが、正直あやつに会えるとは羨ましいものです。我らの夢に出てきてくれれば、夢に縋らねばならないほど殿下を悲しませおって! と全力で一晩中説教してやるのに」
「ぷっ、それだから出てこないのではないか?」
きっと貴族達の流す悪意を耳にしたのだろう、何かとムシュカの身を案ずる騎士団長に「なに、そろそろ正室選びも本格化させる」とムシュカは肩をすくめ、だが、と真剣な目つきですっと纏う空気を変えた。
……何かと忙しい立場である王太子が、ただ弟王子の訓練を見物しに来た訳では無いのは明白だ。ラシッドの表情にも自然と緊張が走る。
「まだあの事件の首謀者は、何も分からぬままか」
「ええ。既に野盗はボスである魔法使い以外は全員捕縛済みですし、盗品も一つを除いて全て取り戻せました。ですが」
「…………司法職の動きは鈍い、と」
ラシッドの報告に、ムシュカは苦い顔をする。
およそ貴族達からすれば、王族の至宝さえ戻れば面子が立つという考えなのだろう。騎士団の副団長とはいえ、奴隷上がりの犠牲者のためになど割く人員も時間も惜しいと思っているに違いない。
「確か司法職は、宰相派であったな」
「ええ。ですので大公派の実働部隊である我々騎士団とは長年折り合いが悪いですね。たかが騎士一人、貴族様とは命の重みが違うのでしょうよ。まして、ヴィナは……」
「そうだな。この動きの鈍さと普段の態度……それが全てだ」
ムシュカの腹の中では、首謀者の目処はあらかたついている。
己の正室という座を狙って権力争いに明け暮れていた連中には、ヴィナの存在はどうにも疎ましかったであろう。
そして……司法職への指図ができるだけの人物ともなれば、答えは既に出ているようなものだ。
だが、証拠がないと呟くムシュカに、ラシッドはグッと唇を噛みしめる。
「殿下のお役に立てず、申し訳ございません」と頭を下げるその顔には、悔しさがありありと滲んでいた。
「我々が捕縛した野盗は、既に司法職の管理下にあります。こちらから話を聞くことも難しく……何とか一人だけ、直接騎士団に自首してきた野盗は大公家の協力の下うち預かりとなっていますが」
「その者への尋問は?」
「行いました。パニニ老師も先日面会済みです。ただ、首謀者の名前は頑として語らず……いえ、語れないと本人は言っていましたね。なんでも口にした途端、命を刈り取られる魔法をかけられているとか」
「世迷い言を、と言いたいところだが……あの現場を見た以上、嘘と断じることは危険すぎるな」
あれほど立派な男のために、俺達は何の仇も取ってやれません、そう呟くラシッドの瞳は怒りに燃えていた。
まぁ落ち着けとムシュカは彼に水を差し出し、己も冷えた水をぐいっと飲み干す。
異世界にて生きていることを知っているとは言え、この世界から愛しい人を奪った連中を鷹揚に許せるほど、自分は人間が出来ているわけでは無いから。
「……」
「…………」
さぁっと中庭に風が吹き抜ける。
すこし埃っぽさと湿り気を含んだ匂いは、スコールの到来を告げているかのようだ。
「…………なに、私なりのやりようもある」
「殿下」
「お主は早まるなよ? ……我が国の宝を、私はこれ以上失いたくない」
「っ……もったいなきお言葉にございます……!」
(直接の糾弾は叶わない。立場上、証拠もないのに動くことは無理だ、だが)
(……私とて権力の重さは分かっているのだよ、カルニア公)
遠くで聞こえ始めた雷鳴が、訓練の終わりを告げる。
えびせんの袋を抱えてご機嫌の幼き弟の手を取り「邪魔したな」と微笑みを残して去って行くムシュカの背中は、静かな決意と怒りを滲ませていた。
◇◇◇
特段変わったことはない。少なくとも傍目には、そう見えているだろう。
だがダルシャンは、ここしばらくのムシュカに対して拭いきれない違和感を抱き続けている。
「お招き頂きありがとうございます、王太子殿下。殿下に置かれましては本日もご機嫌麗しく……」
「堅苦しい挨拶は良い、ダルシャン。折角西国の華麗なる演奏が楽しめるのだ、気を楽にしたほうがよいぞ」
「は……」
王宮では親睦会と称して、度々非公式の演奏会や鑑賞会、舞踏会などが開かれている。
とくに王太子であるムシュカが参加する催し物は、実際には正室候補達が交流を深めムシュカの心を射止めようと競い合う、華やかながら陰謀渦巻く場と化していた。
「素晴らしい演奏でございましたね、殿下」
「そうだな、我が国にはない音色だが実に耳に心地よい。……そう言えばお主が王宮を訪れたのは久々だな、フラン嬢」
「あっ、はっ、はい! 申し訳ございません殿下、何度もお誘い頂いていたというのに……」
「いや問題はない。ニールス伯の屋敷は辺境、それも南方の小島であろう? むしろ頻繁な誘いで気を遣わせてしまったな。そうだ良ければこの後、茶会でもどうだ?」
「ありがとうございます、謹んでお受けいたします!」
辺境伯の垢抜けない令嬢は、思いがけない茶会の誘いに頬を染めながらムシュカと共に広間を後にする。
「今日は彼女なのね」「まだヴィナ様を喪った傷も癒えないでしょうに、どの婚姻候補にも機会を与えて下さるなんて……流石ムシュカ様ですな」とその行動を好意的に捉える若い男女達の語らいの中で、ダルシャンはいつもと変わらぬ笑みで相槌をうつものの、その内心は穏やかでない。
(なぜ、あんなイモ臭い辺境伯の娘には声をかけるのに、私には声をかけてくれないのか……いや、遠方からの参加者を優先したといえばその通りなのだが……)
国王からの催促もあってか、最近ではこのような催しも事件前と変わりない頻度で開かれるようになった。
まだムシュカの口から正室候補の言葉は出ないものの、ようやくこの日が帰ってきたかとそれぞれの家を背負った若人達は、和やかな振る舞いの裏で早速駆け引きに明け暮れている。
「でも、きっと正室になられるのはレナ様ですよね。俺は側室に選ばれれば十分役目は果たせますからいいですけど」
「そこはもう少し夢と自信をお持ちになられては? と言っても、レナ様の美貌には敵いませんものね。何より、幼馴染みというのは大きいですわ」
「そうそう、殿下もレナ様とは非公式な茶会を度々設けておられるそうですよ。私などはここでお声をかけて頂けるだけでもありがたい身分だというのに、本当に羨ましい……」
(…………!)
小耳に挟んだ情報に、ダルシャンは胸の辺りが焼け付くような感覚を覚える。
確かにラグナス大公家の令嬢であるレナは、その関係性故かあの奴隷上がりが存命の頃からムシュカが私的な茶会に誘うことは多かった。勿論その場には必ず奴がいたから、ダルシャンとしては呼ばれなくてせいせいしていたくらいだったが。
(いや、やはりおかしい)
それにしても、あまりにも自分には声がかからない、そうダルシャンはこっそり歯噛みする。
婚姻候補は一人二人ではない。十数人もいれば、個人的な茶会の順番が回ってくるまでに時間がかかってもおかしくはないが……あれが消えて以来、ムシュカから声がかかったのはこういった催し物の誘いだけではないか、と。
(……これは父上に相談をしておくべきか)
談笑で賑わう広間の隅、ダルシャンはムシュカの消えた扉を見つめる。
その手に握られたグラスは、少しだけ水面が波立っていた。
◇◇◇
違和感を告げられたカルニア公の第一声は「まさか、バレたのか」であった。
普段はこの国の政治の中枢を担う宰相としてふんぞり返っている彼がこれほど動揺するのは、我が父ながら情けないものだとダルシャンは眉を顰め、目の前であたふたする男を心の中で軽蔑する。
「いや、バレるわけがない! 『あの件』については内々で捜査を終了させろと指示をしておいたはずだ。犯人は捕まり宝物もほぼ全て元通り収蔵された、それで王宮は問題無いとな!」
「父上、雇った魔法使いからバレた可能性もあるのでは?」
「あやつにはたんまり口止め料を積んであるのだ、今頃は東国で悠々自適の生活だろうよ! それに、野盗達には自分を雇った人間の事を話せないようにやつが魔法をかけてある。大公家にまんまと出し抜かれたあの野盗が死んでいないなら、我々の名前は一言たりとも出ていないはずだ」
「……ですがこの扱いを見るに、恐らく殿下は何かしら勘づかれておられると考えるのが自然でしょう。そして……密かに我々宰相派を正室候補、いや婚姻候補からも外されている可能性が高いです」
「な……っ!!」
あの後、ダルシャンはもしやと思って他の宰相派の息がかかった若者達にさりげなく尋ねてみたのだ。
そして残念なことに、懸念は見事に当たっていた。親睦を深める会が事件後に再開して以来、ムシュカと二人きりでの茶会に呼ばれたものは、一人もいなかった――
その事実を告げれば、今度こそカルニア公は顔を白くして「……何と言うことだ」と呆然とした声で呟いた。
「それとなく探りを……入れてはこちらの立場が危うくなる。ダルシャンで籠絡しようにも、未だ夢のなかの奴隷上がりに現を抜かしている殿下が、疑いをかけている相手に振り向くことなどあり得ない……!」
「ではどうしますか、父上。…………踏みにじられた雪がお気に召さぬなら、新雪を求めるのも一つかと思いますが」
「っ!! 滅多なことを言うものでは無いぞ、ダルシャン!! それこそ我々を排除した証拠もないのに弟王子を担ぎ上げるなど、自殺行為も甚だしい! そもそもムシュカ殿下は有能で性格も良く、民からの人気も絶大だ。余程のことがなければ、追い落とせるわけがなかろう!」
真っ赤な顔でダン! とテーブルを叩くカルニア公に、ダルシャンは(耄碌したな)と冷ややかな目を向ける。
数百年にわたり政治の実権を握ってきた、いわば権力闘争のプロとも言える家に生まれながら、この男は少々思慮に欠けるらしい。
はぁ、と首を振りわざとらしくため息をついたダルシャンは、目の前で頭を抱える己が父から早々に権力を譲り受けようと密かに画策しつつ、一つの切り札を提示するのだった。
「……策はありますよ、父上。我々カルニア家がこれまで通り、王族の姻戚として権力を握る良い方法が。私にお任せ下されば父上にご満足頂ける、いえ、それ以上の結果を残して差し上げましょう」
「ただし……成功の暁には、私に宰相職を譲って頂くことが条件ですが、ね」
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