#2 小さな鍵

 とあるヨーロッパの都市では、十字軍の遠征により多くの男性が戦争へと駆り出されていた。その街に、クリスという男がいた。クリスはこの都市の市門(都市と外部を分ける門)で、門番をしていた。

 ある日クリスは、小さな鍵が落ちているのを見つけた。そこは市門に程近い場所だったので、拾って詰め所へと持っていった。


 仕事が終わってから、クリスは自らの同僚に鍵のことを話した。同僚は「商人が出入りの時に落としたのではないか」と言ったが、クリスはそうは思えなかった。なぜならば、普通鍵には鍵番号が付いているものだが、この鍵にはそれがなかったからだ。鍵番号は職人が設計図を確認するために必ず付けるはずで、それがないというのが少々クリスの気を引いた。


 それでも、どこかに持ち主がいることには変わりがない。そう考えたクリスは薄い木の板に鍵の絵を正確に描き、教会の壁に飾ってもらい、礼拝に来た人々に鍵の心当たりがある者は詰め所までくるようにと伝えてもらうように頼んだ。


 これによってが起こるのは、これから三日後のことである。


 ◇◆◇


 その日も、いつものように商人や旅人の所持品を確認し、クリスは門番としての勤めを全うしていた。

 十時ごろ、一人の女性が詰め所を訪ねてきた。


「よろしいでしょうか。教会で、こちらで鍵を預かっていると聞いたのですが……」


 どうやら早々と問題は解決したようだ、とクリスは思い、「はい、こちらがその鍵です」とクリスは女性に鍵を見せた。


「持ち主が見つかったようでよかったです。それでは」


「ありがとうございました」


 女性は鍵を受け取り、自らの家に帰った。だが、なぜか彼女は一時間も経たないうちに詰め所の前に戻ってきた。


「その、申し訳ありませんでした。これは私のものではなかったみたいです」


 そう言ってその女性は鍵をクリスに返した。クリスはやや釈然としない気持ちでその鍵を受け取った。だが、誰にでも思い違いはあるだろうとクリスは納得した。無くしてしまった鍵とこの鍵が相当似ていたのかもしれない。

 次は本当の持ち主が現れるだろう。クリスは特に根拠もなく漠然とそう思った。だが今日一日を通して、その期待は更なる疑念へと変化を遂げた。


「なんで十二人も来て、同じことをして帰るんだよ!」


 クリスは少々癇癪気味に言った。

 今日の仕事を終えて、クリスは同僚と酒場で酒を飲んでいた。いつもと比べて明らかに語気が荒くなっているクリスだったが、それもしかたないという風に同僚はクリスを見ていた。


 なんと最初に鍵の持ち主を名乗る女性が現れてから、立て続けに十一人の女性が鍵の持ち主を名乗り出て、受け取っては返しにきたのだ。


「はあ、おかげで、今日の仕事は大変だった。変に癇癪を起こす女の人もいたし、他の手続きも滞るし……明日もこれで深夜帰りになんかなったら呪ってやるからな!」


 誰をだよ……と同僚は呆れた。そして「多分明日も来るだろ?」と続けた。


「まあ、来るに決まってる。あれだけ来るんだから、いつかこの街の女性全員が来るんじゃないか?」


「なら、出会いに事欠かないな。独り身の俺らにはありがたい話じゃないか」


「どうやらダメっぽいけどな」


 今日詰め所へとやってきた女性は、全て既婚だった。百パーセント、一切の例外なく十二分の十二が夫のいる女性だったのである。


「ここまで来ると、いよいよ怪しくならないか?」


 クリスは言った。


「だってさ、十二人の既婚女性が揃いも揃って鍵を受け取って返しにくるだなんて、そんな偶然起こりうるか? もしかしたら、あの鍵がなんらかの犯罪に関わっているのかもしれないし……」


 確かにそうかもな、と同僚は言った。


「ならどうするかな……、そうだ、明日からは持ち主かどうか本人確認をさせるようにしたらどうだ?」


「本人確認? どうやって?」


 クリスは首を傾げた。


「これがなんの鍵なのか、それをちゃんと説明してもらうんだよ。それがわからないと渡せないってな。実際持ち主が不明なんだから、それくらいは当然の措置だろ?」


 それじゃあそうするか、とクリスは同僚のアイデアを胸の中に留めた。


 ◇◆◇


 次の日。朝になって門と詰め所を開けると、絶対に街の外に出そうにもないし、商人でもなさそうな見た目の女性——つまるところ鍵を求めて来たであろう女性が詰め所にやって来た。


「何か御用ですか?」


 クリスは女性に聞いた。すると女性は「ここで預かってるんでしょ? 鍵よ鍵!」とまくし立ててきた。


「ああ、教会で飾ってある鍵の絵を見てこられたのですね」


 そう言うとクリスは、鍵を手に持って彼女に聞いた。


「それでは持ち主かどうか判断するために、この鍵がなんの鍵であるのかを教えていただけますか?」


 クリスがそういうと、急に女性は狼狽うろたえてしどろもどろになった。そして顔を赤くすると「なんで言わなきゃならないのよ! 了見が狭い男ね!」と言い出した。

 それは間違いなく、何か後ろめたいことを隠そうとする人間の反応だった。それを察知したクリスは女性に怯むことなく「最近、これを自分のものだと言い張り、受け取ったのち返すという事態が続いています。それでは通常の業務の邪魔になると考えましたので、このような措置を取らせていただいております」と答えた。


「いいから一度私に渡しなさいよ!」


 彼女はまだ強情に鍵をよこせと強請ねだってくる。


「……わかったわよ、そこまで言うなら、なんでも貴方の好きなこと私にシていいから! とにかくいますぐ鍵をよこしなさいって!」


 女性経験が全くないクリスの心は一瞬その言葉に揺れるも、その口から出て来たのは「ダメです」という端的な一言だけだった。


「他の人の邪魔になります。もしも貴方のものだと言うなら、その用途をこの場で言ってください」


 女性の後ろには、既にそこそこの列ができていた。同僚が担当している『外から街』と違い、クリスが担当する『街から外』は朝からも多くの人が通る。そして通行が滞っているフラストレーションが、彼女に向けられているのは明らかだった。


 周囲の刺すような視線に耐えられなくなったのか、彼女はついに諦め身を翻し、街の中へと戻ろうとした。


 その時だった。街に入ろうとしている、馬で荷車を引いていた商人が手綱の扱いを誤り、馬が暴れ出してしまった。

 クリスはそれを宥めようと気を取られ、それと同時に「しめた」とばかりに彼女がクリスから鍵を掠め取った。


「ま、待てっ」


 馬のことは同僚に任せ、クリスは彼女を追いかけた。

 走り出す判断が数秒判断が遅れてしまったため、その差はかなりのものだった。だが、ただの一般女性である彼女と門番という防衛の仕事に当たっているクリスとの走力の差は歴然で、疑うべくもなかった。クリスと彼女との差はどんどんと縮まっていった。


 だが、クリスが追いつく前に、彼女は一軒の家の中に入った。どうやら鍵とかんぬきをかけられたようで、クリスが開けようとしても開かない。


「いますぐここを開けろ! お前が今やっていることは間違いなく窃盗であり、犯罪だ!」


 中から返事はなかった。しかたない、とクリスはかぶりを振り、ドアにタックルをかまそうと体制を整えた。

 さあ、あとは地面を思い切り踏み込み、前方へと突撃するだけだ……となったところで、急にドアが開き、クリスはつんのめるようにして止まった。


「……これ、私のじゃなかったみたいね。返して謝るから許して」


 最後まで横柄だったが、結局昨日の十二人と同じように、彼女も鍵をクリスに返すことになった。

 クリスはより釈然としない様子だった。彼女家の中に入ってからドアが開くまで、わずか三十秒もかかっていなかったのだ。あの鍵には鍵番号がついていなかったから、開くかどうか確かめるしか、その鍵が自分のものだと確かめる方法はない。家の中にあるもの金庫の鍵を開けたりするには、さすがに短い時間だ。いったい、これはなんの鍵なのか……。

 そしてクリスは、一つの最も効率的な方法を思いついた。

 

「……そうだ。鍵屋に行けばいいじゃないか」


 ◇◆◇


 クリスは仕事終わりに、鍵職人の元へ向かった。


「えー、この鍵について聞きたいことがあるんですが。鍵番号が付いていないようで、なんの鍵かがわからないんです」


 クリスは鍵を渡した。職人が鍵を一瞥すると、すぐに頷き、一枚の設計図を出した。


「おそらく、この鍵だろう。設計図との形とも一致する。ところで、この鍵はどこで拾ったのか聞いてもよろしいか」


「市門の近くに落ちていたものです」


 なるほどなるほど、と職人は意味深に呟いた。


「おそらくこれは、十字軍の遠征に行った物の所持物だろう。街から出る時に、誤って落としてしまったのだ。ところで、これに鍵番号がないことを訊いていたな。この鍵はわしが作ったものだが、合鍵を簡単に作れないように鍵番号をなくしてくれと依頼主から頼まれていたのだ。おそらく詰め所へと詰めかけた女性たちとやらは、一縷の望みにかけてお前のところに来たのだろうな。この鍵がここにあるということは、全員がはずれたようだが」


「……結局、これはなんの鍵なんですか?」


 結論を意図的にぼかしたような話し方にうんざりしたクリスは、職人に端的な答えを求めた。


「ああ、簡単だよ。まあ、独り身の人間だと知らない者も多いだろうが——出征に行く男たちが、妻に身につけさせて安心するための道具の鍵だ」


 要するに、と職人は言った。


「貞操帯だ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る