譲れないもの2


 「お前らいちゃつき過ぎだ。つーか距離が近い!」

  

 いきなりぴしゃりと咎められ、目を丸くする。昴は驚かず、響也に向き直って爽やかな笑みを返した。


 「デートならこのくらい普通だよ。むしろ慎ましいくらいじゃない? 心配しなくても節度は弁えてる。安心して藤崎さんと親交を深めてきなよ」


 「イエローカード食らった直後によく言うな。お前の『節度』の枠が緩いから目が離せないんだろうが。帆花、お前も隙があるからつけ込まれるんだぞ! 相手が昴だからって気抜きすぎだ。ったく」


 反論する間も与えず不機嫌に顔を背けると、響也は商品棚を眺めていた藤崎の元へ歩み寄っていく。彼女に声をかける様子は落ち着いていて、完全に普段通りだ。


 突然の嵐に見舞われた帆花は小さく息を吐き、昴に向かって申し訳なさそうに眉を下げた。


 「すみません、響ちゃんがまた失礼なこと」


 「はは、気にしてないから大丈夫だよ。むしろ面白……いや、微笑ましいくらい」


 「えっ?」


 「気付かなかった? 響也は藤崎さんと一緒にいる時も、僕が帆花ちゃんに余計なちょっかいを出さないか目を光らせてるんだよ。器用というか、もはや執念だよね」


 愛されてるねとからかい交じりに告げられ、思わず苦笑した。元々過保護ではあるが、昴と二人で出かけた日を境に一層エスカレートしている気がする。


 一通り店内を見て回り、気に入った豆菓子を購入して外へ出る。ちょうど十二時を過ぎた頃で、藤崎はそろそろ昼食にしましょうかと皆の移動を促す。


 小町通りから外れた路地にあるレトロな喫茶店に向かったところ満席で、何組かの先客が列を作っていた。


 しばらく待って中に通されると、昔から馴染みがあるような懐かしさを感じた。年季の入った丸足のテーブルに革張りのソファが並べられている。


 店には中庭があり、それを取り囲むようにガラスが張られているため自然光が入ってきて明るい。テーブルに着席し木の葉から零れる陽だまりに和んでいると、藤崎がメニューを渡してくれた。


 「これからまだ食べ歩く予定だから、お昼は軽めにと思って喫茶店にしたの。でもお腹が空いてるならピザトーストかアメリカンクラブハウスサンドあたりがボリューミーでお勧め。


 あとは何といってもパンケーキ! 厚みがあるから焼き上がるのに時間がかかるけど、待っても試す価値ありの美味しさよ」

 

 藤崎の助言に耳を傾けつつ、帆花は熱心にメニューに見入った。ショーケースに展示されていた極厚パンケーキの食玩が魅力的だったので、ぜひ頼みたい。けれど好物のフルーツサンドも捨てがたいのだ。


 顎に手を当て真剣に悩んでいると、隣に座っている響也が口角を上げる。


 「パンケーキとフルーツサンド、選べないなら両方頼めばいい」


 「! どうして分かったの?」


 「バーカ、分かりやすいんだよ。さっきから写真を見比べてるだろ。遠慮するな。食べきれない分は俺が手伝ってやる」

  

 テーブルの上に片肘をつき、頬杖した響也が甘やかすような笑みを向けてくる。胸が高鳴り、帆花は慌ててメニューに視線を戻す。


 「気持ちは嬉しいけど、だめ。響ちゃんが食べたいもの食べれなくなっちゃう」


 「俺は特にこれっていうこだわりがないから何でも構わないぞ。それより、好物に囲まれてはしゃぐお前が見たい」


 「……っ」

  

 藤崎の前なのに、全力で甘やかしてくるのが気恥ずかしい。堂々たるシスコンぶりでちっとも自重しないので、助けを求めて昴を見つめる。


 SOSに気付いた昴は意図を汲んでにっこりしたものの、「いいね、それ。僕も帆花ちゃんの喜ぶ顔が見たいし、響也の提案に一票」とあっさり裏切られショックを受けた。


 「そんな、昴さんまで!」


 「ふふっ、そういう話なら私も神楽木さんに一票入れちゃおうかな~。帆花ちゃん、とっても美味しそうに食べるから見ている方も幸せになっちゃうのよね」


 「藤崎さんも!?」


 「三対一だな。諦めて甘やかされとけ」


 ニヤッとしてぽふぽふ頭を撫でられ、帆花は脱力した。ここで意地を張るのは可愛げがないので、素直にお礼を告げる。


 響也の態度がどう思われるか気になったが、藤崎は引いた様子もなく楽しそうに笑って輪に加わっていた。


 (まるではじめから四人でいたみたい)


 共に過ごした時間は長くないが、自分の中に藤崎の居場所ができつつある。おそらく響也も同じように感じているだろうと想像し、胸がチクリと痛んだ。


 会話を弾ませる二人の姿を複雑な気持ちで見守っていると、まもなく料理が運ばれてきた。

我ながら単純で呆れるが、目の前に好物が並ぶと気分が上がる。


 フレッシュな生クリームと色とりどりのフルーツを挟んだサンドイッチに、厚さ五センチはありそうな二枚重ねのパンケーキ。どちらもがっちりハートを掴んできて、憂いは頭の隅に追いやられた。


 「わぁ~! パンケーキ、すごいボリュームですね」


 「でしょう? 乙女心をくすぐるビジュアルでわくわくしちゃうわよね」

 

 温かいうちにどうぞと藤崎に勧められ、さっそくパンケーキにバターを塗り、メープルシロップを回しかけた。


 一口サイズに切り分けたスポンジはふかふかで弾力があり、食べるとカステラのような優しい甘さと芳醇なバターの風味が広がる。シロップが染みた部分はしっとりして、噛む度にじゅわっと蜜が溢れてきた。


 「ん~っ!」


 至福の声をあげ、笑顔で頬張る姿は小動物のように愛らしい。響也は笑みを綻ばせた。


 「お気に召したようだな」


 「うん、すっごく美味しい~! これなら何枚でもいけそう!」


 「よかったな。じっくり味わえよ」


 「ありがとう。せっかくだから響ちゃんもあったかいうちに食べてみて。取り分けるから待ってね」


 「いや、いい。味見ならそれをもらう」 

  

 響也は身を乗り出し、帆花のフォークでパンケーキを口に運びパクッと食べる。


 「確かに美味いな」と感心してあっさり離れていったが、状況を理解した帆花はみるみる赤くなり、非難がましく響也を睨んだ。


 「も、もう! 人のフォークで食べるなんてお行儀悪いよっ」


 「何怒ってんだ。お前のだし別にいいだろ。今までもやってたし」


 「子供の頃の話でしょ!」 


 「そうだったか? ま、横着したのは悪かった。お前があんまり美味そうに食べるから、待ちきれずに手が出た」 


 「~~~~、その顔、全然反省してないよね」


 「してるしてる。ほら、お詫びにこれやるよ」


 「それ私が頼んだフルーツサンド!」


 飄々と愉しげな響也と、むくれつつも怒ってはいない帆花。


 兄妹のやり取りを見守っていた藤崎は、「お二人はほんとに仲良しですね。昔からずっとこんな感じですか?」と昴に微笑みかける。


 カップを持ち上げコーヒーの香りを楽しんでいた昴はそうですねと頷き、


 「年が離れてるのもあって本気で喧嘩してるところは見たことがないですね。響也の帆花ちゃんの溺愛ぶりは年々増して、社内でも有名なほどですよ」


 「社内でですか?」


 「ええ。毎日欠かさず愛妹弁当を持参して、仕事が終わればすぐに直帰。休日も家族と過ごす時間が優先で、誘っても一向に色よい返事がもらえないと女性社員達が嘆いてる、という噂が立ってます」


 「おい昴、余計なことを吹き込むな」


 響也が目敏く口を挟む。昴は悪びれずに「事実でしょ」と肩を竦め、藤崎はクスッと笑った。


 「帆花ちゃんのお弁当を大事そうに食べる姿とか、お仕事が終わって飛んで帰るところとか、容易に想像できますね。


 アプローチの機会を窺っている方には気の毒ですけど、家族を一番に考えるところ、私は好きですよ。家族想いの良い旦那さまになれると思います」


 「だってさ。好意的に解釈してもらえてよかったね」


 「うるさい。生温かい目でこっち見んな!」


 シッシッと響也が手を払い、笑いが起きる。辛辣な態度に見えるが、気の置けない友人同士の遠慮ないやり取りだと分かっているので安心して見ていられる。



 昼食を堪能してから観光を再開し、鎌倉駅を拠点にバスを利用して見所を巡った。


 最盛期の梅の花を鑑賞し、閑静な住宅街にあるプライベートサロンではハーバリウム製作を体験した。休憩に入った古民家カフェはゆったりした時間が流れ、日頃の疲れを忘れた。


 夕方に差しかかって由比ヶ浜へ向かい、海岸通りに点在する昔ながらの和菓子屋や個性的な雑貨店を覗いて回った。


 遠浅の砂浜が広がる海岸は視界が開けていて、のんびりした空気が漂っている。


 「今は冬なので閑散としていますが、夏は花火会場になったり、海の家が運営されていてとても賑やかになるんですよ」


 「季節ごとの風情があっていいですね」


 「ええ、本当に。神楽木さんは海、好きですか? 私は海を眺めるのが好きで、時々こうして見に来ます。小波の音を聴いていると癒されるんです」


 もっと近付いてみましょうと藤崎に手招きされ、響也は波打ち際へ近付いていく。帆花は歩みを止め、砂浜に残された響也の足跡の上に立った。足のサイズがずいぶん違って笑みが漏れる。


 菫色の空に浮かぶ雲は黄金色に染まり、海面は波に揺れながら無数に降り注ぐ光を弾いて輝いている。


 美しい夕暮れに身を委ねていると、刻一刻と色を変えていく夕陽が響也と過ごす日常に重なり、寂しさが湧き上がってきた。縋るように響也を目で追うと、藤崎と親しげに並んで散歩している。


 今すぐ駆け出して引き止めたい衝動に駆られ苦しくなった。響也の隣に彼女が寄り添う姿に慣れなければと理性が囁くが、見ているのが辛くて直視できない。


 俯くと、昴が肩を並べてきた。


 「響也達とけっこう離れちゃったね。ついていかないの?」

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