第二話:激情の制御と愛の告白

 レヴィアの炎の翼に抱かれたヒカルは、竜族の隠れ家とする廃墟の城を目指して夜空を飛んでいた。ヒカルの体には、レヴィアの肌の熱と、強制契約によって目覚めた「絆の共感者」の異能がもたらす感情の奔流が、途切れることなく流れ込んでくる。


(熱い……レヴィアの愛が、制御できない熱量だ。このままでは俺の命が持たないどころか、彼女自身の魔力炉が焼き切れてしまう……)


 ヒカルの体は常に微熱を帯びていた。レヴィアの心から流れ込む「ヒカルは私だけのもの。絶対に逃がさない」という猛烈な独占欲は、ヒカル自身の魔力までをも暴走させかねない危険な代物だった。レヴィアは情熱的な愛情を惜しみなく示し、彼を抱きしめる腕の力をさらに強めた。


「見て、ヒカル。私たちの愛が、この夜空をも焦がしているわ。もうすぐ我のお城よ」


 レヴィアが陶酔に浸る中、ヒカルの視界の端に、夜空を裂いて接近する複数の影が映った。


「それより、レヴィア、追手だ。数が多い!」


 ヒカルの言葉に、レヴィアの瞳が炎のように燃え上がった。


 炎竜の鋭い視覚は、暗闇の中にいる敵の姿を鮮明に捉えた。


 それは、ドラゴンスレイヤー教団が誇る飛竜騎士団だった。騎士を背に乗せた数十騎の下位の飛竜(ワイバーン)が、唸りを上げ、夜空の冷たい空気を切り裂いて追尾してくる。


「ちっ、汚らわしい。あんな下等なトカゲどもに乗った人間が、私たちを討伐しに来るなんて、勘違い甚だしいわね!」


 レヴィアのプライドと独占欲が爆発する。


 彼女の感情が激しく揺れ動いた瞬間、ヒカルの「絆の共感者」の異能が検知するレヴィアの魔力値は、一気に破滅的な閾値を超えた。脳内では、魔力の圧力が警告音として鳴り響いている。


「許さない。我が夫を追う、醜い人間どもめ! あんな穢れた下級の竜など、我の視界に入れる価値もないわ!」


 レヴィアの怒りと嫉妬という二つの感情が、魔力の回路を激しく軋ませる。ヒカルは激痛に襲われ、頭の中で警鐘が鳴り響く。


「レヴィア! 待て! 敵の戦力を見極めるんだ! 数が多すぎる! 攻撃の反動を制御しなければ自滅するぞ!」

「うるさい!! ヒカルは黙っていて!!」


 レヴィアの嫉妬は、ヒカルの言葉を暴力的に遮った。このまま暴走した炎のブレスを放てば、反動でレヴィア自身が壊れるのは確実だった。ヒカルに残された時間は、もう数秒しかなかった。


「我が夫に指一本触れさせるものか! 貴方が我以外のものを見るたびに、我の心は乱れるのよ!」


(軍師としての思考は役に立たない。この竜姫を救う唯一の道は、彼女の激情に勝る「熱量」を返すことだ。愛を、愛で制御するしかない! 彼女の愛に応えないと、俺はいずれにせよ死ぬしかない)






 ◇◆◇◆◇


 ヒカルの体内に逆流する炎の魔力は、皮膚を突き破りそうな熱量に達していた。彼は最後の力を振り絞り、レヴィアの燃えるような瞳を真正面から見据える。


「レヴィア、聞け!」


 ヒカルの叫びは、炎の轟音の中でも突き刺さった。巨大な炎竜の身体の動きが、わずかに止まる。


「お前への愛は、誰にも負けない! 俺の心は、家族を、リリアを失った絶望から、お前の愛で救われたんだ! だから、お前が愛を求めるなら、俺は応える!」


 ヒカルは、自分の命を懸けた、嘘偽りのない言葉を叩きつけた。


「もう、俺のつまは永遠に、お前だけだ! お前の愛が、この俺の力になる! 俺の命を懸けて、お前を愛すると誓う! 今、その覚悟を決めた!!」


 ヒカルが「つま」と叫んだ瞬間、巨大な炎竜の身体がピクリと震えた。


 竜の咆哮は、一瞬、戸惑いと歓喜の混ざった小さな呻き声へと変わる。ヒカルの「絆の共感者」が捉えた魔力値は、危険域から一気に、最も安定した「最大出力」の領域へと収束した。


「今だ、レヴィア! ブレス発射!!」


 ヒカルの指揮が響く。レヴィアの愛の調和によって生まれた炎は、もはや通常のブレスではなかった。炎は圧縮され、純粋な紅き愛のエネルギーへと昇華する。


(こ、これほどまでとは……。これが、竜姫の圧倒的な力……)


 夜空を貫いた光の奔流は、ヒカルが知るいかなる魔法よりも速く、ヒカルを襲った騎士団が使っていた剣や魔法の威力の数千倍に達していた。


 飛竜騎士団は、それが何であるかを理解する暇もなく、ワイバーンごと夜空から完全に蒸発した。ヒカルの目の前には、ただ炎が収束した後の、圧倒的な静寂だけが残された。


(な、なんという力だ……。俺の命を救ったこの存在は、俺を含む並の人間では絶対に勝てない。俺の生存と新世界創造は、この数値化された圧倒的な武力を、戦略的に運用できるかどうかにかかっているのか……)


 ヒカルの脳裏には、炎龍が教団の騎士団を一掃した時の光景が、「戦場の視覚化(Tactical Vision)」の異能によって数値として再生されていた。これは、ヒカルが幼いころ発動した異能であり、この力があることが、彼を天才軍師と言わしめることに大きく関連していた。


 ワイバーン部隊は総勢十騎あまり。その総戦闘力は約500に達しているとヒカルには見えていた。対するレヴィアの戦闘力数値Battle Power Indexも500だった。


 しかし、レヴィアの単体は、彼らの存在を意識することなく、一瞬のブレスで敵を一掃した。単体の力は、総戦闘力をはるかに凌駕していたのだ。






 戦闘を終え、人型に戻ったレヴィアは、熱に浮かされたように顔を真っ赤に染めていた。彼女は両手で顔を覆いながら、全身をくねらせてヒカルに突進する。


「うっ、うふふふふっ! 言ったわね! 言ったわね、ヒカル! 永遠の妻ですって! くぅ~! もう駄目! 全身の力が抜けたわ! 今すぐ抱きしめなさい! 我が貴方の妻よ! 他の女の存在なんて一切認めない! 誓ったわよね!? この世の全てが敵になっても、貴方は我を愛し続けるんでしょう!?」


 レヴィアは喜びと独占欲のあまり、身を悶え、矢継ぎ早に言葉を繰り出す。ヒカルは、彼女の猛烈な愛情表現に内心で思考を巡らせた。


(目の前の彼女は美しく、愛らしい。だが、あの巨大な炎竜の真の姿が脳裏から離れない……ここで少しでも弱さを見せれば、王としての地位も、俺の命も、全てが炎に焼かれる。人間社会への復讐と新世界創造のために、い、今は王の冷静さを保て)


 彼は、紅蓮の激情竜姫レヴィアの圧倒的な美しさとは対照的に、中肉中背で平凡な青年の容姿をしていた。しかし、その穏やかな表情の裏には、竜姫の激しい感情の奔流を冷静に分析し、統率しようとする卓越した戦略眼が隠されていた。この控えめな容姿こそが、王として情熱を制御する器であることを示していた。


(この能力は、俺の感情を吸い尽くす……! しかし……)


 ヒカルは、レヴィアの愛の感情を「絆の共感者」として全てを焼き尽くす「熱情の炎」という激しい音の奔流として聴き取っていた。それは愛ゆえに制御不能な、最も不安定なエネルギーだ。


(しかし、この激しい炎を、論理的な和音として調律できなければ、軍団どころか、俺自身が焼かれてしまう。王の義務として、この感情の重さに耐えるしかない)


 ヒカルは内心とは裏腹に、一歩も引かず、レヴィアの視線を真正面から受け止めた。ヒカルの心臓は、今にも飛び出しそうなほど脈打っていたが、彼は、自らに強い暗示をかけ、体温と脈拍をコントロール下に置いた。


「レヴィア!」


 ヒカルの低く、静かな声が、レヴィアのデレを一旦制止させた。


「お前は、俺の妻であり、俺の王妃だ。そして、俺は誓った通り、お前を愛する」


 ヒカルは力を込めて言い切った。自分でもこの度胸はすごいと思うくらいに断言した。


 レヴィアの瞳はさらに潤む。


「ふ、ふふ。そうじゃろ? ヒカルは、我のことが好きなのじゃろ?! 我は貴方の妻なのだからな、夫どの」

「ああ、好きだ! だが、愛は感情だけでは成り立たない。愛は、戦略に変えなければならない!」

「戦略?」


 ヒカルはレヴィアの目を見つめ、これまでの経緯と王としての最初の義務を冷静に語った。


「そうだ。俺を追放したのは、この大陸を支配するグランツェリア帝国と、仇敵カインの卑劣な罠だ」


 そして、人間社会への未練を断ち切るように、冷静に語った。


「だが、俺はもはや、腐敗した人間至上主義の世界には何の未練もない。俺の王としての最初の義務は、お前たち竜姫の力と愛を守り、この世界に新秩序を打ち立てることだ、と考えている。それが、裏切りを乗り越えた俺の新たな人生の目的だ」


 レヴィアの顔から一瞬、陶酔が消え、猛烈な独占欲の炎が揺らめいた。


「本当に未練はないのか、ヒカル? その言葉、一言一句、お前の命懸けの契約だと理解しているのだろうな?」


 ヒカルは一切怯まず、より冷徹な軍師の顔を突きつけた。


「くどいぞ、レヴィア。俺の言葉を信じられないのか? それとも、俺の愛ではなく、俺の戦略が信じられないのか? 」


 ヒカルの気迫に、レヴィアは気圧された。


「ならば、はっきり言おう。この誓いは、俺の生存戦略であり、お前たちの愛の暴走を制御する王の交渉だ。俺が嘘をつけば、お前自身がユニゾンで自滅する。俺を信じろ。でなければ、俺は王として、お前との契約を破棄する」

「わ、わかったわ」


 レヴィアは、炎を揺らす瞳でヒカルを真っ直ぐ見つめ、小さく頷いた。


「……貴方の命がけの交渉、受け入れた。夫よ、いや、王よ」


 ヒカルは、レヴィアの激情こそが軍団の生命線であると悟り、言葉と態度で愛情を返すことが彼女の戦闘力を最大化させる「王の義務」なのだと覚醒する。


「この王国の統一には、最低でも一年の激戦が必要だと思うわ。ヒカル、貴様の優しさは、その一年を戦い抜くための、我々にとっての唯一の武器となるのよ」


 レヴィアは、そう言って彼の頬にキスを落とし、まるで秘密を打ち明けるように囁いた。


「そんなに不思議そうな顔をしないで。だって、我はずっと昔から、ヒカルのことを好いておったのだから。あんな醜い人間たちに裏切られても、貴方の優しさは、ちゃんと我の心の中で燃え続けていたのよ」

 

(ずっと昔から、だと…………? どういうだ。俺は一度も会ったことなどないはず。この衝撃的な告白こそが、俺の命懸けの交渉に、彼女が「わかったわ」とあっさり屈服した理由か)


 ヒカルは、レヴィアに質問すべきか一瞬だが、迷った。


(だが、今は深く追求する時ではない。リリアの死も含めた人類への復讐、いや、眼前の生存戦略が最優先だ。この「過去からの愛」という未解読の変数は、俺の王権が確立し、精神的に安定した後、必ず解明しなければならない…………)


「次はこの王の義務を果たす。お前を愛し、お前の力を守るために動くぞ、レヴィア。この力を安定させる防衛拠点と、お前の愛を戦略に変える戦略が必要だ」


 ヒカルは、リリアを失った絶望を乗り越え、レヴィアという最強の炎の竜姫を伴侶として、理性を剣に、恐怖を動力に変え、王としての新しい人生へと踏み出した。


【第3話へ続く】

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