第25話

 形勢は一変した。廃墟内に吹き荒れる暴風によって、チンピラどもが一人、また一人と薙ぎ倒されていく。

 

 暴風とは、俺だ。

 

 威勢だけはいい連中が、奇声を上げて殴りかかってくる。動きは丸見えだ。ほんのわずかな体勢変更でそれらの攻撃を避け、拳や蹴りの一撃を与えれば、いとも簡単に倒せた。

 素手では叶わないと理解したか、その辺に転がっている鉄パイプや、捨てられた工具を拾い、襲いかかってきた。

 めくらめっぽうに振り回しているだけでは、何の脅威にもならない。それらの鈍器は〈スティングリング〉で軽くいなし、パンチと蹴りを返す。

 今の時点で七人、地面にうずくまって呻いている。リーダーを含む残党は、俺を遠巻きに囲み、攻撃の機会を窺っていた。

  

 ――どうした。かかって来い。


 俺を取り囲む連中を、静かに見回す。こいつらがこれからどう動き、どう攻めるつもりでいるのか、予測と見当をつける。喧嘩慣れだけはしているらしいが、その慣れが動きを読みやすくしていることに、奴らは誰一人気づいていない。

 セリーンを傷つけられたことに対する怒りを原動力に、ほぼ条件反射で身体が動いている俺だが、そうした部分を気にかけるくらいには、頭の中は冷めていた。

 そう。冷めているのだ。

 胸中は怒りで荒れ狂っている。だが、頭は異様に落ち着いていた。こんなに冷静でいられているのが、自分でも不思議だ。

〈スティングリング〉を風で包み、高く掲げて一気に振り下ろした。強烈な突風が巻き起こり、空気を振るわせる。チンピラたちは風にあおられて体勢を崩した。

 風を起こす未知の武器を恐れ、奴らはじりじりと後退した。

 俺が動けば、奴らも動く。俺から距離を取る。すでに逃げ腰である。

 その様子は、さながら鷹に追われる椋鳥だ。

 レジーニに襲い掛かった三人が、俺が起こした風に気を取られた。その隙を逃さず、レジーニは瞬く間に逆襲を遂げた。倒れても更に踏みつけ、完膚なきまでに叩きのめす。他人に触られるのが大嫌いなレジーニに触れたのが、運の尽きだ。

 この場の主導権は、俺とレジーニの手の中に渡った。

 チンピラたちは残り三人。俺とレジーニを警戒するあまり、セリーンへの注意は払わなくなった。呆然と座り込んでいるセリーンに手を差し伸べる。慌てて立ち上がり、駆け寄った彼女を、俺は背中に隠した。

「俺が合図したら走れ」

 首を少し傾け、セリーンに指示すると、亜麻色の髪が揺れた。頷いたのだと分かった。

 今の俺の姿は、セリーンの目にどう映っているだろう。

 一瞬、彼女から恐れられるのではないかという不安が、胸の内をよぎった。しかし、すぐにその考えを払い落とす。そんなことは、今はどうでもいい。彼女をこの場から逃がすことが重要であり、それ以外はすべて二の次だ。

 レジーニが俺の隣に立った。だるそうに首を回している。右手には、いつの間に取り返したのか、蒼い機械剣が握られていた。腰には銃がねじ込まれている。

 レジーニは俺の銃も取り返しており、無造作に放り投げた。俺はそれを宙で受け止め、同じように腰に差し込む。

「く、くそ! お前ら……!」

 集団のリーダー格は、歯軋りしながらこちらを睨んだ。

「調子に乗るなよ! そんなオモチャみてえな得物が何だ! こっちには銃があるんだ!」

 吐き捨てるリーダーの男は、衣服の内側から拳銃を引き抜いた。さっき突きつけられていた二挺は、所持していた奴を倒してから遠くに蹴り飛ばした。俺たちを狙っている銃口は一つだ。

 銃を向けられ、俺の背中にしがみついているセリーンが、びくっと震えた。

 しかし、俺とレジーニは身じろぎひとつしない。

 俺たち二人が動じていないことに、男たちの方が動揺した。

「な、なにスカしてやがる! 撃てるわけがねえと、高ァ括ってんのかよ!」

 実際、撃てはしないだろう。連中はこれまで、脅し目的程度にしか、銃を使ってこなかったはずだ。でなけば、あんなに声が上ずったり、アニメや映画の悪役を真似たような、横向きの構えなどしない。例え引鉄を引けたとしても、あれでは当たらない。俺とレジーニは、奴らが実は銃に不慣れだということを、とうに見抜いていた。

「くそ! 馬鹿にしやがって! マジで撃つぞ!」

 

 よく啼く椋鳥だ。


 俺は後ろ手で、そっとセリーンを押し出す。柔らかなぬくもりが背中から離れた。彼女の気配が、少しずつ遠くなっていく。

 俺は〈スティングリング〉の具象装置フェノミネイターを、低出力で起動させた。俺の周囲に、小さく細い旋風つむじかぜが発生する。

「バージル」

 レジーニが、固い声で俺に囁く。

「こんな連中に具象装置は使うな。脅すだけにしとけよ」

 レジーニから、そんな注意を受ける日が来るとは、思いもしなかったな。

 たしかに、本来ならクロセストは、メメントに対してのみ振るうべきものだ。

 だが今は、そんなモラルなどどうでもいい。

 奴らはセリーンをかどわかした。薄汚い手で触れ、弄ぼうとした。

 それを、ただ殴るだけで許すとでも思うのか。


 ぎゃあぎゃあうるさい椋鳥ども。

 

 鷹狩りの時間だ。


 風を纏った俺が一歩進み出ると、椋鳥どもは震え上がって後ずさった。その恐怖におののく様は滑稽で、俺の口元は自然と緩んでしまう。

「バージル!」

 背後から投げられたレジーニの声。止めようとしているらしい。何故だ。

 獲物がそこにいるだろう。

 冷えきった頭の中にあるのは、ただ目の前の獲物を狩る、という単純な物事の認識のみだ。それ以外に何がある。

 もう一歩前進する。椋鳥どもが「ひっ」と声を上げた。

 

 その時、どこからか、奇妙な音が聞こえてきた。キリキリ、カタカタという、重く固い何かがこすれるような音だ。

 例えるならば、そう、ジェットコースターが、最初の頂上をゆっくり昇っていく時の音に似ている。

 音は、俺とレジーニの正面――チンピラどもの背後に、壁のように積み上げられたコンテナの上から聞こえてくる。

 見上げると。

 コンテナの向こう側から、巨大な黒い影が姿を現した。

 そいつはコンテナ一台を抱え込めるほどの巨体を、二本の腕足のみで支えていた。無数の小さな足が背中で蠢き、長い尾の先で凶悪な針がぶらぶらと揺れている。


 俺をこちらの世界に引き込んだ怪物。


 頭部のない、巨大な蠍の化け物。


 奴の姿を見た瞬間、俺の中で滾っていたチンピラどもへの殺意は鎮火し、冷えきっていた頭の中に電流が走った。


「逃げろ!」

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