第2話

 そうして、俺はここにいる。


        *


 群れ建つビルに阻まれて見えない地平線から、輝く黄金の帯が現れる。黄金の帯は、漆黒で覆われていた空を射る。

 風はなく、周囲で音を立てるものはない。

 夜更かしの街が完全に眠りについたのは、ほんの三時間前。街の休息は短い。あと三十分もすれば、太陽が顔を出し、昨日と同じように、だが決して同じではない一日が始まる。

 時間に猶予はないが、余裕がないわけではない。街が動き始めるまでに済ませなければならないのだが、三十分もあるなら充分だ。

 俺は、白み始めた地平線を背に、ゆっくりと歩き出す。履き慣れた牛革のワークブーツの靴底が、歩くたびに、じゃり、じゃり、と呟きを漏らす。そのわずかばかりの音をBGMにして、俺は狭くて薄暗い路地の奥へと進んだ。

 路地の突き当たりは強化格子のフェンスだった。フェンスの向こうはスクラップ工場だ。街中から運び込まれた様々なガラクタの小山が、敷地内のいたる所に出来ている。フェンスの端には切り取ったような格子の扉があり、こちら側と工場とを行き来出来るようになっていた。

 だが、午前五時に起き出してわざわざ出向くような用事は、スクラップ工場にはない。

 

 俺の相手は、そのフェンスにしがみついている、七つの丸い物体だ。

 そいつらを例えるなら、中型犬程度の大きさのノミ、だろうか。楕円形の体に、糸鋸いとのこぎりのような足がきっちり六本ある。顎にはイソギンチャクに似た短い触手が無数に生え、その中心から、鋼のストローのようなふんが飛び出している。吻の先端は、切り返しのある刃物状になっていて、危険極まりない。

 動物に寄生するには大きすぎるその蚤は、俺たち・・・の間でホッパーと呼ばれている。“奴ら”の一種で、個体数が多いために出現率も高い。だいたい群れているが、機嫌を損ねた赤ん坊ほどにもてこずりはしない。つまりは雑魚中の雑魚だ。

 俺は背中に右手を回し、丈夫な革のホルダーに固定していた得物を掴んだ。手首だけを動かしてくるりと回転させ、得物の先端を前方に向ける。

 俺の手の中にある得物。それは、クナイというニンジャの武器に似た、機械の剣だ。トランプのダイヤのマークを引き伸ばしたような形の刀身を持ち、柄頭ヘッドは輪になっている。見た目に反して意外に軽い。軽すぎて、かえって扱いにくいといわれる“ターンエッジ”タイプの武器だ。

 俺のターンエッジ〈スティングリング〉のカラーリングは、メタリックなジェイド・グリーンで、振り回せば鮮やかなみどりの輝く筋を残す。美しい軌跡だが、成し遂げる仕事は凶暴だ。

 俺が武器を手にしたのを察したか、七体のホッパーの背中がぱっくりと割れ、そこから濁った灰色をした、大きな一つ目が現れた。

 灰色目玉はぎょろぎょろとせわしなく動き、やがて俺に注目した。

 途端、七対のホッパーが一斉に跳躍し、フェンスから離れた。丸い胴体を空中でひねり、糸鋸の生えた足を広げて、俺に襲いかかる。

 俺は〈スティングリング〉を振り上げ、顔面に落ちてきたホッパーを無造作に一刀両断した。真っ二つになったホッパーは、地面に落下するより先に、空中で消滅した。硫黄のような臭気が立ち昇る。

 それから立て続けに三体、飛び掛ってくるホッパーどもを斬り払った。俺の手捌きと足運びに応じて、〈スティングリング〉の翠の軌跡がえがかれる。そして同時に、鋭利な質量を伴った風が、鎌鼬カマイタチのように発生する。〈スティングリング〉に搭載された〈具象装置フェノミネイター〉と呼ばれるシステムによるものだ。これこそが、“奴ら”を屠るための武器――クロセストの核心なのだ。

 ホッパー七体程度に時間をかけたくない。残りの三体はまとめて始末する。

 俺は〈スティングリング〉の柄頭ヘッドの輪に中指と人差し指を掛けた。輪の外側に位置する小さなスイッチを親指で操作すると、〈スティングリング〉の内部機関が動き出す。

 ターンエッジを前後に振る。すると輪の内側を軸にして〈スティングリング〉が回転した。俺は投石(スリングのように得物を振り回し、充分に勢いをつけたところで、ホッパーに向けて投げつけた。

 放たれた〈スティングリング〉は、地面の上のホッパーめがけて、角度を落として飛んだ。普通の物体なら、こんな動きは決してしない。

 猛烈な勢いで回転する俺の得物は、弧を描きながら、三体のホッパーをいとも簡単に断裁した。

 胴が二つに分かれたホッパーたちは、臭い蒸気を放出させて、あっけなく消えていった。

 倒すべき相手がいなくなっても、〈スティングリング〉は未だに空中で回転し続けている。俺が右手を上に掲げると、〈スティングリング〉は物理的にありえない動きで急速に軌道を変え、俺の手元に飛んできた。利き手の中指に装着した、コントローラーの力だ。

 俺は武器の柄を掴み、そのまま背中のホルダーに固定した。

 七体の怪物は死に、路地には俺だけが立っている。

 振り返れば、太陽はまだ、ビルの向こうから顔を出していない。建物と建物の間から、黄金色の光の筋が漏れている。

 俺は身体の向きを変え、表通りへと戻り始めた。

 その時はすでに、さきほどの戦闘のことなど、きれいさっぱり頭の中から消えていた。


        *


 メメントと呼ばれる異形のモノたちが、闇の中を跋扈している。

 それがいったい、いつの頃から存在していたのか。なぜ在るのか。まだ明らかになっていない。

 ただ一つ明確なのは、メメントは人類を脅かすものである、ということだ。

 メメントはあらゆる生物の死骸が、何らかの原因によって異形へと変貌したものである。メメント化した生物は、生前の生態を失い、暴虐の限りを尽くすだけの、まったく異なる魔物となる。

 この脅威の魔物を倒すには、特殊な武器が必要だった。このため、メメントの駆除は主に軍部が執り行っている。

 しかし、もう一つ別のところに、メメントに対抗する勢力があった。

 それが裏社会の職種の一つ、〈異法者ペイガン〉である。

〈異法者〉は、裏稼業の中でもっとも特殊な部類に属する。人智を超えた怪物を相手にするのだから当然だ。おまけに誰にでもやれる仕事じゃない。

 俺のような、他に何も取り柄のない奴こそ、〈異法者〉に最適だ。他に何もないから、怪物退治に専念出来る。〈異法者〉に求められるのは、ただただ愚直に異形と向き合えるスキルだけだ。 

 世界の裏に蔓延はびこる闇、メメントの存在を知った俺は、その事実から目を背けることが出来なかった。

 理由は、人命を脅かす化け物の存在を放ってはおけない、などという取って付けたような正義感によるものではない。むしろ恐怖心からきた強迫観念だ。

 隠されていた闇を知ってしまった俺の存在を、闇もまた知っているのではないか、と。

 背けられない真実から逃げる方法は、ひとつしかない。

 自らその中に飛び込むのだ。炎に引き寄せられ、燃えてしまう蛾のように。

 俺は何の変哲もない安寧の生活を捨て、“こちらの世界”に足を踏み入れた。安物のスーツを脱ぎ捨て、ヴィンテージのライダースジャケットとジーンズを着、ビジネスバッグを放り投げて、〈スティングリング〉を手に取った。

 見知らぬ男の形見となったターンエッジを相棒に、俺は怪物を狩り続けている。

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