聖女オブザデッド

石田空

聖女、吟遊詩人に出会う

「はあ……はあ……!」


 本来、ここルーチェは聖都と呼ばれ、国内でもっとも美しい都だと謳われていた。

 しかし、今はどうだろうか。

 外には人の気配がない。

 美しい白亜の都に、人の気配がないのは、心細いを通り越して気味が悪い。

 人の代わりにうろついているのは。

 くすんだ肌、大きくひん剥いた目。ぶら下げている手は明後日の方向を向いて捻れてしまい、動きはゆらゆらしているものの、足は速い。

 人に近い形をしていても、すでにそれは人と呼べる存在ではなくなっていた。

 ぎょろりと剥いた目が、カルミネを捉えた。


「ひ、ひい……!!」


 リビングデッド。起き上がりともゾンビとも呼ばれるそれが、変わり果てた聖都の現在の主であった。

 カルミネは必死で走っていた。本来伸びやかで女性が褒める長い脚も、今はもつれて返って走りにくい。女性が指を絡めてくる美しく赤い長髪も、今は汗で顔に貼り付いて視界を遮る。本来は女性が黄色い声を上げる翡翠色の瞳に浮かんでいるのは、色香ではなく涙であった。

 なんで聖都なのに、ひとりも神官も巫女もいないのか。皆神殿に引きこもって、神に祈りを捧げているのか。道を歩いている一般人には興味がないのか。

 誰に対して恨めばいいのかわからない恨み節が、カルミネの頭を過っていくものの。

 口はただ荒い息を吐き出すばかりで、どうにかリビングデッドから距離を取ろうとすることしかできない。

 だが、長身でコンパスが長く、どうにかリビングデッドから距離を取っていた彼も、体力には限界がある。リビングデッドの開いた口からは、黄ばんだ歯が見えた。


 噛まれたら、僕もリビングデッドに……!


 こんなことなら、使命とかもてたいとか、目先の欲のために、聖都に入ろうなんて思わなきゃよかった。

 基本的に来年のことよりも目先のことしか考えずに過ごし、本当にそれで上手くいっていたカルミネは、初めて自分の考えの足りなさを悔やんだ。

 腐臭とも死臭とも取れるにおいが鼻孔を通っていき、自分はとうとう死ぬのかと、どうにか最後に吟遊詩人らしく歌える歌を探したところで。


「なに勝手に諦めてるの……!!」


 ハスキーな女性の声が響いたと思ったら、すごい勢いでリビングデッドが吹っ飛んでいった。一瞬なにが起こったのかわからず、カルミネは涙を湛えた瞳を瞬かせた。

 最初に目に入ったのは、絹糸のように美しい光沢を誇った金色の髪であった。そして次に白い神殿装束。凜とした蒼い瞳が印象的だった。

 そして彼女は持っている錫杖をフルスイングして、リビングデッドをどつき回すと、カルミネの手を取った。


「走る……!」

「あ、ああ……」


 カルミネは一瞬呆気に取られながらも、彼女に引きずられるままに走り出した。

 彼女の格好はどう見ても、神殿に使える巫女のはずなのだが。彼女は錫杖を振り回してリビングデッドを殴打しただけに留まり、一度たりとも呪文詠唱を行わなかったのだ。

 怪我や治療、リビングデッドの討伐は神殿に頼れと言われているくらいなのに。


****


 日が少し傾きかけた頃。

 ようやく空き家の一軒に入ると、彼女は何度も錫杖で壁を殴りまくってリビングデッドがいないかを確認してから、慎重に中に入った。

 ここの家は空き家になってから、まだ日が浅いのだろう。埃はあまり積もってはおらず、テーブルや椅子なども綺麗なままだった。そのテーブルと椅子を使って扉や窓を封鎖すると、ようやくひと息ついた。


「さ、さっきは助けてくれて、ありがと……」

「……あんたバカァ?」

「えっ」


 神殿関係者らしい女性は、目をひん剥いてカルミネに毒づいた。よくよく見れば彼女の顔のパーツはどれひとつ取っても美しいものにも関わらず、眉間には皺の跡、目の下には疲れが浮かんで見えた。光沢を放っている髪すら、よく見たら毛先がパサついて見える。

 呆気に取られるカルミネをよそに、彼女はネチネチと文句を並べ立てる。


「こんな軽装で、武器もひとつも持たずに、よく聖都に来られたわね。こっちだって迷惑してるんだから、わざわざリビングデッドに襲われに来ましたキャハッってされても困るんですけど。服はペラペラで、これでリビングデッドに噛まれたら一発でアウトじゃない。神殿がなんでもかんでも治癒できると思ったら大間違いなんだから」

「す、すいませ……」

「そもそも聖都は封鎖されてるのに、どうしてこんなところに来たの!? 危ないじゃない!」

「……自分も、なにも考えないで来た訳では……」

「はあん……?」


 女性はどうにも、機嫌がすこぶる悪いらしかった。カルミネはダラダラと冷や汗を垂れ流す。


「じ、自分は聖都の現状を、きちんと皆に知らしめるべきだと思って、封鎖を突破してここまで来たんだから……」

「ばっかじゃないの!? ここが閉鎖されて、今どれだけ中の人が困ってるかわからずに来た訳? 取材のため? 酒場でこんな危ない場所に行ってきたぜイエーイって歌うため? それで酒場の踊り子なり旅人なり口説くため? 馬鹿なの死ぬの死人既に出てますけどぉ?」

「ご、ごめんなさ……」


 細腕の上に体の肉がほとんどない女性で、もしカルミネが力でねじ伏せれば彼女くらいどうにでもなりそうなものだった。実際に女性の扱いには手慣れているほうである。

 だが彼女の纏う謎の威圧感が、カルミネをどんどんと矮小化させていた。なんだこの、年不相応の威圧感は。

 カルミネは故郷に置いてきた母親に叱られたことを思い出し、だんだんと縮こまっていたら。


「ふんっ」


 ようやく気が済んだらしい女性は、座り込んだ。装束から覗く脚は日焼けを知らず、その白さに目を奪われるが、この母ちゃんのオーラを纏った女性にどうこうする気は、さすがに起こらなかった。

 彼女は口を開いた。


「まあ、来ちゃったものはしょうがないし、こんな加護もなにもない場所にいつまでもいられないでしょう? 休憩したら、神殿まで行きましょう」

「行きましょうって……そもそも君は? どうしてこんな封鎖されて人のいない所に……」

「だって封鎖されている都の結界のほつれがあったら、誰だって見に行くでしょうが。神殿は人手が足りな過ぎて、魔力切れでストップのかかっている私しか、外に出られる人間がいなかったのよ」


 魔力切れ。それでようやくカルミネは納得した。

 神殿の人間だったら、本来なら治癒魔法を習得しているはずなのに、どうしてリビングデッドに対して物理に走ったのか、ようやく説明が付いたのだから。


「夜になったらまたリビングデッドが活性化するし、まだ日が出ている内に走りましょうか。体力戻った?」

「まあ、少しは……」


 正直、カルミネは吟遊詩人であり、あまり体力に自信はない。しかしそれは魔力切れを起こしている彼女も同じことだろう。


「それじゃあ行きましょうか。ええっと……?」

「カ、カルミネ……吟遊詩人のカルミネ……君は?」

「私はアンナリーザ。それじゃ、もうひと走りしましょうか」


 その言葉を聞いて、カルミネは「えっ」と再び声を上げた。


「ど、どうして君が、いや、あなたがこんなところに……」

「だから結界のほつれから来たのがリビングデッドだったら殴るつもりだったから……」

「いやいやいや、聖女がどうしてこんなところに、護衛もなしにほっつき歩いて……!」

「だから人手不足なんだったら」

「だから、どうして……!?」


 カルミネは彼女の存在に、ただ悲鳴を上げていた。


 神殿には神官長が全ての儀式を取り纏め、国の平和を祈っている。

 そして儀式を行う巫女の更に上に、聖女が存在している。

 ……本来、聖女はリビングデッドに唯一対処できる強力な呪文を習得できるはずなのだが。肝心の彼女は、魔力切れを起こしていたのであった。

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