第16話 ベッドから抜け出して

「まぁそういう訳だ。案じてくれているのは嬉しく思うが、お前が気にすることではない。お前が考えるべきは、この世界を解放することだ。見ろ、あ奴らの誰一人として、エンディングを迎えた後のことを憂いている者はいないだろう?」


 ウサギの視線につられ、今も盛り上がっているアリスたちを見る。

 確かに、誰一人として消えるウサギ達を気にしている者などいなかった。


「今度こそお家に帰るぞー! パパとママに会うぞー!」

「このふざけた世界から脱出だー! 敵は皆殺しだー!」

「喋る草花はもううんざりだー! まともな世界に帰せー!」

「こんな世界もどうでもいいー! 全部消し飛ばせー!」


 アイツらは、全て分かった上で行動している。

 覚悟が決まっていないのは、今日この世界に来たばかりの俺だけか。


 小さい子供すら全て理解した上で動いているのに、俺だけがうろたえているのは、少し恥ずかしいな。

 ただ、その――


「ちょっと覚悟決まりすぎというか、その……本当にいいのか? マジでアイツら気にしてないみたいだけど」

「オーッホッホッホ! 別にいいわっ! いい、のだけど……少しくらいは私達のことも気にして欲しいところねぇ……」

「だいぶ世話をしてやったし、仲間のつもりだったのだがな。所詮はその程度の繋がりということかな……」


 ああ、やっぱりそうだよな。

 いくらそれを望んでいると言っても、今生の別れになるのに誰も気にしていないのは、傷つくよな。


「アイツらはリアルでも、<役者キャスト>としても子供だからさ。その辺りの情緒が育ってないだけだ。あたしらは一応、悲しいし申し訳ないと思っているよ」


 微妙に暗い空気になっている俺達に、パピーが近付いてきた。その傍らには、マウスとピジョンも付いてきている。

 パピーの発言に、マウスは何度も頷いた。


「ですですっ! 侯爵夫人や白ウサギさん、それから他のお世話になった人たち。長いともう数年の付き合いですっ! 私たちのせいで消えると知って、何も思わない訳がないですっ!」

「だけど、逆に言えばそれだけの時間、私達はこの世界に閉じ込められているということよっ!」


 バサッと腕を広げてアピールしつつ、ピジョンは続けた。


「この世界が終わることによって、消えてしまう人達。それに対してどう向き合うのかは、それぞれとっくに決めているわ。私も申し訳ないとは思う。それでも、私たちは早く帰りたいの。帰って家族に会いたいし、友達にも会いたい。また趣味を楽しみたい。学校に行って、役に立つかも分からない授業を受けて、遊んで。将来に不安と期待を抱えながらも、目先の現実を謳歌する。あの日常を取り戻したいのよ」


気丈に振舞っているが、ピジョンの目からは隠し切れない望郷の念がにじんでいた。それだけ、元の世界に帰りたいということが伝わってきた。


 ……そうだよな。取り戻せるなら、取り戻したいよな。


 普通に過ごしていた時は気づかなかった、当たり前の日常。失ってから初めて、それが恵まれていたと気づくんだ。


 俺は、両親が死に、結衣が眠ってしまったことによって。

 そしてこいつらは、この世界に閉じ込められてしまったことで。


 それぞれの形で、俺達はその価値を知った。

 現実に帰っても、俺はもう取り戻せないかもしれない。だけどこいつらは、現実に帰ればまた戻れるんだ。ましてやこいつらは俺よりも年下の子供。その気持ちはなおさら大きいだろう。


 羨ましいと思わないと言えば嘘になる。だけど、そんなこいつらを手伝ってやりたいと思う。


「――分かった。侯爵夫人、ウサギ。俺は世界の解放だけを考えるよ」

「オーッホッホッホ! ええっ! それでよくってよ!」

「まったく、当然のことに何を今さら。だが、覚悟が決まったのならばよい」


 ウサギはニッと小さく笑うと、手を叩いて注目を集めた。


「さて、騒ぐのはそこまでにして、これからの計画を話すぞ。といっても今のところ変更はないから、誠に対する説明のようなものだがな」


 ウサギは鋭い瞳を作り、俺を見つめた。


「誠。私達は今、<役者>を総動員したクーデターを計画している。近いうちに城下町に潜んでいる<役者>も含め、全員で一斉に暴動を起こし、その混乱の隙を突いてアリスを主力とした精鋭部隊で女王の元まで潜入し、討つ。そういった計画だ」

「それは……また直接的と言うか、なんというか……」


 随分と力ずくなやり方だな。

 もっと策を練ったりするのかと思ったが。

 俺の疑問を察したのか、ウサギは溜息を吐いた。


「まぁお前の考えも分かる。だがな、今まであの手この手で女王の元まで届かせようとしたが、どうにもならなかったのだ。女王はアリスとの初邂逅の際に、アリスの力を理解し、警戒するようになってしまった。そのせいで、アリスだけは自身に近づけないように細心の注意を払っている。このくらいでもしないと、アリスを女王の元に届かせることすらできん」


 それに……と、ウサギは憂いを帯びた表情を作る。


「この世界に閉じ込められて、長い者で数年。<役者>の皆が限界を迎えつつある。今は私たちでなんとか抑えてもらっているが、このまま放置すれば統制が取れなくなる日もそう遠くない。そうなれば各自で勝手に動き出し、女王に各個撃破されるだろう。何もできずに首を刎ねられてお終いだ」


 それは……責められないな。

 こんな訳も分からない世界に、いつまでも閉じ込められるんだから。気持ちは分かる。


「だから今の内に、皆で動こうってことか」

「そういうことだ。それにこの方法なら、城の兵力を分散できるからな。アリスは強いが、向こうにも“エース”がいるからな。あ奴一人でも手こずるというのに、雑魚の兵隊にまで構っている暇はない。力業ではあるが、なんだかんだこれが最も勝率が高いのだ」


 口ぶりからすれば、そのエースとやらはアリスに匹敵する力を持つのだろう。

 あれだけ簡単に兵達を圧倒したアリスと互角か……考えたくもないな。

 そう思えば、少しでも向こうの戦力を削りたいところ。ウサギの言うことはもっともだ。


「その計画の実行日の打ち合わせで、明日、ここにいる何人かで城下町に潜入することになっている。誠、お前も同行しろ。他の仲間に顔合わせを済まさないとならんからな」

「ああ、分かった」


 敵の本拠地に潜入する。一歩間違えば兵に見つかり、殺されてしまうかもしれない。

 そう思うと、緊張で口の中が乾いた。しかし、断ろうという気は起きなかった。


 ♦   ♦


「眠れねぇ……」


 あの後、俺は空いている寝室に案内され、休むことになった。


 明日に備えてしっかりと眠っておけ、というウサギの言だったが、潜入と聞き緊張しているのかもしれない。


 疲れている気はしているのだが、目をつむっても一向に眠気が訪れなかった。


「眠気を引きずって足手まといになるのは御免だぞ……」


 ん? でも待てよ?

 確か俺は生理現象を必要としないんだよな? あれ? だったら眠らなくても大丈夫なのか?


 いや、それは飲食だけの話か? だけど、そういえばトイレにも行ってないな? とはいえ、睡眠も不要かまでは明日になってみないと分からない。


「……水でも飲むか」


 考えてもしょうがない。眠る気分でもなくなったし、ちょっと起きて気分転換でもしよう。

 そう考え、俺は昼間に会議したあの部屋に向かう。


 天井のランプの灯は点いたままの、薄暗く広い部屋。皆が寝室で眠り、静かとなったその部屋は、昼間とはまるで印象が変わっていた。


 部屋を見回して、雰囲気の違いに興味を持っていた俺だったが、中央のソファに目を向け思わず声を上げた。


「パピー?」


 静まり返った会議室で、アリスに次ぐ戦闘力を持つ少女。小犬のパピーがぽつんとソファに座っていた。





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