ただの村人に世界の運命を背負わすな!―俺は死神に連れ去られた妹を助けたいだけ―

無限大

旅立ち

第1話 平和に暮らしたかっただけ1

 妹のカレンには真っ白なワンピースがよく似合う。

 こんな灰色になって、口の端から血とよだれを垂らし目を半開きにしたまま、血だまりだらけの泥の上で寝るわけがない。


「カレン、カレン起きろ!」


 バタバタと村人が右往左往する中、俺は地面の上で動かなくなった妹の隣にしゃがみ込んだ。

 遠くで「魔物だ!」と叫ぶオッサンたちの声がする。すぐそばで響く女子供の泣き叫ぶ声。その奥からマウントウルフの「グルルルル」と低く唸る声も聞こえる。


「カレン」


 手が震える。

 カレンはこんな、どす黒い血に染められ、切り裂かれたボロボロのワンピースなんか着ない。カレンはもっとずっと清楚で綺麗だ。

 真っ白な頬は常に綺麗な赤が差し、いつだって緩やかに口角が上がっていた。いい女だ。家族という欲目を抜きにしたって、世界で一番いい女だと思う。


 逃げ惑う村人に激突され、蹴られながら、俺は力なく身体をだらけさせたカレンの上半身を抱きかかえた。

 俺の右腕の上で、カレンの首が力なくのけ反る。頭の重さに引っ張られ、カレンの上あごが下品に大きく開いた。のどの奥に血と唾液の泡がたまっている。それが口のあちこちから溢れた。

 こみ上げる胃液を俺は必死に飲み込んだ。


「なあ、カレン」


 起きろよ、と言って身体を揺さぶりたかった。

 でも、触ってわかった。

 揺さぶったらたぶん、腕がもげる。

 首も落ちるかもしれない。

 足だって、どうなるか。


 ――死んでんだよ。


 脳内でもうひとりの俺が叫ぶ。

 馬鹿を言え。嘘つくな。死ぬわけないだろ、カレンが。まだ16歳だぞ。

 これからも友達とドレス作って有名デザイナーになって王都で王家専属の縫製職人になって金を稼いでイケメンの貴族と結婚して可愛い子どもを産んで寿命まで何不自由なく幸せに暮らすんじゃなかったのか。

 おい!


「レノ! 何やってんだ、死ぬぞ!」


 カレンを抱える俺の頭を誰かがスコンと叩く。見上げると、近所に住むおっちゃんだ。


「ここもまたマウントウルフが戻ってくる。村のはずれの教会へ走れ!」


 おっちゃんの頬は血でベットリ濡れている。背中には、二軒隣の家の5歳児が泣きながら背負われていた。ぎゃあぎゃあ騒ぐ声に紛れて、ウルフの放つ重低音の鳴き声が腹の底に響く。

 風が吹いて焦げるような臭いがした。

 おっちゃんの肩越しに火柱が見える。でかい火事場から燃えカスが黒々と空に舞う。空が黒く染まって、見上げた俺の目も染みた。

 地獄絵図かよ。

 俺はカレンを抱え立ち上がろうとした。けれど、頼りない力でなんとか人間の形をとどめているだけのカレンは、その場で崩れそうになる。

 泥人形みたいで吐き気がした。


「駄目だレノ! カレンは置いてけ。早く!」


 おっちゃんはカレンをチラッと見て、助けようともせず教会へ走り去った。

 おっちゃんの目、人に向ける目じゃなかった。

 まるで、ゴミを見るような、腐った目。


「っざけんなよ!」


 俺は誰にともなく叫ぶ。

 ふざけんな、ふざけんな、ふざけんな!

 カレンを見殺しにするおっちゃんも、死にかけたカレンを無視して走り去る大群も、カレンに嚙みついて腕をもぎ取ろうとしたウルフも、血まみれのカレンを見て「ヒッ」と小さく悲鳴を上げたガキどもも、全部全部ふざけんな!

 置いてけだ?

 置いていって、どうなるよ!

 こんなにボロボロになって、人間の尊厳も無視されてゴミみたいに地面に転がされているんだぞ。ウルフの大群が戻ってきたら、腕だけじゃない、足も頭も胴もなにもかもアイツらに食われて破片だけになっちまうじゃねえか!

 ふざけんな、ふざけんな、ふざけんな!


「ふざけんじゃねえぞコラァ!」


 俺はカレンを地面に優しく安置した。

 ウルフが戻ってくる? だったら殺ってやるよ。

 教会へ向かって走る人の波に逆らい、俺はドタドタと勢いよく駆けだす。土埃が舞った。焦げた臭い、土の臭い、血の臭い、汗の臭い。ぐちゃぐちゃに混じって吐き気を催すような臭いの中で、獣のよだれの臭いが際立ってツンと鼻を刺激する。

 クソったれ。人も魔物もみんな敵だ。

 連れてけねえなら殺ってやる。ウルフを全部、殺してやればいいんだ。


 俺は村一番の猟師の家に押し入って、壁にかけてあった猟銃を全部はぎ取った。

 ふたつの銃を肩にかけ、ひとつの銃を手に構える。銃の使い方なんか知らねえが、猟に同行したときのことは覚えている。薬室に弾を装填して引き金をひけばいい。

 ガシャンッ!

 急に家の窓ガラスが割れた。

 外からマウントウルフが激突して、割れた窓から勢いよく飛び込んでくる。


「チッ。来やがったか」


 ウルフは臭いを頼りに、ガウガウとよだれをまき散らしながら俺に飛びかかってきた。

 俺はウルフの顔をめがけて銃を構える。

 安全装置を押し込み、引き金を引く。

 ドォン、と鈍い爆発音と共に、ウルフは後方へ吹っ飛んだ。四方に血痕が飛び散っている。


 ――やれる。


 案外簡単じゃねえか。

 手に力がみなぎる。心臓が高鳴り、自然と口角が上がった。

 誰も魔物から守ってくれないなら、俺がこの世から魔物を全部ぶっ殺せばいい。

 逃げるしか能がねえならすっこんでろ。俺が全部殺ってやる。


 俺は銃を手に家を飛び出した。

 目の前でウルフが二匹、女を食いちぎっているところだった。

 女の肩に噛みついたウルフがグイッとあごを上げると、女の身体は一瞬持ち上がり、皮が裂けて筋肉が引きちぎれた。ウルフは口の周りを真っ赤に染めてそれを飲み込み、恍惚の表情を浮かべている。


「クソが」


 構えた銃がウルフの脳天を捉え、次の瞬間、爆ぜた。

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