第10話 呪いと精 ※ ①
竜の呪い。
屈辱的な死に追いやられた竜・ショアが今際の際に放った呪いは、今もリウの身体を蝕みづづけていた。
人目がなければのたうち回りたいほどの激しい痛みだったが、それは今、天才魔法使いであるラーゴとの口づけによって抑えられている。
呪いは痣となり手足の末端から内側へと向かい、体中に痣がまわる頃には命がないと言われていた。
前例のない竜の呪いは大元が竜の魔力だろうことは推測されつつも、原理も解呪の方法も分からないままである。
そう断言した魔法使いはなにもラーゴだけではない。
本来ならばこの呪いを受けていた第二王子のお抱え女魔法使いまでもそう言っていたのだ。 だがコラディルは「力のある魔法使いならば解ける」と言っていた。
リウはラーゴを信じている。
信じたいと思っている。
もうラーゴの行動を疑うまいと思っているものの、数日経った今もコラディルの言葉がずっと引っかかっていた。
そもそもコラディルが話を聞いたという魔法使いは、何者なのだろうという点だ。
国内で管理されている魔法使いは、そう多くない。
体内に魔力を有する人間は極めて稀で、さらにそれを自在に操ることができるのはもはや天賦の才能だ。
竜騎士もそうだが、魔法使いという職に就くには同じくらい低い確率だと言われている。
魔法使いは貴重な存在であり、そのため国内の魔法使いの多くが後援となる貴族の屋敷で生活をしているのだ。そうでなくとも厳重な警護の中で暮らす者が多い。
つまりいくら元竜騎士とはいえ、コラディルに魔法使いと話ができるほどの伝手があるのだろうかという疑問が湧くのは当然だろう。
いくらリウよりも顔が広いとはいえ、特に貴族であった妻を失った今ならなおのこと、魔法使いと連絡が取れるような立場にあるのだろうかと思う。
改めてみるとコラディルの動きも怪しい部分がある。
リウはため息をつくと、テーブルにカップを置いた。
「随分酔っていたし、でまかせを言っていて可能性もあるな」
窓から注ぐ光を浴びながら、リウは大きく伸びをする。
あの発熱から数日が経ったが、結局リウの竜騎士団復帰は無期延期となった。
そもそもラーゴの見立てによると、発熱は竜に触れたせいで起きた可能性が高いというこどだった。
確かに愛竜であるガジャラに触れた途端、恐ろしい勢いで全身が痛みに支配されたことを、リウはまだ昨日のように覚えている。
ブルリと身体が震えた。
どちらにせよ今のリウは、出勤したところで竜に騎乗することもできないのだ。
竜騎士団内の反発はさほどないと団長は言っていたが、内心面白くないと思う人間もいるだろう。なにもできない癖に出勤して、彼らをむやみに刺激する必要はない。
「ラーゴには、なにからなにまで甘えっぱなしだな」
闘病中のリウの世話も発熱後の竜騎士団との交渉も、全てラーゴに頼り切りだ。
もうすぐ三十になろうとする大の大人にしては、あまりにも軟弱である。
背もたれにもたれかかり、卓上に置かれていた焼き菓子を摘まむ。
テーブルにセットしてくれたのはメメルだが、もちろん菓子を作ったのはこの屋敷の主であるラーゴだ。まさか菓子作りまでできるとは思わなかったが、全てが完璧すぎる男はできないことの方が少ないようである。
ここ最近は少しでも食べる量を増やそうとするラーゴのせいで、こうして午後はティータイムをとるという優雅な生活を送っている。
今後の見通しがつかない自分にため息をつきながらぼんやりと窓の外を眺めていると、不意にリウの両肩にスルリと重さが加わった。
「どうしましたリウ。痛みでも出ましたか?」
ドキリと跳ねる心臓を宥める。
甘さを含むその低音の持ち主が誰かなんて、聞くまでもない。
「い、や? いつもと変わりない。ありがとうな」
ふわりと漂うラーゴの体臭は、リウの身体を強ばらせた。
――結局お前も、あの認定魔法使いサマに惚れたってわけか。
コラディルの台詞がリウの頭に蘇る。
ドクドクと鼓動が早まる。
あれから何度反芻したか分からない言葉だ。
否定しようとあれこれ自分に言い訳をしようとするが、その全てがラーゴを特別に感じていることへの裏付けとなってしまった。
彼に特別扱いされることは嬉しい。
ただの治療だと思っていた口づけに胸を高鳴らせ、その体温が離れると寂しく感じる。
その癖、不意に向けられた笑顔にときめきを覚え、甘えてくるラーゴを可愛いと思う。
最初は社交辞令と分かっていながらも、自分に特別に見える愛情を向けてくれることが嬉しかった。孤児院の子供たちのように、リウの関心がほしくてあれこれ甘えてくる様子と似ていたからだ。
そしてそんなラーゴを愛おしいと思っている自分もいた。
(俺は、ラーゴに惚れている)
コラディルの言葉は、本人さえも自覚していなかった恋心を顕在化させた。
だがリウは二十八歳とはいえ、今まで恋というものを経験したことがない。
大人になり何度か恋人と呼べる女性はいた。
しかし誰にもこんな感情を抱いたことはなかったのだ。女性は可愛いと思って接していたものの竜より特別になれる人はいなかったし、リウも竜を一番で過ごしていたからだ。
「どうしましたかリウ。熱でも出ましたか」
挙動のおかしいリウの額に、ラーゴの手が触れる。
ただそれだけなのに、リウの身体はビクリと震えた。
「いや、本当になんでもないから」
これ以上近くにいすぎてはよくないと、リウはラーゴからさりげなく距離を取った。
ラーゴの目が僅かに見開いたことに、リウは気付かない。
リウはこの年で経験する初恋を持て余し、戸惑ってばかりだ。
その上相手は美青年かつ天才魔法使いときている。
示されている好意は理解しているものの、どこまで本気なのかも分からない。
周囲にはリウを婚約者として案内しているが、それは女性避けの可能性も捨てきれない上、ごっこ遊びを楽しんでいるだけかもしれないという疑いもあった。
魔法使いとして呪い関心があり、接待的な意味で好意を示してくれるのではないか。
リウはラーゴの行動を疑わないと決めていたが、彼の好意は全て本心ではないだろう。
そんな中でリウの好意をぶつけても、なにかいい方向に転がる気がしない。
(あれこれ言い訳しても結局、フラれるのが怖いんだよな、俺は)
偽りながら婚約者という立場にあり、毎日幾度となく口づけを交わしているリウの怯えは、他者から見たら一笑に付されるものかもしれない。
だが本人はいたって本気だ。
本気でラーゴの心は他にあると思っている。
自分はラーゴの気まぐれのおかげで、魔法の研究の片手間でこの屋敷に置いて貰っているのだと思っている。
(今はこうやって側にいれるだけで、よしとしよう)
自分の立場をわきまえようと、リウは改めて自分に言い聞かせた。
そうでなければもっともっとと欲が湧いてしまうからだ。
なによりリウにかけられた呪いのために奔走してくれるラーゴに、これ以上負担をかけたくない。そう決意を改める。
「リウ」
「なに――ッン」
不意に顎を掴まれ、後ろにいるラーゴから無理な体勢で口づけをされた。
ラーゴの口付けは無言のままで、どこか荒々しい雰囲気が漂う。
「ンむ……っ、ん、ふ」
普段と違う角度で重なる唇は、顎を上げているせいか息苦しい。
痺れる舌を嬲られて背筋が震えた。
鍛えられたリウの胸が浅い呼吸で上下する。
流れ込むラーゴの唾液でむせそうになるがそれを堪えて嚥下すると、リウを見つめる紫の瞳が満足そうに細められた。
そうして散々好き勝手にまさぐられて濡れたリウの下唇を軽く食んでから、ようやくラーゴの唇が離れる。
先ほどとは違い、なぜか機嫌は良くなったようだ。
理由は分からないにせよ、好いた男の機嫌はいいに超した方はない。
「はあっ……ど、どうしたんだ急に」
呪いによる痛みを取るために口づけをするのであれば、時間はまだ早い。
何かが身体を抜けていく感覚もないため、これはただの口付けだ。
たとえ気まぐれの口づけでもリウは嬉しいが、気を引き締めなくてはだらしない顔をしていそうだ。平静を装おうと顔を背け、濡れた唇を袖で擦る。
その瞬間、なぜかラーゴの纏う雰囲気が硬質なものへと変わる。
スウッと細められた瞳が、冷酷な色を感じさせた。
「ねえリウ。もっと僕が呪いの痛みを吸い取れたら、リウは長い時間自由に動けると思いませんか?」
「それは……そうだな。もし可能ならありがたいな。仕事だって一人で行けるだろうし」
今のリウは日に四回、痛みを回避するためにラーゴの口づけを必要としている。
これでも最初の方に比べれば、随分回数が減った。
それは痛みの出る頻度が把握されたこともあるし、リウ自身があまり動き回らないことにも起因している。
運動量と呪いによる痛みは連動していると仮定されているため、屋敷で大人しくしている分には四回でも十分だ。
しかし竜騎士団に復帰となれば、もちろん訓練が必要となるため頻回にラーゴの口づけが必要となる。
復帰の話になった時点でラーゴは頻回に竜騎士団を訪れることを受け入れており、リウも心苦しくなりながらもそれに頼るしかなかった。
だがもしも今よりも口づけの間隔を空けることができるのなら、ラーゴの負担を減らせるかもしれない。
そう思い、リウはラーゴの提案に深く頷く。
だが紫の瞳は、リウを見つめながら人知れず鬱屈とした暗さを深めていた。
「やっぱり、僕から離れたいんですね」
小さく小さく呟いたラーゴの声は、幸か不幸かリウの耳には入らない。
肩に乗ったラーゴの手のひらが重みを増し、リウは考え込んでいた顔を上げた。
笑顔を浮かべているはずのラーゴがなぜか泣きそうに見えて、リウは吸い寄せられるように手を伸ばす。
その手首を掴まれ、珍しくラーゴが力任せにリウの腕を引く。
「では早速、試してみてもいいですか? もうすぐ痛みを取る時間でしょう?」
「え……わっ!」
一瞬で身体を抱き抱えられ、そのまま寝台の上にポイと放り投げられた。魔法を使うラーゴにとってリウの体重などたいしたことはないのだろう。
それでもラーゴらしからぬ乱暴な行動は些か気になった。
「ラーゴ?」
寝台から身を起こそうとするリウの手のひらが、見えない何かによってシーツに縫い止められる。
魔法だ。
腕に力を入れて振りほどこうにも、肘のあたりからピクリとも動かない。
竜騎士として人並み以上に鍛えているにも関わらず、だ。
「おい……っ、ラーゴ!」
腹筋を使って勢いを付けて起き上がろうとしても、腕は全く動かなかった。
ラーゴを見れば、その紫の瞳は重苦しい闇に染まっているかのようにジットリとしている。得体のしれない不安がリウの胸を駆け巡る。
「唾液は体液です。竜の呪い――魔力を引き受けるためには体液を介します。ですが他の大量の体液なら、もっと効率的に体液を回収できる気がしませんか」
ラーゴの腕がリウの足元に乗り、その体重を受けて寝台がギシリと音を立てた。
普段共寝をしているときとは違う奇妙な緊迫感が周囲に漂う。
「ねえリウ。僕の手助けなんて、出来る限り最小限にしたいんですよね?」
「……ああ」
忙しい仕事の合間を縫って、日に何度もリウのために時間を割かせてしまっている。
ずっと心苦しく思っていた回数が減るのなら、それはラーゴにとってもいいことだろう。
だから頷いたというのに、何故かラーゴの顔は苦しげに歪んだ。
しかしそれは一瞬で、すぐにいつもの笑みを浮かべる。
彼の長い指がリウのズボン、そのやわらかい膨らみに触れた。
「ではここから痛みの元となる魔力を吸い出しましょうね。唾液より大量の痛みの元を吸い出せるんじゃないでしょうか」
「な……」
一瞬意味を理解できず、だがすぐにリウの顔は真っ赤になった。
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