第8話 竜と空

 広大な城内の東側に、竜騎士宿舎と竜舎がある。

 叙勲式から一夜明けた今日、竜騎士団の副団長としての任を受けたリウは復帰時期を相談するため城を訪れていた。

 空は快晴で、心地のいい南風が木々を揺らす。

 馬車から降りたリウの隣には、過保護なラーゴが同伴していた。

 久しぶりに着た竜騎士の制服は、やはり昨日の正装よりもリウの身体によく馴染む。

「本当に一人で行かれるんですか?」

「仕事の話をするのに婚約者を伴ってたらおかしいだろ」

 ラーゴは竜騎士宿舎へと歩を進める。

 馬車を用意してくれたラーゴの顔には、ありありと不満が書いてある。

 演技に見えないその態度が庇護欲を誘うせいか、やはりリウの胸を揺さぶってくる。

 昨晩コラディルに言われたことを忘れたわけではないし、ラーゴの行動全てが善良なものだと肯定するわけでもないが、どうにもリウはラーゴを目の前にすると冷静な判断が難しくなる。

 今だって、婚約者を連れて行かないと言い聞かせている側から「外で待たせる程度ならいいのでは」などと譲歩案を考えてしまっているのだ。

 リウは軽く頭を横に振り、愚かな自分の考えをすぐさま否定した。

「図書館で合流だって決めただろ。話し合いが終わったらすぐに行く。呪いについて俺は門外漢で頼みの綱はラーゴ、お前だからな。先に図書館で本を探しておいてくれ」

 頼られたことで、不満げだったラーゴの顔色がパアッと明るくなる。表情自体はさほど変わらないとはずなのに、この変化はなんなのだろうか。

 ゴッドランド宰相は氷像の魔法使いなどと呼んでいたが、リウから見ればひまわりの魔法使いと呼んでもいいほどだった。

「よしよし、いい子だな」

 リウは無意識に、子供にするようにラーゴの頭を撫でた。

 婚約者とはいえその立場は偽りで、そもそも身分差がある。

 さすがに不敬だったかと手を離そうとするが、逆に身体をきつく抱きしめられた。

「僕以外にこんなこと、しないでくださいね?」

「そりゃあ……」 

 ラーゴ意外にする予定もなければ、そもそも相手がいないだろう。

 さすがに竜騎士である同僚たちの頭など撫でた経験はない。

 今のはたまたま、まるでラーゴがかつて孤児院で世話をした子供達を彷彿とさせ、思わず撫でてしまっただけである。

 いい大人で立場のあるラーゴを、時々手のかかる子供のように感じてしまう。そう告げたら本人は怒るかもしれないが、寂しがって甘えてくるような構ってほしがっているような、そんな空気を感じるのだ。

「リウは僕の婚約者ですからね」

「分かってるさ」

 ラーゴの言葉に、リウは困ったように眉を下げる。

(偽りとはいえ自分の婚約者が、他人の頭を撫でるのは外聞が悪いもんな)

 それはそうだと、軽率にラーゴの頭を撫でてしまった自分を反省する。

「絶対、分かってないでしょう。その鈍感さがリウなんですけど」

 ブツブツと文句を言うラーゴをよそに、歩いていた二人はあっという間に竜騎士宿舎の前に到着した。

 ここは宿舎という役割もあるが、一階は竜騎士たちが会議をしたり昼食をとったりする場所でもあった。

 団長室もあるため、今日のリウは今後の復帰予定についてここで相談する予定だ。

「それじゃあ、後で図書館でな」

「ええ。お気を付けて。夕飯はなにがいいか、決めておいてくださいね」

 こんな時、ラーゴは絶対にリウを最後まで見送る。

 リウはそれを知っているため、さっさと扉を開けた。リウの姿が消えるまで注がれる強い視線は不快ではない。むしろどこか浮き足立つものでもある。

 見守られていることで得られる安心感を、リウはあまり経験したことがない。

 リウは孤児院育ちだ。

 十の頃に流行病で家族を亡くしたリウが孤児院に拾われたのは、この国では運のいい方である。

 そうでなければ人買いに攫われてどこかに売り飛ばされるか、治安の悪い場所で盗みを生業に生きていた可能性もあった。

 元々リウは五人兄弟の長男であったため、弟妹の世話には慣れていた。

 むしろ働く両親の代わりに弟妹を育てていたと言っても過言ではない。

 そのため孤児院に引き取られてからも、小さな子供達の世話は自然とリウの仕事になった。リウもそれを当たり前だと思っていたし、苦に感じたことはない。

 子供ながらに子供たちを見守り、喧嘩すれば仲裁し、夜泣きには根気よく付き合っていた。

 頼れるお兄ちゃんという地位を確立していたリウだったが、だからこそ誰かに頼ることができない性格でもあった。

 甘やかされるよりも甘やかす立場であり、周囲の大人も本人もそれを当然だと思っていたし、今でもそう思っている。

 だからこそリウは今、こうしてラーゴに心配され大切にされることに戸惑いを感じていた。慈しむことはあれど、慈しまれる立場にはなかったのだ。

(ああでも一人だけ。俺の頭を撫でてくれた子がいたな)

 もうぼんやりとしか顔を思い出せないが、綺麗な顔をした子供だったように思う。

 最初はリウを嫌っていたはずが気付けば誰よりも懐いていて、小さい身体でせっせとリウの世話を焼こうと頑張っていた。

 リウは昔を思いだし、口元を緩める。

 最近のリウは、以前より孤児院時代を思い出すことが増えたように思う。

 ラーゴと共に訪れた洋服店で、あの孤児院時代の子供・ピピに再会してからだ。

 今の時間帯は竜騎士の殆どが訓練に出ているため、誰ともすれ違わないまま目的の部屋に到着する。

 リウは赤黒さの目立つ手で、竜騎士団長室をノックした。


 竜騎士団長との話し合いは思っていた以上に気遣われ、無事に終了することができた。

 リウを取り巻く現状を報告し竜騎士団の現状を聞き、来週から少しずつ復帰していく話にまとまった。

 さすがにラーゴとの婚約が呪いを解くための仮のものだとは言えなかったが、天才魔法使いが解呪に奔走していることを告げると、情に厚い団長は目を潤ませて喜んでくれた。

 とはいえリウの出世は既に三人いる副団長の席が空いたからではなく、単純に報償としてのものだ。

 とりたててすぐに特別な仕事を振るというわけではなく、暫定的に今までと同じ一般団員同様の仕事で構わないということで、お互いの考えを再確認したのだった。

 団員たちの間でもそれは理解されているそうで、呪いの痛みに苦しむリウを見ていた同僚の多くは同情的だったと団長は語っていた。

 復帰に大きな反発はないだろうという団長の言葉には、リウは僅かに張り詰めていた肩の力を抜くことができた。

 よく思っていない団員がいることは知っているが、少なくとも表立って不満を口にしているわけではないということだ。

(それ以上を望むのは、贅沢だろう)

 リウが歩く図書館へと続く渡り廊下には、壁の左右に開け放たれた大きな窓がある。

 そこから見えるのは城の塔だ。

 塔は主に魔法使いたちの研究所や、騎士団の詰め所が入っている建物だ。

 塔と塔の隙間から、巨大な羽根を力強く羽ばたかせる生き物が目に入る。

 どうやらリウが気付かぬうちに、巡回の竜騎士たちが戻ってくる時間になっていたらしい。

 本来であればリウも、あの美しい竜の背に乗り天高く飛び立っていたはずだ。

 あまりの目映さに手を翳そうとして、自分の指先の赤黒さが目に入る。

 静かに拳を握り俯くリウに、廊下を歩いてきた誰かが声をかけた。

「リウか。もう復帰できたのか。どうだね具合の方は」

 その声はつい昨晩、夜会で際どい話を持ちかけてきたこの国の宰相・ゴッドランドだった。

 優しげな顔立ちをした男の後ろには、若い従者が二人、忌ま忌ましげにこちらを見ている。

 そのうちの一人は確か竜騎士に憧れていると、いつだったかリウと楽しげな会話をしてくれた青年だった。 

 リウは胸に腕を当て、腰を下げて慣れた騎士の礼を取った。

 体調に問題ないことを告げると、ゴッドランド宰相は「そうか」と笑みを浮かべる。

「妻も君を気にかけていた。とはいえ竜騎士団の存続にも関わるからな。私の方でも手がかりを探すが、一刻も早くその呪いを解く鍵を探してみてくれ」

「もちろんです」

 昨日と比べると、どうにも上っ面の会話に聞こえる。

 後ろにいる従者の青年たちを気にしているのだろう。

 もしくは敢えて、噂として広めようとしているのか。

 やはり昨日の堂々とした密談は、ラーゴがいたからできたことなのだ。

 しかしそう考えればラーゴはこのゴッドランド宰相の、一体どれほど内側に入っているのだろうかと恐ろしくもなる。

 宰相は顎を撫でながら、いかにも思いついたと言わんばかりに世間話を続けた。

「そういえば婚約者……ラーゴ殿との生活はどうだね。あれは魔法以外には興味がない男だから、電撃婚約には周囲も驚いただろう」

「はは……」

 婚約の件も先日のパーティーでとっくにした話だ。

 白々しさすら感じるが、なにか宰相にも思惑があって従者たちに聞かせているのだと思えばリウは適当な相づちを返すしかない。

 宰相の後ろから睨み付ける青年たちは、呪われたリウを明らかによく思っていない。

 リウがゴッドランド宰相に目をかけて貰っていることが、気に入らないという感情がひしひしと伝わってくる。

「今度は我が家の夜会に招待しよう。是非君も婚約者と一緒に来てくれ」

 わざわざラーゴを婚約者と呼んだり、夜会に招待するほどリウと親しい間柄だと思わせるような口ぶりだ。ゴッドランド宰相とリウは昨晩初めてまともに会話をしたものだが、その意図の底知れなさにはリウも愛想笑いを浮かべるのが精一杯だった。

 宰相は含みがあるような笑顔で、リウの横を通り過ぎる。

 偉い人というものは、全く何を考えているのか分からない。

 その後ろに続くお付きの男たちはすれ違いざま、まるでリウに汚物を見たかのような顔を向け、そのうちの一人は小さく舌打ちをした。

「呪われ竜騎士が厚かましい」

 そしてリウにだけ聞こえるよう、小さく呟いて去って行く。

 その露骨な態度にリウは悲しむより先に苦笑いを浮かべるしかない。 

 だが不思議と、以前よりも格段に傷ついていない自分がいた。

「確かにしょうがないか。空も飛べない、呪われた竜騎士じゃ」

 誰もいなくなった渡り廊下で、リウはそう独りごちた。

 その声にはやはり悲壮感というよりも、諦めにも似たものが多く含まれる。

 リウの襟元に光るのは、竜を模したバッヂだった。襟に付けられた真新しい階級章は、竜騎士団に三人しかいない副団長のものである。

 呪いと引き換えに手に入れた形ばかりの名誉職が、大きさ以上の重みを感じさせる。

 ため息をつくリウの後ろから、聞き慣れた美声が響く。

「ここにいたんですねリウ。遅いので迎えにきました」

 魔法使いのマントをなびかせながら、ラーゴは長い脚であっという間に距離を詰める。

 リウの返事を言うより先に、広げた腕の中に包み込まれてしまう。

 石鹸の匂いと共に漂う淡い匂いは、ラーゴ自身の体臭だ。嗅ぎ慣れた匂いと体温は以前なら心を穏やかにしてくれたものなのに、今はどこか落ち着かない。

 ラーゴの胸を押し返し、僅かに距離を取る。

「すまない、ゴッドランド宰相と少し話をしていたんだ」

 宰相の名を出した途端、ラーゴは分かりやすく顔を顰めた。

 昨晩もそうだったが、一体二人はどんな関係なのだろうか。

「いいですかリウ。あの男には心を許してはいけません。温和そうな顔ですが、己の野望のためなら手段を選ばない男です」

「それは……そうなのか」

 本気で言っているのか、それとも軽口なのか。

 人と疑い慣れないリウには、ラーゴの表情から真実を読み取れない。

「そうです。リウは僕だけ見ていてくれなきゃ、いやですよ」

 冗談を笑いそうになって、ふと途中でお前がそれを言うのかという気持ちが湧いた。

 言うつもりもなかったはずの言葉が、口からポロリとこぼれ落ちる。

「そうか……だから俺宛の手紙を隠しているのか?」

「リウ?」

 なんのことだか分からないとでも言いたげな返事に、リウは思わずカッとなった。

「とぼけるんじゃない。聞いたんだ。コラディルが……同僚があの屋敷に何度も手紙を出したと。どういうことだ? 俺は一度も手紙なんて受け取っていない!」

 ラーゴとリウが偽装とはいえ婚約しているのは、賃貸だという彼の屋敷に住まう権利を得る必要があるからだ。

 リウにとっては呪いによる痛みを魔法で吸い取るための合理的な判断であり、それ以上でも以下でもない。そう思っていたが、ラーゴがリウへの手紙すら渡さないのであれば話は違ってくる。

 まるでリウが外部と連絡をとることを阻んでいる。

 リウが誰かと交流を持つことを、不都合だと判断している理由はなんだ?

「落ち着いてください、リウ」

「俺は、落ち着いている! 落ち着いていないのはラーゴの方じゃないか? 俺なんかを屋敷に引き入れて治療するなんて、やっぱりなにか目論みがあったんだろう!」

 場当たり的に言わないでおくべきだ。

 真実を探るためにも今は黙っていたほうがいい。

 同僚であったコラディルにもそう念押しされていたはずなのに、結局リウはそれを本人に問い詰めてしまう。

 そんなリウをラーゴは黙って見つめたままだ。

「目論みはありますよ。最初から」

 静かに、ラーゴは呟いた。

 語るに落ちた――リウはラーゴの言葉にそう確信した。

 してやったという興奮とは裏腹に、胸に冷たい風が吹き抜けていくようだった。

 やはりリウに親切だったのは、なにか理由があったのだと。

 自分のような人間が、誰かに無条件で好かれるはずがなかった。

 問い詰めたのは自分だというのに悲しみに押しつぶされそうだ。

 そんな中、ラーゴの手のひらがリウの頬にそっと添えられた。

「最初に言ったでしょう。貴方が好きだと。好きな人に振り向いて貰うためなら僕は、なんだってします」

「な……っ、ふ、ふざけるな! そんな甘言で俺は誤魔化されない!」

 熱量を孕んだ瞳に、リウの顔が紅潮する。

 慌ててその手を振り払い、距離を取ろうとするリウの腰をラーゴが引き寄せた。

「誤魔化していません。手紙は確かに僕が預かっています。でもそれは貴方に余計な負担をかけたくないからですよ」

「俺に、負担……?」

 言い訳するなと思うものの、リウの好きな紫の瞳は真剣そのものだ。

 思わず耳を傾けてしまう。

「手紙は貴方の同僚の他、ゴシップ好きな新聞社や、耳の早い貴族たちからも届いています。今はまだ、貴方の心がそれを受け入れられるほど強くない。違いますか?」

「あ……」

 先日の叙勲式やパーティーで注がれた視線を思い出す。

 好奇や同情、忌諱や嫉妬の目がいくつもリウを見ていた。

 面白半分でリウの話を聞きたい人間は多かったのだろうが、誰も話しかけてこなかったのは、ラーゴが隣にいてくれたからなのか。

「同僚の方には申し訳ありませんが、全てリウにお渡ししないと決めました。貴方の心を守るためだと勝手に判断して、不審に思わせてしまったことは謝罪します。結果的にリウの信用を失ってしまったようですし」

「そんな……! すまない、俺が軽率だった。ラーゴは悪くない」

 困ったように眉を下げるラーゴの肩を、リウは慌てて掴む。

 まさかそこまでリウのことを考えて、先回りしてくれていたとは思ってもいなかったのだ。

 コラディルが話してくれたラーゴへの疑惑を、よく考えもせずそのまま受け入れてしまった自分を恥じる。

 ラーゴは切なげにジッとリウを見つめる。

「本当ですか? リウはまだ、僕の側にいてくれますか?」

「どうしてそんな言い方をするんだ。この呪いがある限り、俺が頭を下げてでも頼む方だと知っているだろう」

 なぜラーゴはいつもリウのこととなると、卑屈な言い回しをするのだろうか。

 そんな風に持ち上げられるほど、リウの立場は強いものではない。

 副団長になったとはいえ、名ばかりの死にかけ竜騎士だ。

 だがラーゴはリウの頬に顔を寄せ、小さく囁く。

「惚れた方が負けなんですよ。きっと僕は、一生リウに勝てません。貴方に去られたらと考えるだけで、自分がどう暴走するか分からない」

 その声で、リウの背中にゾクゾクと雷のような感覚が走る。

 不快なものではないが、妙に高揚する心地だった。

 リウは自分の身体がそうなった理由が分からず疑問符を浮かべていると、ラーゴはやんわりと腕の拘束を緩め、ゆっくりと身体を離した。

「離すつもりはないですけどね」

 小さく呟いた言葉は、混乱するリウの耳には届かない。

「そういえばリウ。今日は図書館が閉館しているそうです。なんでも棚卸しだそうで」

「えっ、あ、そうなのか。せっかくラーゴに来てもらったのにすまないな」

 一番の目的だった場所に行けなくなってしまった。

「ならば街の本屋に行って呪いに関連する書物を調べてみるか? いや、それとも他の魔法使いに協力を仰ぐか……」

 リウは顎に指を置き、あれこれ考える。

 呪いに関してはラーゴにおんぶに抱っこの身だ。動けるうちに少しでも協力したい。

 竜騎士団に復帰する来週までは時間がある。

 調査するのであれば、その間に調べるのがいいだろう。

 だがリウの提案に対して、ラーゴは首を横に振る。

「せっかくここまで来たんですから、竜舎に行きませんか。リウが大事にしている相棒を、僕にも紹介してください」

「! もちろんだ」

 ガジャラに会える。

 昨日は竜舎近くに寄ったものの、結局会えずに終わってしまった。

 会いに行けることも、ラーゴが竜に興味を持ってくれたことも嬉しくて、思わず大きな声で返事をしてしまった。

「ガジャラは凄く綺麗で可愛いんだ。そうだ、ラーゴを背中に乗せてやろうか」

 そうと決まれば早くガジャラに会いたい。

 気が急くリウはラーゴの腕を引き、返事も待たずに歩き出した。

 今の時間ならば竜騎士たちは宿舎側で鍛錬を積んでいるはずだ。

 来週から復帰するとはいえ、若干竜騎士たちに会うことが気まずかったリウは竜舎を避けていた。だからこうしてラーゴを紹介するという口実とはいえ、大手を振ってガジャラに会えることは嬉しい。

「飛び立つ時のガジャラは他の子よりも荒っぽいんだが、大空での安定感は竜騎士団随一なんだ。賢い子で、俺はいつも助けられてる」

「リウ、待ってください」

 浮き足立つリウの手を、ラーゴが引いた。

 立ち止まるラーゴを見て、竜バカと呼ばれているのはこういう所なのだと反省する。

「あ、すまない。ラーゴにはつまらない話をしていたな」

 別の会話を探そうとするリウの手に、ラーゴは何かを乗せた。

 硬い感触のそれは、見れば綺麗な紫色の魔石だった。

 石ころや宝石にはない魔石独特の煌めきが相まって、まるでラーゴの瞳のようだ。

「これは貴方の同僚さんへのお詫びです。僕の屋敷は結界が張ってあるため、僕の許可した人間以外は誰一人侵入できませんが、これを持っていれば入ることができます。よかったらいつでもお招きしてください」

 つまりこの魔石は、屋敷への招待券だ。

 元同僚のコラディルはリウにとっては気の置けない仲間だが、ラーゴとは面識がないだろう。屋敷に結界が張られていること自体リウには初耳だったが、そうする理由が彼にはあったはずだ。

 そんな結界の内側に、コラディルを招いていいと言ってくれている。

 コラディルはどんな人間なのか、どんな関係なのか、なにを話したいのか。一切問うことなく、リウを信用してくれているのだ。

 リウの胸がじんわりと熱くなる。

「……いいのか?」

「あそこはもう、貴方の家でもありますからね。これくらいで僕の信用が回復するとは思えませんが」

「そんなこと……俺の方こそ、疑ってすまなかった」

 改めて手の中の魔石を見る。光を受けて美しく輝くそれは、コラディルに渡してしまうのがもったいなく思えてしまうほど、素晴らしいものだった。

 魔石は原石のままでも十分価値がある。

 だが渡されたものはさらに複雑なカットが施されているのだ。美術品としても高い付加価値が付いていることだろう。

 その上認定魔法使いラーゴの屋敷へ無条件で入れてしまうのだ。この魔石を託さている事実は、リウが思っている以上に重い。

「ああ本当に、凄く綺麗だな」

 リウが手の中の魔石に魅入っていると、ラーゴは目を細めた。

「魔石がお好きなんですか? カットしていない原石であれば、いくらでもありますよ」

「え、わ! 凄い、こんなに?」

 ラーゴはマントの内側から革袋を取り出すと、おもむろに魔石を取り出した。両手で収まる程度の袋ではあるが、その中に入っているのが全て魔石だ。

「これは僕が作った魔石ですからね。屋敷にはもっとありますよ。カットして渡しましょうか。カフスボタンに仕立てるのもいいですね」

「い、いや……あの、あのさ」

 魔石を前に口ごもるリウは、チラチラとラーゴを見る。

 言いにくそうにしていたが、ようやく決心して口を開いた。

「竜は魔石が大好物なんだ。その……ガジャラに食べさせてもいいだろうか」

 恐る恐る提案したものの、魔石がどれだけ高価なものなのかはリウもよく知っている。

 いくらラーゴ自身が作ったものだとはいえ、市場に流せばいい値段になる。

 国内でも数少ない認定魔法使いが作った魔石であれば、それにどれだけの値段がつくのか、考えるだけで恐ろしい。

 そんな価値があるものを竜に食べさせたいと言うのは、さすがの竜バカでも申し訳なく感じるのだ。ラーゴの気を悪くさせてしまうかもしれない。

「もちろんいいですよ」

 だがそんなリウの心配をよそにラーゴはあっさりと快諾し、その大きな皮袋をリウの手にそのまま置いた。

 袋越しに感じる、大きな魔石の感触にギョッとする。

「これで足りますか?」

「ぜ、全部はいい! 多すぎる! 一個か、二個……いや三個貰えたら……」

 呪いを受けてからというもの、なんだかんだと顔を出せなかった不義理を詫びたい。

 他人から貰った魔石を詫びにするのはなんとも情けない話だが、これだけ上質で大きな魔石なら絶対にガジャラも喜んでくれるだろう。

「全部受け取ってください。必要ならいくらでも用意できます。世間では高価なものだと知っていますが、なにせ作るのに必要なのは魔力だけなので」

「魔力だけ? 魔物が持っている魔石とは、原理がまた違うのか」

 恐縮するリウの手の中に、改めて皮袋ごと魔石が預けられる。

 どうやら好きにしろということのようだ。

 リウはその中の魔石を三つ手の中に残し、残りの皮袋はありがたくポケットにしまった。

「魔法使いも魔物も、魔力があるという点では同じでしょうね。ただその魔力を意識して扱えるかどうかが、知能の有無、そして魔法使いと魔物の差でしょうか」

「確かに、竜も区分は魔物だ。魔石を好むし、死ぬと魔石が残る。亡骸を埋めた場所には、生きている竜にとって居心地のいい魔力が充満しているらしいんだが」

「魔力を凝縮したものが魔石ですから。魔力を好む竜にとっては、居心地がいいでしょう」

 竜と魔力、魔力と魔石。

 魔石と魔法使いの思ってもいなかった関連性を話しながら、気がつけば二人は竜舎へと到着していた。

 周囲には人影がない。予想通り竜騎士たちは宿舎で訓練をしているようだ。

 長い間ガジャラを放っておいてしまった申し訳なさはあるものの、会える嬉しさでリウは思わず駆けだした。

「ガジャラ!」

 巨大な竜舎の中に入ると、リウの相棒であるガジャラがひょっこりと顔を覗かせる。

 大きな金の瞳には、いつも通りリウへ信頼の色を浮かべてくれている。

「グルル……」

「放っておいてすまなかった。俺の方でも色々あったんだ」

 久しぶりに会えた愛竜に聞かれてもいない申し開きをしながら、ハッとラーゴの存在を思い出し咳払いをする。

「ラーゴ、彼女がガジャラだ。ガジャラ、彼はラーゴといって俺の……その、婚約者だ。よろしく頼む」

 竜を相手にどう説明するのがいいのか分からず、結局周囲にしているものと同じような説明をした。ある程度意思疎通できるとはいえ、ガジャラはどこまで理解してくれるのだろう。

 ラーゴを見れば、目が眩むほどの満面の笑顔を振りまいている。

「初めましてガジャラ。リウと、将来を誓い合った、婚約者の、ラーゴ・ラディーンです」

 一言一言を強調しながら、なぜかラーゴは誇らしげだ。

 ガジャラはラーゴをジッと見つめ、それから顔を寄せ、初めて見る男の匂いをクンクンと嗅いでいる。それからラーゴの頬をべろんと舐めた。

「グギャギャ」

「認めてくれるんですか? 嬉しいです」

 上機嫌なガジャラは、愛想良くラーゴに顔をすり寄せた。

 一方それを見ていたリウは呆然としている。

 ガジャラを含め竜というものは、自分が乗せると決めた竜騎士以外にここまで懐くことはない。他の竜に乗っている竜騎士ならば背に乗せること以外は受け入れる場合はある。

 しかし般人相手では、撫でられることすら嫌がる竜が多いほどだ。

 だから竜への騎乗は竜騎士を伴う必要があるし、無碍に扱う人間に容赦しないプライドの高い生き物でもある。

 それがラーゴを相手にしたガジャラはどうだ。

 長年ガジャラと信頼を築いてきたリウ同様、いや下手をすればそれ以上に懐いている。

 魔力を持つ魔法使いだからだろうか?

「ら、ラーゴ!」

 急にリウは不安に襲われ、仮の婚約者の名を呼ぶ。二対の瞳がリウを見た。

 なにを不安に思ったのかリウ自身分からないながら、胸のざわつきと奇妙な気まずさが残る。それを誤魔化すように、リウは意識して明るい声を出した。

「あの、よかったら竜に……ガジャラに乗ってみないか」

「いいんですか?」

 提案に乗るラーゴになぜかホッとして、リウは「もちろんだ」と頷いた。

 明るい時間であれば、竜騎士の判断で竜の飛行は許可されている。

 リウの不在中は空を飛ぶことが許されなかったガジャラだ。ラーゴを後ろに乗せて一緒に空を飛ぶのも、お互いいい気分転換になるだろう。

 リウはそう考え竜舎からガジャラを出そうと、その鱗に覆われた顔に触れた。

 いや、触れようとした。

 ――バチン!

 その瞬間、リウの手とガジャラの間に火花が散ったような痛みが走る。

 激痛が血管を通り抜けていくように、指先を通って身体を一気に駆け巡った。

「うぐッ!」

「リウ!」

 蹲るリウの身体をラーゴが抱きしめる。

 引かない痛みに呻く身体は、気を抜けば意識を持って行かれそうだった。

 久しぶりに感じる激痛は、まぎれもなく呪いによるものだ。

 最近は痛みを感じるより先にラーゴが呪いを散らしてくれるせいで、普段と変わらない生活を送れていた。

 穏やかな生活の中で忘れかけていた苦しみは、あまりに強烈で呼吸すらままならない。

「リウ、リウ。顔を上げてください」

 覆い被さるように背中を擦る男をどうにか見上げると、痛みに滲む視界に紫の瞳が近づいてくる。

 リウは考えるより先に唇を開き、顎を上げた。それから濡れた赤い舌を差し出す。

「ん……んっ」

 尖らせた舌を男の唇に吸われると、クチュリと濡れた音がした。

 しゃぶるように舌を舐められ、背筋が震える。

 そして痛みがほんの少し軽くなった。

「あぅ、もっと……ン」

 肩を抱き寄せられ、より深く唇が重なった。

 別の生き物のようにぬめる舌に、リウも懸命に応える。

 こうして口づけを深くするほど、痛みが楽になることを知っているからだ。

 男の首に腕を回し、ざらつく舌を必死でしゃぶった。

 自然と流れ込む二人分の唾液を嚥下すると、腰の辺りがズクリと疼く。

 息が上がり、痛みではないものでリウの身体が震える頃、ラーゴの唇はゆっくりと離れていった。

 口付けに蕩けたリウの瞳には、心配そうなラーゴの顔が映る。

「痛みはどうですか?」

「ん……すまない、楽になった」

 ラーゴは地面にへたり込むリウを、当たり前のように抱き上げた。

 リウは少しだけ躊躇って、だがおずおずと男の首に腕を回す。こうして運ばれることにももう随分慣れたが、ガジャラの前だと思うと気恥ずかしい。

 自分の指先が視界に入り、先ほどの激痛を思い出されて身体が震えた。

「どうしてガジャラに触れた途端、痛みがあったのだろうか。まるで呪いが一気に強くなったような感覚だった」

 リウが普段通りの生活を送れているのは、ひとえにラーゴのおかげだと文字通り痛感させられる出来事でもあった。

 もしも一人で竜舎に来ていたら、あの苦しみにひたすら身を焼かれていただろう。

「……ラーゴ?」

 問いかけても、珍しく返事がない。

 リウを抱き上げている男を見上げると、その顔色は目を見張るほど白い。

「ど、どうした!?」

 慌ててラーゴの顔を両手で挟むと、遠くを見ていた焦点がゆっくりとリウに合っていく。

「あ、ああ……すみません。少し考え事をしていました。竜に触れると呪いによる痛みが増すということですね?」

「そうだが――本当に大丈夫か? 顔色がよくない」

「平気ですよ。でももしそう見えるなら、リウがキスしてくれたら元気が出ます」

「う」

 普段通りのラーゴの軽口に安堵しながら、だが冗談でも自分から口づけをすることは恥ずかしい。リウ自身も、いい年して受け身すぎると僅かに自己嫌悪になる。

「今日の用事は終わりましたね? 一旦帰って身体を休めましょう」

 だがその返答を最初から予想していたように――悪く言えばリウに期待などしていなかったかのように、ラーゴは普段と同じ態度を崩さない。

 ありがたいと思うものの、どこか寂しい気持ちにもなる。

「いいのか。ラーゴの仕事は――」

「リウが最優先です。こう見えて僕は、割と自由な認定魔法使いというやつなので」

「知ってるさ」

 ふと、ラーゴの後ろに不安げなガジャラの顔が見えた。

 痛みを感じたのはリウだというのに、ガジャラの方も辛そうな表情に見える。

 呪も痛みも彼女のせいではない。きっとリウの方に問題があったのだ。

 だからそんな顔をしないでほしい。

「ごめんな、ガジャラ。また、来るよ」

「グル……」

 こんなに近くにいるというのに、心配してくれるガジャラに触れることもできない。

 リウは久しぶりに、呪われたこの身を悔しく思った。


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