六、途切れる闇見
後味が悪くて仕方が無い。
「大丈夫だよ、亜耶」
綾が優しく慰めて呉れるが、亜耶は俯いた侭だ。
先が、見えないのだ。仲の良い
そしてもう一人の兄、
「亜耶、考え過ぎないで。
「…こうなる事が、分かって居たの?」
「さあね」
綾が言葉を濁すのは、肯定の合図。其れは幼くから分かって居た。
「澪を、傷付けたわ…」
「珍しいね、そんなに誰かに入れ込むなんて。どんな
明日の宴まで待てないよ、と綾は無邪気に言う。肉を食らう時以外は割と無表情な綾だが、目が輝いて居る処を見ると本当に早く会いたいのだろう。
「明日、
「待ってるよ。じゃあ明日の禊ぎの前に、亜耶には遣る事が有るでしょ?」
す、と衣の
付けるのは良いのだが、もう直ぐ膿み易い季節に成る。明日の宴の前に氷室に行って、氷を取ってくるべきか。
「着けて上げる」
遠慮無く囊に手を入れた綾が、耳飾りを摘まみ出した。冷んやりとした綾の手が、亜耶の耳に触れる。
「凍て付かせる。我慢して」
徐々に耳朶の感覚が無くなり、耳飾りのしゃらん、と云う音が耳元で聞こえ出した。
「綾…凍て付くって、いつまで?」
「傷が塞がるまで。膿まない様にね」
「…有り難う」
亜耶の気を逸らす為に、こうして呉れたのだ。其れが分かって居て、礼を言ったのに。
「此れで、氷室に行かなくて済むでしょ?」
まるで方向が外れた返答が、神の御遣いからは反って来た。
だから、禊の前だったのだ。澪にも、明日の禊の折りに簪を持たせなければ。
禊に使う泉には、神山から邑に流れる川と同じ澄んだ水が湧いている。元々川底だったのか玉石も沢山落ちているし、澪の気も晴れるだろう。
「ねえ、澪は柘榴石が好きなの。何かお下がりは無い?」
「其れは、明日のお楽しみ」
「禊の後でも良いの?」
笑って肯いた綾の事だ、浄めて置いて呉れるのだろう。綾には嫉妬もするが、同時に信頼も寄せて居る。任せて置けば大丈夫。先程の綾の言葉を、口の中で転がした。
「おい、もう明かり落とすぞ」
不意に不機嫌そうな
「…飾ったのか、耳」
「うん…派手?」
「髪型で良く見えねえ。綾みたいに、髪結って遣ろうか?」
そう云えば綾は、いつも綺麗な
ぱちん。
「痛ぇっ!」
「え…?」
「大龍彦…?」
弾いた、確かに。勾玉に弾かれたのだ、只人ならざる大龍彦が。只人に比べれば遙かに被害は小さいが、大龍彦は今まで弾かれた事など一度も無かった。
「嘘、でしょ…?」
哀しくて、亜耶は呟いた。けれど、花の
眠れぬ夜を越えたと思ったが、いつの間にか睡魔は訪れていたらしい。朝の光で目覚めた亜耶は、先ず明かり取りの大窓に使い古された帆布を掛けた。夜、
耳に残った
「亜耶さま!」
布連の向こうから呼ぶのは、其の澪だ。待ち切れず、迎えに来たのだろう。禊に連れて行って遣ると言ったら、
「亜耶さま、眠れましたか?」
「…え?」
「夕べ、酷い顔色で在られましたから」
気にする事など何も無いのですよ、と澪が笑う。嬉しい限りだが、顔色が悪かったのは其の為だけでは無い。ばつの悪い思いを隠して、亜耶は心配無い、と答えた。
「亜耶さま、泉には
「ええ。柘榴石の原石は踏むと痛いから、気を付けて」
西の川からは、
「亜耶さま、私、昨夜
「…いつ?」
「亜耶さまが、神殿に行っている間に」
私、あの方が好もしいです。澪は、無理をすると云う風でも無くそう言った。布連を分けて共用の板張り廊下に出ると、澪は間違いなく頬を上気させて笑って居る。
「分を、知らない人よ?」
「多分其れは、亜耶さまにだけです。亜耶さまの選んだ
其れに真耶佳さまとは、きちんと話が通じて居ましたから。何でも無くそう言われて仕舞うと、そう云えば亜耶は八反目と対話する気など最初から無かった様に思われた。
「澪が…幸せなら、其れだけで良いのだけど」
「幸せです。きっと、亜耶さまがご心配下さる以上に」
鼻歌でも歌い出しそうな澪と、
ふと見えた未来に、亜耶は顔を綻ばせた。
泉に着いた途端、澪は歓喜の声を上げた。
「泉の底なんて、良くて白砂が吹き上げている程度だと思って居りました…!」
本題を忘れて仕舞いそうな澪に少し可笑しく成り乍ら、亜耶が膝ほどまで泉に浸かって先導する。
「澪、私の後を付いてきてね」
「は…はいっ!」
清浄な泉の中で足に纏わり付く裳は、さらさらとして気持ちが良い。腹の辺りまで水に浸かると少々肌寒いが、澪に簪を清水に潜らせる様促す。
澪は真面目な顔で、潜らせた簪の柘榴石の部分を、心の臓に押し当てた。
その間に亜耶は、自分の長い髪を避けつつ耳飾りを清水に潜らせる。どちらの耳飾りも、一度の呼び掛けでとくん、と心の拍が合った。其れを両耳とも終わらせたら、ぐっしょりと肩や背中まで濡れて仕舞った。
澪は驚いて居たが、どうせ今日は髪も結うし、綾が何とかしてくれるだろう。ならば序でだ、と綾は泉に潜る。
「亜耶さま!?」
足下の玉石を少し分けると、ほら、在った。
「此れが、柘榴石の原石。岩の中に柘榴の実の様に現れるの」
濡れて仕舞った前髪を掻き上げながら、亜耶は澪の手の上にころん、と不格好な形の石を置いた。澪は早速赤い部分を日に透かして、きれい、と呟く。
「神殿の近くの川の方が、山奥からの流れが有る分きっと沢山見つかるわ。さ、行きましょ」
神殿と聞いて緊張感を取り戻した澪が、はい、と頷いた。
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