第二話:斜め上のアプローチと斜め上の要求
女神アフロディーテは、今日も今日とて大きな溜息を漏らした。
磨き上げられた大理石の床に、その溜息は虚しく響く。彼女の周りには、金色の光が常に纏わりつき、その美貌をさらに際立たせていたが、当の本人はその輝きとは裏腹に、心底うんざりしていた。
憂鬱の原因は、前回の彼女のダメ出しを受けて、彼らが必死に考えてきたであろう「斜め上のアプローチ」と、それに対する彼女の「斜め上を行く要求」が、まったく噛み合わないことだった。
まず現れたのは、太陽神アポロン。前回、「星や光、竪琴の比喩はありふれている」「もっとねっとりした愛の言葉を」と指摘されたことを、彼は真面目に受け止めたようだった。
「ああ、アフロディーテ。君のその瞳は、まるで…まるで溶岩のように煮えたぎる情熱のマグマだ! 私はそのマグマに焼かれ、灰となって君の足元に敷き詰められたい!」
アフロディーテは、優雅に身を引いた。
(マグマ!? ねっとりした愛の言葉を求めたけど、これは熱すぎるし、ベタベタしすぎ! 情熱通り越して公害よ! 私の宮殿を溶岩で汚す気かしら?)
「アポロン、ありがとう。とても情熱的な比喩だわ。でも、マグマは温度が高すぎて、私には少し刺激が強すぎるわね。もっとこう、常温で、触れるたびに体温が上がっていくような、秘められた甘美さに例えてくれる?」
アポロンは、マグマの温度調整を求められたことに戸惑った。
「常温で、秘められた…となると、それはまるで、地中深く眠る、数億年かけて結晶化した宝石のようだろうか!」
(宝石?結局、自分の得意な「美しくて光るもの」に戻ってきたわね。しかも億年とかスケールが大きすぎる! そんな遠大なロマンス、私が生きているうちに叶うのかしら?)
「アポロン、素敵な言葉だけど、熟成されすぎてて、私、今すぐときめきたいの。もっと…そうね。一瞬で溶けて、甘い香りが広がる、洗練されたデザートに例えてくれる? 食べた後も、心がぽかぽかするような……」
アポロンは「デザート…竪琴で表現するのは難しい…」と呟きながら、自分の芸術性の限界に直面し、再び逃げるように去っていった。
---
次に現れたのは、鍛冶神ヘパイストス。前回、「夢見心地になれるものが欲しい」と注文された彼は、その言葉を文字通り受け止めた。
「アフロディーテ、これを見ろ!」
彼が差し出したのは、金属とは思えないほど軽く、薄い、繊細な金の輪だった。それはまるで、霧を固めたかのように儚げで、虹色に光っている。
「これは私が、霧の精霊の吐息と、夢の神モルペウスの微睡みを特殊な合金に練り込み、付けるだけで強制的に夢見心地になれるように調整したブレスレットだ!」
アフロディーテは、思わず身を乗り出した。
(おっ! 今回は、ちゃんと「夢見心地」を具現化しようとしたわね! 発想は悪くない! でも……)
「ヘパイストス、すごいわ! 発想は素晴らしい! でも、強制的に夢見心地って、私の意思と関係ないのは少し抵抗があるわ。私が欲しいのは、ブレスレットの力じゃなくて、あなたからの愛の波動で気分が高揚することなの。それに、この素材、汗に弱そうだわ……」
ヘパイストスは唖然とした。素材の強度を犠牲にしてまで「夢見心地」を追求したのに、今度は「汗に弱い」という実用性の問題と、「愛の波動」という精神論を同時に突きつけられたのだ。
「む……汗、か。では、汗をかくと自動で蒸発し、常に新しい夢見心地な状態を維持するように改良してこよう!」
「いいえ! 汗で蒸発したら、無くなっちゃうでしょう! 私が欲しいのは、汗にも雷にも耐える究極の強度と、見た目の究極の繊細さを両立させた上で、私への愛が注入されていなければ動かない、そんなアイテムよ!」
(夢見心地にして欲しいけど、自分の意志は曲げたくないし、実用性も捨てたくないのよ。矛盾してて何が悪いの?それが愛の女神のワガママよ!)
ヘパイストスは、頭から煙を出しながら「究極の強度と究極の繊細さ…そして愛の波動…」とブツブツ呟き、フラフラと作業場に戻っていった。
---
最後に現れたのは、戦神アレス。前回、「流血は勘弁して」「詩で愛の情熱を表現して欲しい」と要求された彼は、一晩かけて猛特訓してきたようだった。
「アフロディーテ! 君の美しさは…血ではなく…血の代わりに!」
アレスは、手に持った羊皮紙を広げ、震える声で朗読を始めた。
「『嗚呼、アフロディーテ! 我が情熱、それは、戦場で敵兵が流す血の如く、赤く、熱く、そして…多量に!』」
アレスはここで得意げに胸を張った。彼なりに「血」という比喩を「情熱」という言葉に置き換えようとした努力の跡が見える。
(努力は認めるわ。ちゃんと詩を書いたのは偉いわね。でも、相変わらず「多量」とか「血の如く」とか、スケールと比喩が野蛮すぎるのよ!)
「『君の微笑みは、剣の切っ先よりも鋭く、我が心臓を貫く! 貫かれた我が心は、戦場の砂塵と化し、永遠に君の足元を覆わん!』」
アフロディーテは、優雅に口元を覆った。
「アレス、詩を書いてくれたこと、感謝するわ。でも、心臓を貫くとか、砂塵になるとか、私の美を讃えるのに、なぜ常に物騒な単語と敗北が絡むのかしら?」
「女神よ、私は愛の情熱を、勇猛果敢に表現したのだが!」
「愛の情熱は、もっと甘くて、優雅で、読むだけで心が溶けるような言葉で表現するのよ。あなたの詩は、朗読するだけで心が荒野になるわ。そうね、次は、砂塵ではなく、絹の絨毯に例えてくれる? そして、剣ではなく、バラの花びらに例えてくれる?」
アレスは、手に持った詩をくしゃくしゃに丸めた。
「詩は、剣より重い。そして、バラと絨毯は、戦場では役に立たない!」
「そうよ。だから、私といる時くらい、戦場から離れて、ロマンスに浸って欲しいの。ねえ、アレス。私を戦場ではなく、甘美な夢の孤島に連れて行ってくれる? 戦い一切禁止で!!」
アレスは、戦い禁止という極めて困難な任務を突きつけられ、戦場へ逃げる方がマシだとばかりに、その場から立ち去っていった。
---
戦神が逃げるように去っていくのを見送りながら、アフロディーテは深いソファに体を沈めた。
(はあ。本当にダメね。アポロンには常温でぽかぽかするデザートを要求し、ヘパイストスには強度と繊細さと愛の波動という矛盾を突きつけ、アレスには戦い一切禁止のロマンスを要求したのに。誰も、私の真の要求、つまり「完璧なセンスと、私への深い理解」を持ってきてくれないわ)
愛の女神は、愛に飢えていた。彼女が求めるのは、神としての地位や力ではなく、ただ一人の女性として、心から「キュン」とさせてくれるような、誰も到達できない斜め上のセンスの良い愛だった。
「ああ、私のときめきセンサーは、今日も警報を鳴らすことなく、ただただ静かに、微妙な波動を感知しているわ…次は、何を要求してやろうかしら……」
愛の女神の憂鬱は、今日も晴れそうになかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます