第20話 裕介、ジェイドに告白する

「ヴィクトル様! なぜユースケをかどわかしたのです!?」

「麗しの災厄殿を、お前から奪うために決まっているだろう!」


 地上では、ジェイドとヴィクトルが怒濤の剣戟を繰り広げていた。

 ジェイドの突きを、ヴィクトルは剣の腹で受け流す。

 体勢を崩したジェイドに、ヴィクトルの放つ剣先が迫った。


「くっ……」


 頬をえぐられたジェイドは身体をよろめかせ、片膝をつく。


「ジェイドさん!」


 裕介が叫ぶと同時に、ジェイドがこちらを振り仰いだ。軍服の至る所に切り傷のあるジェイドを目にし、裕介は罪悪感で押しつぶされそうになる。


 ジェイドは怪我を物ともせず、塔の真下に駆けつけようとした。しかしヴィクトルがその行く手を阻む。


「殿下……王族と言えど、許されぬことがあるのですよ」

「魅力的なΩオメガを我が物にしようとすることの、何が悪い?」


 ヴィクトルはその巨躯に殺気をまとわせ、剣を両手で構えた。

 強張った表情で間合いをつめるジェイドに、ヴィクトルは隙を与えない。

 このままではジェイドが大怪我をしてしまう。戦闘を止める手立ては――。


(二人の注意を俺に向ければ、うやむやにできるんじゃないか?)


 思いついたが吉日。裕介は窓枠に乗り上げ、腹に力を込めた。


「ふ、二人とも今すぐ剣を下ろしてください。言うこと聞いてくれなければ、飛び降りますっ」


 裕介だって命は惜しい。

 本気で飛び降りる気はないが、窓枠に腰かけ、覚悟を示した。


「ユースケ、待て!」


 動揺するジェイドに対して、ヴィクトルはニタリと頬を歪める。


「そんな脅しでは、手ぬるいな」

「!」


 次の瞬間、背後から裕介の喉仏に短剣が押し当てられた。


(物音ひとつしなかったぞ。そもそも、どこから入ってきたんだ……?)


 抵抗しようにも、ぴったりと密着され、振り向くことはおろか、指先ひとつ動かせない。緊張し、あらゆる毛穴から冷や汗が吹き出した。


「どうだ、ジェイドよ。少しはやる気に――、ぐっ!」


 一瞬の出来事だった。


 ジェイドの姿が消えたと思えば、いつの間にか鞘に収めた刀身を、ヴィクトルの腹にめり込ませている。


(ジェイドさん、もしかしてヴィクトルより強かったりするのか……?)


「な、この俺が、ジェイドごときの一撃で跪く、だと……?」

「いい加減になさいませ」


 腹を押さえ、前屈みになったヴィクトルを、ジェイドは視線で射殺さんとばかりに睨みつけた。

 抜き身で攻撃していないあたり、冷静さは残っているようだが、決して上官に対する態度ではない。

 

 ヴィクトルは息も絶え絶えに、身体を起こした。


「俺に、こんな真似をして……貴様、今の地位を失うことにな――」

「俺は騎士に未練はありません。お好きになさってください」


 ジェイドはヴィクトルの言葉を遮り、その喉元に切っ先を突きつけた。

 今度は鞘越しではない。銀色の刀身が朝日を受けてキラリと輝いた。


「ジェイド、貴様、正気か? 騎士団を除籍になれば、養父おやじ殿に、どう申し開きをするつもりだ」

養父ちちの教えは、Ωオメガを守れ。ただそれだけです。騎士団に属さずとも信念は貫けます。ユースケを守るためならば、いくらでも騎士の身分など捨てましょう」

「お前にそこまでさせるとは……ますます興味深い」


 歪んだ笑みを浮かべながら、ヴィクトルは裕介を見上げた。その視線に裕介は背筋が震える。


「殿下、ひとつご報告したいことがございます」


 ジェイドは氷のように冷え切った声音で、ヴィクトルの注意を引いた。


「騎士団施設の予算を、殿下の名を騙った何者かが、横領しているようなのです」

「なに……?」

「支給額に対して、毎年、余剰金が計上されて然るべきところ、微調整が施されておりました……何かお心当たりはございませんか?」

「俺の名を騙った何者かの仕業で、なぜ俺が責められねばならん。そもそも誰がそんな与太話を信じるとでも……」


 ヴィクトルは笑い飛ばそうとしているが、ジェイドはピクリとも表情を変えない。


「殿下や俺には、騎士団員たちを管理する義務があります。殿下が責任を取られないのであれば、俺がその罪を背負いましょう」


(遠すぎて、途切れ途切れにしか、話が聞こえないけど……ジェイドが騎士団を辞める? 横領って……この前、調べた件のこと、だよな)


 ジェイドはヴィクトルを脅している。

 騎士団から追い出されたら、迷わず横領疑惑を外部へ告発するつもりだ、と。

 裕介ですら察せられるのだ。勘の良いヴィクトルが思い至らないわけがない。

 その証拠に、ヴィクトルはみるみる顔を強張らせた。

 身に覚えのない悪行だとしても、騎士団長であるヴィクトルは責任を免れないだろう。

 自らの身を守るためには、口止めとして、裕介を解放するしかない。


「……お前が騎士団を辞することは許さん」


 ヴィクトルは苦々しげに言った。


「であれば速やかに、ユースケを解放していただけますか?」

「お前が剣を収めるのが先だ」


 どちらが先に武器を捨てるのか。ジェイドとヴィクトルは、お互い睨み合って微動だにしない。


(ここは俺が隙を作るしかないよな)


 喉元に押し当てられた刃の鋭さに、心臓がありえないほど激しく脈打っている。


 一発勝負だ。


 裕介はできる限り大きく口を開け、躊躇なく喉元の、短剣を握る指に噛みついた。


「くっ!」


 さすがの刺客も驚いたのか、くぐもった悲鳴とともに、短剣を引っ込めた。

 裕介は素早く振り返り、部屋に戻ろうとするも、すぐさま体勢を立て直した刺客に、短剣の切っ先を突き付けられる。

 迫る刺客に思わず身を引いたら、勢い余って窓枠から滑り落ちた。


「!!!」


(ああ……異世界に来たって、俺は変われなかった)


 Ωオメガになった当初は、戸惑うことも多かったが、おかげで、大切な人ができた。

 けれど、大事な場面で素直になれず、このザマだ。

 他人に甘えたいなら、己の弱さをさらけ出し、そして、相手の弱さも受け入れるべきだったのだ。


(って、気づいたのもジェイドのおかげだな。嫌な奴のまま、あの世に逝かずにすんでよかったよ)


 地面に叩きつけられたら、どうなるんだろう。


 ぎゅっと瞼を閉じ、衝撃に備え、そして――。


 ドン! 

 

 鈍い音とともに全身に痛みが走った。

 痺れて動けない。

 きっと骨がバラバラに砕けてーー。


(……あれ? 生きてる)


 瞼を開けると、視界がぼやけていた。眼鏡はどこかに飛んでいってしまったようだ。

 硬くてあたたかい感触。そして嗅ぎ慣れた甘い香りに包まれている。

 慌てて身体を起こすと、ジェイドが裕介の下敷きになっていた。


「え、なんで……?」

「それは、こちらの台詞だ……俺は待てと言っただろう」


 地の底から響く声に、尋常でない怒りを感じ、裕介は肩を縮こめた。

 灰色の瞳がきつく細められ、裕介を穴が開くほど睨めつける。


「いや、まあ、結果的に兄弟喧嘩を止めることができて、よかったです」


 アハハハ……空笑いをするも、ジェイドとヴィクトルは押し黙ったままだ。


 二人とも引き際を見失っていた。

 裕介が乱入することで死人が出なかったのだから、ヨシとするべきではないか。


「……貴殿は、何度、俺を殺そうとすれば気が済むんだ」


 ジェイドは剣を傍らに放り出し、両手で顔を覆った。裕介は彼の膝の上に乗ったまま呆然とする。


「俺がジェイドさんを殺そうとした? え、どういうこと……?」

「自覚がないのか、それとも俺をからかっているのか」


 死にかけて冗談を言えるほど、図太くはない。言いがかりにもほどがある。

 逆に殺し合う勢いで兄弟喧嘩を始めたジェイドに、こちらのほうが肝を冷やしたというのに。


 元はと言えばジェイドが強引につがいになれと言ったから、こんなにも拗れてしまったのだ。

 謝ろうとしていた裕介だったが、そんなことは落下の興奮で忘れてしまい、八つ当たり気味に語気を強めた。


「冗談でもからかってもいません。ジェイドさんは言葉が足りなすぎます……例えば、なんで俺につがいになれって迫ったとき、理由を教えてくれなかったんですか?」


 裕介の身を守るためだと、返事を待っている余裕はないのだと告げれば、丸く収まっていたはずだ。


 ジェイドは顔を上げると、眉間に皺を寄せ、口を閉ざす。


(なんでこっちから聞いたら答えてくれないんだよ)


 こうなったら意地でも白状させてやる。裕介は負けじと、ぼやける視界でジェイドを睨みつけた。


「言えるわけがないだろう」


 ジェイドはそっぽを向き、耳を赤くして、


「……殿下に嫉妬したなど、言えるものか」


(一瞬想像したけどさ……マジか)


 二人揃って、なんとも間抜けである。


 裕介はジェイドの頬を両手で挟んだ。

 熱を孕んだ灰色の瞳が愛おしく、裕介は自然と想いを吐き出せた。


「俺も貴方が好きだ」


 ジェイドは目を見開いた。

 呆然とした表情は幼い。裕介はフッと笑みをこぼした。


「……俺を甘やかすんだろ。勝手に死んだら許さないぞ」


 ジェイドは裕介の手に手を重ねる。

 裕介が灰色の瞳に吸い寄せられそうになった、その時――。


「……貴様ら、俺を忘れるとは、いい度胸だ!」


 ゆらゆらと身体を左右に揺らし、目を血走らせたヴィクトルが、吠えた。紳士然とした仮面は完全に剥がれ落ちている。


「……俺は殿下の罪を暴くつもりはありません。このまま引いてはいただけませんか?」


 ジェイドはゆっくりと言った。しかし、ヴィクトルは聞く耳を持たない。


「罪だと? 馬鹿馬鹿しい。お前の戯言を信用する者がいるとでも……調子に乗るな! 災厄ともども、ここで切り捨ててくれる!」


 ヴィクトルは喚きながらジェイドに突進する。

 裕介を背後に庇うや、ジェイドは片手で剣を振るい、ヴィクトルの剣を受け止めた。

 ヴィクトルは額に汗を滲ませているが、ジェイドの横顔は涼しげだ。


「くっ……」

「遠征先では稽古を怠っていたようですね」


 ジェイドは力を抜いて受け流した。支えを失い、前のめりになったヴィクトルの腹に、剣の柄をめり込ませる。そのまま押し込み、ヴィクトルの身体を吹き飛ばした。

 地面に仰向けに倒れたヴィクトルは、白目を剥いている。


「やり過ぎなんじゃ……って、もしかしてジェイドさん、さっきまで、わざと負けようとしてました?」

「騎士団員同士の殺し合いは禁止されている。殿下も本気ではなかったはずだが……この程度で倒れるならば、騎士団長の名は返上するべきだな」


 正論である。しかし、ヴィクトルが目を覚ましたらどうなることやら――。

 ジェイドの立場は確実に悪くなった。彼の今後を心配していると、


「貴殿が心配することではない」

 

 ジェイドに肩を引き寄せられる。


「そうは言っても、俺が油断したせいで――」


 ジェイドが裕介の言葉をみずからの唇で塞いだ。突然のキスに裕介は固まる。


「ジェイドさん、なんだか性格変わってませんか」

「そうか?」


 吹っ切れたといえば聞こえはいいが……自暴自棄になっていないことを願おう。

 裕介はジェイドの肩に寄りかかり、ため息を落とした。

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