8 シスター
「魔法って、割と念ずるだけでできるよ」
病院帰りの道中。すっかり昼を過ぎ、夕方になりつつある大通には誰もいなく、私達は魔法について話しながら、鶏皮ジャーキーを持って歩いていた。
「ほら、これ飛ばしてごらん」
そう言って渡されたのは取り替えた香。とても小さく、弾くを当てるのが大変そうだ。
「ホイって感じ、ホイって」
「はぁ…」
シュッ!
適当にデコピンで弾くと、そこに旋風が巻き、10メートルくらいまでゆっくり飛んだ。
昼にあんなに頑張ったのは馬鹿だったのか?こんな簡単なことだったなんて、こんなの、蟻を踏み潰すのと同じくらいの難易度だ。
いや、物が小さいから飛んだだけだ。冷静な私ならそう思っただろうが、今はあれほどできなかった魔法という夢幻に見とれてしまったよう。
「え、ぇぇ…」
私があまりにもの簡単さに驚いていると、アセビさんは溜息と鶏皮ジャーキーをほおばりながら言った。
「魔法は魔法だと認識すればするほど使えない。精神面は楽だけど、物理にするとなると大変だからね…それに、使ったことあるでしょ、精神面なら。人を引き込む魅力がある奴は魔
「そうねぇ、でも人間だから物理は苦手だと思われるわね」
肩に後ろから手を置かれ、アセビさんの話を妨げ話しかけられる。
純白な羽に、途切れ途切れとなっている天使の輪。どこか狂気的な希望に満ちた目。
なにかルークさんのような、綺羅びやかさがありつつ、幼い純粋な声で、身がよじり立つ圧があった。
「…シスターか、久しぶり」
「えぇ、久しぶり。それとー、新入りの人間さん、少汝救済教会の幹部のシスターよ、よろしくね」
頭を調合されている気がして、顔をうつむかせ、会釈する。
「よろしくお願いしま…」
グイッ
シスターに両肩を強くつかまれ、路地裏へと連れて行かれる。瞬時にアセビさんに助けを求めたが、見て見ぬふりをされた。確信犯だ、これはアセビさんが計画したことだ。
私は持っていた杖を壁のパイプとパイプに突っ張り棒として引っ掛け、さらに奥に引き込まれないよう耐える。
しかし、針金の先っちょが曲がり、あっけなく奥へと引きずられ、壁へと叩きつけられた。
ドンッ
「あら?あなたは叩けば治るものじゃないのね」
「治るって…」
コンクリートの凹凸が背中に突き刺さり、服が血で肌にくっつくのが分かる。
痛い、痛すぎる。擦れてないだけまだ良かった。
「あなたには理解できないでしょうけど、『人間』は『病気』なの『人外』が普通なのよ」
なにを言っているのかがわからない、カルト宗教だったのか?少汝救済教会は。でも一理あるような気がしなくもない。半グレと言った具合か。
「この世に人間ほど弱い者はいない。人間はハズレ枠で、あなたは今から当たり枠になれるの!とっても素晴らしいことじゃない?」
人間がハズレ枠…
人外が当たり枠…
気を張っていないと、考えに飲み込まれそうだ。今はただ冷静に、時間稼ぎだ。誰かが来て助けてくれるかもしれない。
「私は半分人魚だよ」
「だから完全体になれるのでしょう?他の人間とは違くて。」
「私は歩きたい」
「人魚姫もずっと歩いていたら泡になるわ」
「真実を見つけないと?」
「そう、自分を見つけないと」
私はシスターから少しづつ距離を取り、杖を構えた。なんだろう、否定したくなった、同情心が芽生えた私を、人魚になる可能性を。
「心配ありがとうございます。私はIだから、泡にならない」
ドォン!
杖の先から火花が散り、壁に跳ね返り鏡越しに展開したようになりながら、シスターめがけて『弾く』が飛び散る。
一度着火された否定という意思の肯定をする改造品の威力は凄まじく、杖の先が摩擦で焦げ臭くなった。
舞い散った埃に火がつき、隅っこでチラチラと燃え出す。白い煙に咳き込んでいると、シスターの嘲笑う声が聞こえた。
「あらそう、なら私があなたが泡になるまえに、その脚歩けないよう引きちぎって差し上げますわ!」
シュッ
煙と火が散って…いや、壊れた。考える間もなく、見えないはずの攻撃が目の前に視える。空気を壊して進むその斬撃は、通った場所に無が発生していた。
怖い怖い怖い!
私はその思いに集中し、迫りくるシスターの攻
グシャァ
鈍い 鈍い 鈍い 鈍い!
足がとてつもなく重い!
肉が捻じれ歪み、軽くなるのがわかる。
剥き出しになった神経が風と摩擦し合いこだまし、激痛を脳に伝えたかと思えば、無造作にアドレナリンが湧き出る。
この一瞬で人生の全てを体験したようだ。
私は恐る恐る足に目をやる。『見なければよかった』なんて後から思う。本当にこんなの、見たらもっと痛くなるさ。
「あ、あぁ…!」
私は痛さなのか怖さなのかわからない涙でぼやけた視界で、右足の太腿から千切れた断面を凝視していた。
「改造品でも弾けませんでしたか、でもすごいですね、片足で済むなんて。人間なのに偉いわ!」
すぐにバランスを崩し、地面に頭を打ちつける。もう、何が痛いのかさえ分からなくなっていた。
ふと、シスターに目をやると、背後にルークがハサミを持って不気味に笑っていた。前は太陽のようなあいつが、天使が、情けない顔をして悪魔になりきっていた。
「ねぇシスター?久しぶりね、いつぶりだったかしら。」
「あらやだ〜、ルークじゃない!すっかり大きくなって、シスターうれしいわぁ!まぁ、ここで会うことなんて知ってたけど」
瀕死の私にとどめをさすことを忘れ、ルークとの会話に夢中になる。それだけ、ルークとシスターは縁があるのだろう。
「ところで、あなたは人間が嫌いなのよね」
「えぇ!大っきらい!戦争ばかりして…弱くて…とにかく!」
「もう嫌いな理由すらわからないのね。まったく、かわいそうだゎ…」
しばらく黙り、下を向く。ルークの目は泣いていた。事実を受け止めたくないのか、はたまたなにかを求めているのか。ルークのことを何も知らない私はわからなかった。
「また泣くの?あなたは人間の頃と全然変わらないのね。私とそろそろ死ぬことだし、長話しない?」
「長話し…ね、それなら次でいいかしら、どうせスペアの体だし。まったく、用心深いわね、私たち」
ルークはハサミを構え、シスターを懐へ引き込む。そして、二人の天使の輪を断とうとした。
「そろそろ時間よ、先に逝きませうか。」
ジョキンと、切れ味の悪い鉄と鉄が交差する音が聞こえる。切れたのは、ルークの輪だけだった。
切れた箇所から、青い水のようなものに変わっていく。
『あ、ルークは死んだんだ』
なんて思いながら、何もできない自分に腹が立っていた。気づけば、泣いていたのかもしれない。
ルークが完全に青い水たまりになると、シスターは自分の腕に染み付いた青色を、冷や汗を流しながら見つめていた。きっと、ルークはずっと掴んでいたのだろう、逃げられないように、殺せるように。
「゜ …まぁ、スペアにしては及第点かしら。」
シスターはそう呟く、虚ろで真っ黒な目で。天使…いや、堕天使としての希望を享受した白い眼球は、もう、ただの内臓と化していた。
水たまりから、低級神によく似た青い腕が流星群の如く、シスターめがけて伸びていく。その腕には、さっきのルークとは違う明確な殺意があった。
青が付着した腕が爆発するのを合図に、大量の手がシスターをちまちまとちぎり、触れた箇所からルークと同じ青の水たまりに変換される。
普通は肉が引き裂かれる音で耳がおかしくなるだろうが、なぜかもう私には音は聞こえなかった。意識もぼちぼちだ、失神するのもそろそろだろう。いや、失血で死ぬほうが先だろうか、死ぬまでわからないものだ。
シスターの全てが青く染まると、腕たちは地面へと溶け込んでいった。
血で壊れた視界に、ルークが路地裏へと飛んでくる姿が見える。幻覚…だろうか、さっきルークは死んだんだ。いるはずがない。
「3番目のスペアがやられましたか…もったいない、これからが肝だというのに。Iさん、あなたは助かりますから、安心して眠りなさい。」
まどろみの寝床が私を呼ぶ。死とはまた違う世界へと、行ってらっしゃいませ、人魚姫様。
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