第13話 明日

 ぶち破られた窓から生温い風が吹き抜ける。

 季節はもう夏本番に差し掛かっていて、気温も30度近くなっている筈なのに、あたしの体は震えが止まらなかった。

 それもそのはず……、あたしの隣に座るクラスメイトが、記憶を失ってから初めて出来た友達が――あたしの命を狙っていたのだから。


《瑠璃水仙》……それが瑠璃香ちゃんのもう一つの名前、コードネーム……。

 やっぱり殺し屋ってコードネームとか持ってるもんなんだ。

 それに《金百合》って、確かリリィちゃんも昨日のホテルで名乗ってたよね。

 ってことは《黒百合》って、もしかして……。


「……!? ユリさん!」

「え?」


 突然リリィちゃんから名前を呼ばれたことで、あたしは自分の異変にようやく気が付いた。

 ポタポタと水滴が床に落ちる音。

 あたしの鼻から赤黒い血が滴っていた。


「あれ? なんで急に鼻血が……ってか黒! 怖っ!」

「ユリさん、ティッシュならこちらに」


 できる執事みたいにリリィちゃんから渡されたティッシュでつっぺを作り、それを鼻に詰めていると。


「や、やっと効いてきた……」


 それを見ていた瑠璃香ちゃんが、ホッとした表情でいかにも意味深なことを呟いた。


「ダ、ダメだよ……灰園さん。殺し屋なら人から貰った物には気を付けなきゃ……」

「……ユリさんになにをしたんですか?」


 怒気を纏った声でリリィちゃんが訊ねた。

 それに対し、瑠璃香ちゃんはビクッと肩を震わせた後、


「ど、毒です……」


 消え入るような声でそう答えた。


「毒……?」

「そ、そう……。灰園さん、一緒にお弁当食べてた時にあーんってしたでしょ……? あの中に私特製の毒を入れてたの……」


 その説明を聞いた途端、当時の光景が鮮明に蘇る。

 あの丸いコロッケ、そんなヤバいの入ってたんだ。オランダ人が知ったらブチ切れるどころじゃ済まなそう……。


「でも、やっぱり凄いね……。普通の人だったら1分もしない内に、いっぱい血を吐いて死んじゃうのに……。やっと鼻血が出るなんて……。やっぱり、耐性があるから……かな?」

「耐性?」


 なんだろう、耐性って。そんなゲームみたいな能力があたしにあったんだ。

 崖っぷちの状況下な筈なのに、ちょっと嬉しく思っていると。


「き、気付いてなかったの……? 灰園さんのお弁当、ちょっとだけ毒が入ってたんだよ……」

「え? ガチ?」

「う、うん……。多分、それをずっと食べて過ごしてきたから、耐性が出来てたんじゃない……かな?」


 瑠璃香ちゃんが言うなら間違いないんだろう。

 お返しにあたしが自分の玉子焼きをあーんしてあげた後、物凄く顔を顰めてたし。

 ちなみにその後、瑠璃香ちゃんはトイレに行くと言ってしばらく戻ってこなかった。


「なるほど、だから今鼻血程度で済んだんですか。お母様に感謝ですね、ユリさん」

「いや普通に喜んでいいのか分からないんだけど。なんなら母親に毒盛られてた方がよっぽどショックなんだけど!」


 ホッと安堵の息を吐くリリィちゃんとは逆に、あたしはショックで膝から崩れ落ちてしまう。

 ……いや違う。これ、ショックが原因とかじゃない。


「あれ? なんか、足に力が……」

「ユリさん!」


 倒れそうになるあたしをリリィちゃんが咄嗟に支える。

 それを見て、瑠璃香ちゃんはやれやれと言わんばかりの顔で。


「は、鼻血だけで済む程、私の毒は優しくないよ……。今はまだ動けても、その内全身に力が入らなくなって、30分後には……」


 死ぬ。はっきりとそれが分かってしまうくらい、もうあたしの体に余裕なんてなかった。

 マジか。耐性があるって聞いて、効かないって勝手に楽観視しちゃってた。

 リリィちゃんも、流石に予想外って顔してるし。これ本格的にマズいヤツかも……。


「今すぐ治しなさい」

「い、イヤです……」

「治しなさい!」

「ひいっ! お、お断りします……!」


 そう言い残すと、瑠璃香ちゃんは一目散に教室を飛び出し、そのまま廊下へと逃げてしまった。

 瞬時にリリィちゃんも発砲するも、銃弾は扉に防がれてしまい、あたし達はその場で二人きりになる。


「あー……、やっばいこれ。マジで鼻血止まんないし、立つのも無理っぽいわ」

「ユリさん……」


 いくらつっぺを替えてもティッシュの袋が薄くなるばかり。

 貧血のせいか、それとも毒のせいか、視界と一緒に頭もぼやけてきた。


「すみません、死んでも守るって誓ったのに……」

「なに言ってんのさ。さっき撃たれそうになった時に助けてくれたじゃん」

「ですが……!」


 言葉を詰まらせたまま、リリィちゃんが思い詰めた表情をしている。

 こんな状況でも、この子を可愛いって思えちゃうのは、あたしがこの子の恋人だからなのかな。

 ……なにやってんだろ、あたし。こんなに可愛い子を困らせて。落ち込ませて。悲しませて。


「謝んなきゃいけないのはあたしだよ。リリィちゃんに酷いこと言って、学校も無理矢理休ませて、助けてもらったのにまたピンチになって……。あたしがもっとリリィちゃんを信じてあげれば、こんなことには……」

「ユリさん……」


 あたしは本当にバカだ。

 自分の正体を知って、家族の正体を知って、リリィちゃんの正体を知って……冷静さを失った挙句、迷惑ばっかりかけて。

 一人じゃなんにも出来ないのに、自分から一人になろうとして。

 自分の身も守れないくせに自分で危険を招いて、そんで自分から死にそうになって……。

 ホント、嫌気が差してしょうがない。

 記憶喪失という最悪な状況を強いられてから、なるべく前を向いて明るくポジティブに生きようと心掛けてきた。

 ただでさえマイナスな状況に立たされてるんだから、ずっと落ち込んでいたらなにも楽しくない。なにも好転しないって、そう思ってきたから。

 初めて目を覚ましたその日からずっとそれを胸に留めてきたけど、今日で初めて挫けそう……。

 ダメだ。泣いたらダメだ。泣いたらあたしは……もう……――


「では、今から信じてください」


 必死に涙を堪えていたその時、リリィちゃんはあたしの手を優しく握りながら、



「私、リリィ・金恵・フローレスは灰園小百合を愛しています。初めて会ったその時から、私はあなたに命を預け、あなたの命を預かって。いかなる障害をも乗り越え、今日を、明日を、未来を、共に生きると誓います」



 あたしの目を真っ直ぐ見て、力強く……そう宣言した。

 包み込まれた手が熱い。心臓の音で鼓膜が破れそう。高熱にうなされているみたいに頭が痛い。

 なんだろう、この感覚。なんだろう、この光景――



『――生きてるかい? 《金百合》』

『まだなんとか……。ですが、やはり二人でこの人数を相手にするのは……』

『ふむ、確かにキツいな。帰ったらまずは一緒に風呂に入って、一緒に夕飯を食べ、一緒のベッドで寝て、明日は近くの映画館にでも寄って上映作品を片っ端から観まくるとしよう』

『それもそれでキツそうですね。生きて帰れればの話ですけど……』

『バカだなキミは。明日を生きる気のない人間に今日を生きれるか。私はキミと明日を生きたいぞ。明日だけでなく、その先もな』

『!!!??? あ、あの……ユリさん、それってどういう……』

『仕事中だぞ。互いを呼び合う時はコードネームで』

『す、すいません、《黒百合》……』

『やれやれ、へこんでいる暇はないというのに。……背中は預けたぞ、《金百合》』

『は、はい――!』



 ――知らない記憶がまた頭をよぎる。

 どこか暗いお屋敷の中。

 360度を取り囲む武装した大人達。

 その真ん中で、背中合わせになりながら武器を構えるあたしとリリィちゃん。

 だけどお互い、片方の手にはなにも持っていなくて。代わりに空いた掌を埋めるように、お互いが生きてることを確かめ合うように、二人でずっと手を繋いでいて……。


「アハハ!」


 あたしは思わず噴き出してしまった。

 急に笑われたことにリリィちゃんは目を丸くした後、少し怒ったように頬を膨らませて。


「な、なんですか! そんなに私、変なこと言いましたか?」

「い~や! なんか似た者同士だな~って思って」


 あたしの言葉にリリィちゃんが首を傾げている。

 その反応や表情すらも、なんだか愛おしく感じる。


「あたし達って、ホントにお似合いのカップルだったんだね」

「んな、ななななんですか急に!? どうしちゃったんですか、ユリさん!」


 珍しくリリィちゃんが動揺してる。

 さっきはあんなに頼もしい顔してたのに急に赤くなっちゃって、変なの。

 あたしがクスクス笑っていると、リリィちゃんは「もう!」と怒って立ち上がる。


「ひとまず、すぐに《瑠璃水仙》を追わなくては。ユリさんに毒を盛ったのなら、その解毒剤も持っている筈です」

「そういうもんなの?」

「ええ、誤って自分が摂取したり、ターゲット以外の人間が毒に侵されれば大変ですから」

「なるほど」


 それなら確かに早く瑠璃香ちゃんを追わなくちゃ。

 でも、この足じゃ……。

 すると、あたしの意を汲んでか、リリィちゃんは背を向けた後にもう一度しゃがみ込む。


「ユリさん、私の背中に乗ってください。ユリさん一人をここに置くと、彼女が戻って直接手を下しに掛かるかもしれません」

「た、確かに……。でも、大丈夫? あたし、重くない?」

「ユリさんの重さなら何度もベッドの上で経験済みです!」

「待って。なにその回答? あたしとキミって、マジでどこまでしてんの!?」


 ヤバい、また頭痛くなってきた。今日はもうこれ以上情報を入れたくないよ。

 あたしは恐る恐るリリィちゃんの背中に乗っかると、支えるように彼女の腕がお尻に敷かれた。

 直後、リリィちゃんはあたしを軽々と持ち上げて。


「それでは行きますか」

「あっ、待って! ……先にこれだけ言わせて」


 頭上に疑問符を浮かべているリリィちゃんの耳元に、あたしは忘れないよう囁く声で。



「今朝は……その、傷つけるようなこと言って……ごめん」



 ずっと言いたかったことを告げると、表情こそ見えないものの、リリィちゃんは今日一番の元気いっぱいな声で。



「明日デートに行ってくれたら許してあげます!」



 高らかにそう返した。

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