第5話 誘拐犯と石像の正体

「残念でしたね、私が引き取る難易度が上がりました。大人しく回収されてください」


 夕食後、エセルはレオナルドの石像の裾についた黒い汚れを、ブラシでこそげ取りながら話しかけた。よく見ると台座部分はなく、流れた裾はそのまま……樹木の根を地面と水平に切り取ったような形をしている。


「……役所が嫌なら、きちんとした引き取り手を探す? 伯爵にちゃんと掛け合えば探してくれるかもしれないし、私も少しなら貴族に知り合いがいるから」


 あれから数日、屋敷はほとんど片付いていた。まだ紙ものがだいぶたまっているが、執事と手分けして、不要な書類を燃やしたり裁断したり、書斎に移動させた。

 細々とした魔道具は必需品以外は封印したり封印用シールを貼って、屋敷の門扉の側に移動させた。

 絵画と鎧も、「伯爵とエセルが回収・引取先について話し合うこと」を条件に、明日の回収日を待つばかりだ。


「……どうかな」


 悩んでいるような息が頭上からこぼれた気がして、エセルは見上げる。


「申し訳ないけど、もうそろそろ期限切れ」


 エセルはふいに、ポケットから一枚のシールを取りだした。「魔法資源局回収番号:1171153」と、書き入れた無地のシールをぺたりと頬に貼る。

 魔法さえかかっていなければ、石像に干渉するのは割と容易だった。


「なんでそこに」

「ローブの出来が良くて無駄にヒダが多いから、ここしか空いてないんだもの。……封印されたくないなら、自分で回収局の職員さんと話し合って」

「……それも、どうかな」


「いいじゃん、もう。うちらも相談に乗ってあげるからさー。伯爵も伯爵だよねえ、伯爵のおとーさんの恋バナとかー? べらべら喋られたくないのは分かるけどさぁ……」

「そもそもこんな面倒くさい魔道具、何のために作ったんだろうな」


 回収番号を貼り付けられた絵画の少女と、その横に立つ鎧が、石像を元気づけるように、脇から顔を出す。

 石像から、苦笑のような声がした。


「それは、……単なる偶然だったんだよ。君たちに関しては、弟子が寂しくならないように、それにこの屋敷を守ってくれるように作ったんだ」


 まるで本人みたいな言い方だ――と、エセルが思ったときだった。

 玄関外でドサリと言う重い音がした。何かが投げ捨てられるような音。最近ゴミの分別に厳しいからか、郊外に産業廃棄物を捨てていく業者なんかが時々いる。


「……ちょっと見てくる。不法投棄かもしれないから」

「待って、エセル……」


 エセルは石像が止める声を聞かぬうちに立ち上がると、扉脇の窓から覗いた。しかし生い茂った草が邪魔になって、よく見えない。掛けがねを外し少し身を乗り出して――、


「エセル!」


 体が、浮いた。

 太い男の手が腕を掴み、腰にかかって窓から庭へと引きずり出される。


「エセル! くそ、小手じゃ鍵が開かねえ!」「絵には手も足もないんですけど!」


 背後に二人の声を聞きながら、エセルは無理矢理下げられた後頭部から陰が差したたことに気付く。続いてバサリ、という音――上半身に、袋がかぶせられた。


(――誘拐!)


 一瞬ぶるりと背筋が震え身が竦んだ。袋の向こうにしゅるりと縄のはしる音がする。


「おいおい、怪我させるなよ。これでも花嫁らしいからな」

「どうせすぐ縄の跡が付くんだから同じだろ」


 下卑た声に聞き覚えはないが、恐らく例のヒキガエルに雇われたか男たちだろう。身元は今伯爵の元にはあるが――、


(親権は……親。仕事が嫌で家出したとでも言えば、伯爵も手が出せない……)


 エセルは唇を噛む。足を思い切り動かして抵抗する。髪の毛をまとめていたピンがはじけ飛び、ばさりと黒髪が広がった。しかし、腰を抱えられて空を掻くだけだ。


「おい、暴れるな!」


 土と落ち葉を踏む足音がうるさい。彼らが走れないのは、庭にまだ剪定した枝がごろごろ落ちているからだろう。

 そんな中に微かに、玄関扉の開く音が聞こえた気がした。

 エセルは震える手で何とか腰に下げた杖を探り当てると、引き抜く。そしてそのまま杖の先に光を灯した。


(見付けて!)


 薄暗い庭に、布越しの光がぼんやりと浮かび上がる。


 ――次の瞬間、風切り音と共に体が投げ出され、落ち葉の上に着地した。


「エセル、走って!」


 どこからか、石像の声が聞こえる。

 エセルは立ち上がると、布袋を地面に倒れている薄汚れた男たちに投げつけると、“掃除の魔法”で足元を水浸しにし――髪を振り乱し、屋敷に向かって走った。


「おい、待て! ……うおっ」


 濡れた落ち葉に足を滑らせた音がする。それはきっと数秒稼ぐだけ。けれどその数秒でエセルにとっては十分だった。

 いつの間にか扉の閂と鍵が開いており、玄関ホールの中が見通せる。

 急いで階段裏に身を隠したエセルは、石像の横で荒い息を吐いた。まだ心臓はバクバクいっているが、背後に鎧が立ち塞がった気配に安心する。


(明日粗大ゴミに出すのに、ごめんなさい)


 感傷もつかの間、扉を閉めに行こうと引き返そうとしたエセルは、しかし石像に引き留められた。


「……エセル、無事で良かった。さあ早く、僕を掃除して」

「……掃除? え、今?」

「もう少しで呪いが解けるんだ。いいから早く、それで全てが解決する」


 混乱した頭の中、エセルは足元に転がったままの掃除道具入れを見下ろした。雑巾に皮に、毛や皮でできた各種ブラシに洗剤、研磨剤、つや出し剤……。


「分かった」


 この石像はちょっとどころじゃなくおかしいけれど、嘘を言われたことはない。言われるがままにエセルはブラシと研磨剤を取り、足元にほんの少し残った黒い汚れを取り除く。


 ――変化は、突然で、それでいて何でもないように訪れた。

 まるで白昼に突然夜が訪れたように白い大理石が、髪を黒曜石の色に、瞳とマントを深い藍色に染め上げていく。所々縫い取られた金糸は、あの粗大ゴミシールの魔法陣より複雑な文様を描いていた。

 エセルは黒い瞳でそれを、石像の動きを追った。


「……おいこら、どこに行った!」


 そうして鎧の槍越しに叫ぶ、二人の暴漢が石像に杖の尖端を向けられ、次の瞬間――、風の矢が二本吹き抜けて、腹に当たったまま玄関の外まで吹き飛ばす。


「強盗は殺さなきゃ罪に問われないんだっけかな……今もそうなのかな」


 突然の一撃に固まっている鎧の横を抜けると、石像はゆっくりと扉の前に立つ。そうして階段下に横たわる男たちを見下ろして、呆れたように眉をひそめた。


「……何だ、もう気絶してる。聞きたいことがあるのに……まあいいか、それよりエセル、この騒ぎで執事たちが来る前に、先に言っておきたいんだけど」

 

 それから彼は振り返り、眉間の皺を緩めると優しく微笑した。それはどこかメイウェザー伯爵にも似た雰囲気がある。


「……僕と結婚してほしい」

 

 ――そうして、お話は冒頭に戻る。

 彼はそのまま、石像のように固まるエセルのほどけた髪を手際よく戻してしまうと、結婚できない理由を並べ、「粗大ゴミの回収は明日です!」と言い張るエセルに向けて、ぺりりと頬のシールを剥がして見せた。


「ああこれ……人間は粗大ゴミに出せないからね。もう一つ言うと、あの粗大ゴミシールは魔道具用で、人間……元人間は、対象外だから」

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